カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

見舞いの準備

2008-09-15 | 読書

 怪我をして入院している部下の見舞いをどうするのかとしばらく考えていた。入院してすぐに一度見舞いには行っているので二回目である。長期化することは分かっており、既に三回目の手術が行なわれたばかりであるという。ついでがあるときに寄ろうとは思っていたのだが、そのついでがありそうな時に、本当についでによることはあんがい難しい。その第一は、手ぶらだとやはり行きにくいということだ。いや、顔を見に行くということが第一の目的であるのだから、本来はそのまま寄ったほうがいいのかもしれないとは思う。お見舞いということでは既に済ませてあるのだから、何も遠慮することは無かろう。しかし立場としては友人というわけでもないから、そういう気安さということを実際に行動に移しづらいということもあるのかもしれない。相手が僕の面会を死ぬほど望んでいるとも考えづらいが、かといって間が開きすぎるのもなんとなく気まずい感じもしないではない。考え出すと身構えてしまうことばかりで、そうしてずるずると日時を浪費する。
 若い人間なので、最初は退屈しのぎには漫画などがよかろうと思った。聞くところによると、同僚が携帯ゲーム機を持っていったとも聞く。漫画は読むには読むのかもしれないが、意外なことに(失礼ながら)活字だってそれなりに読む人間らしいという話も聞いた。それならやはり本でも持っていくのがいちばん適当かもしれない。親元知人が毎日面倒を見ているわけでもないらしい(出身の地元が遠いのである)ので、果物や食い物なんかを自分で管理できるものかも分からない。本なら漫画ほど邪魔にならないし、読みたくなければ読まなければいいだけのことである。
 持って行くものは決まったのだが、さて、その選択となるとどうしたものか。せっかくの長期入院だから、大長編がいいのではないかと思うのは、それは自分に対してのことで、どうにも自信がもてない。長編はそれなりの支持があって続いているということもあるから、いちどとっついてみる事が出来れば、それなりに有益なのだが、その取っ付きがかなわない人だと、結局は大いなる無駄となる。それに本を読むらしいからといって、その趣味傾向はまったく不明であった。
 ある時ちょっと大き目の本屋で物色しようと思って帰り道遠回りしてみたが、閉まっているようだった。後で聞くと、そういえば新聞で倒産したと書いてあった系列の本屋だったようだ。これで大き目の本屋は高速道路に乗らなければ行けないことが判明した。他にある本屋は、どちらかというと雑誌屋で、ほとんど本というものを置いていない。いや、軽めの本でいいのだから、何でもいいといえばいいのだが、最初に思い当たった本というのが、彼の趣味であるバンド小説であったので、とても置いてそうにないのだった。
 ビデオを借りるついでに併設されている本屋があって、覗いてみるが、やはり見つからない。投資だとか占いの類はけっこう充実しているのだなあ、などと思ったが、それはまあどうでもいい。仕方ないので自分のための雑誌を数冊買って浪費しただけだった。
 ついでというのにちょうどいい機会が出来て、この機会を逃すと、なんだか先延ばしはさらに延びそうだという予感があった。決断の時である。しかしもうあえて本屋を選んでいる時ではない。限られた選択肢の中で、本を選ばなければならないのだ。
 病院の近くにあるデパートのような建物の中に、小さな本屋のようなスペースがあることを思い出した。そこで選ぶことだけを決定して、いよいよ見舞いに行くことにした。
 行ってみると、ここの文庫本(結局そういうものが肩肘張らずにいいだろうと思った)は出版社別でなく、著書名の五十音順に並べてあるのだった。困ったことに、その時は出版社と書名は覚えていたが、どうしても著者名が思い出せない。仕方がないから隅から順に眺めていくことにした。二三冊系統の違う軽めで面白いものがよかろうとは思っていたが、その二三冊が意外に無い。それに当初の目的の本は当然のように無いのだった(今は著者名を思い出しているが、その人の他の本まで無かったことは確かである)。
 実は病院の近所に僕だけ降ろしてもらっていて、後で迎に来てもらうことになっていた。しかし、時間が限られているというのはいいことである。決断しなければならない後押しにはなるからである。結局目に付いた奥田英朗の小説と福岡伸一の啓蒙書の二冊を選んだ。充実した選択とはいい難いが、限られた選択としてはまずまずだろう。これでつげ義春の文庫になった漫画がつけば、もっとよかったのだが…。
 悩んだわりに、行ってみると本人はそれなりに元気そうでなによりだった。手術は思ったよりつらかったらしいが、最悪のものではないということで、後数ヶ月で退院は出来るだろうとのことだった。ちょうどご両親も面会に来ていたばかりだそうで、参考書(何のものかは聞か無かったが)とか、そういうものは頼んであるという。漫画も読んでいたが、だんだん疲れてきたともいう。まあ、そういうものだろう。
 今は患者の気持ちが分かるというか、病院の都合と個人の心理の行き違いに、自分でも凹んでしまう(若者はこのように反省することを言うらしい)ことが多いという。そのような体験が糧になってくれるといいのであるが、それは退院してからの楽しみとしよう。
 ベッドサイドに鴎外や町田康の本があるようだった。それなら僕の選択でも読めることだろう。あんまり悩むこともなかったなあ、それなりに健全な奴だなあ、と思ったことだった。
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専門違い

2008-09-13 | ことば

 テレビで野球を見ていたら桑田真澄が解説していて「気合いの入ったストレートは、もう一つの変化球」だと言っていた。意味として分からないではないにしろ、ストレートは変化球ではないものを言うのだと思う。桑田は頭がいいのではないかといわれていたように記憶するが、今回の解説を聞いた印象では、面目丸つぶれという感じもした。ピッチャーの心理として分からないではないものもあるにはあったけれど、まったく合理性は感じられなかった。
 それにしても(元)野球選手は確かに野球の専門家ということにはなるのかもしれないが、解説者としてふさわしいかは別の問題である。まあ、それは野球に限ったことではないにしろ、向かない人がタレント性として解説をすることが多すぎて、テレビの解説はかなり失敗していると思う。慣れということもあるかもしれないが、アナウンサーがいなければどうなるか分からない人もかなり多い。テレビ観戦ではそういう変なものを含めて楽しむものかもしれないが、ほとんどの場合あまりにひどいので、観るのが苦痛になることの方が多い。視聴妨害のための存在というのは問題なのではなかろうか。
 しかしながらそれなりに解説の適切な人もいることはいた訳で、大矢さんなどはなるほどと思わせられることが多かったが、監督をするとチームは低迷するのであった。
 BSを見ていると時々高橋直樹さんが解説している。この人は本当に野球を知っているのか疑わしいことを言うのだが、どうも本当は知っているらしい。こういう人が野球では一流であったというがどうしても信じがたいのだが、事業家でもあるらしく、頭の良し悪しで人生は成功しないということがよく分かるのである。
NHKの大島さんはひどいが、選手の時は面白い人だった。しかし解説も監督もどちらも酷い。よくこれで生きていけるものだと感心する。が、やはり解説はやめた方がいいと誰かが忠告すべきであろう。
 なんという名前の人だったのか失念してしまったが、すでに亡くなった人だと思うが、大リーグ解説で、この選手のお父さんは、などと教えてくれる人がいた。こういう人こそ解説者なんだよなあ、と感激したものだが、しかしこういう人が後に続かない。野球解説はある程度の選手の人となりとか、ちょっとしたトリビアを織り交ぜて解説してほしいものだと思うのだが、そうではないのか。監督の采配などは見ている人間が勝手にああだこうだいうものであって、そういうことを解説者がいう必要などはまったく求めていない。事実そのようなことを積極的に言うような人は、監督になっても自分自身はかなりおかしなことをしたりするわけで、ベンチとスタンドでは見方が違って当然である。
 考えてみると野球解説者の多くは、テレビの視聴者が雑談している程度の人を選びすぎるからこうなってしまうのだと思う。またテレビ局の方針がそうなのかもしれない。だとしたら、視聴者はずいぶんなめられたものだという気もする。また、選手時代にそれなりの成績をおさめた著名な人が多いから、なかなか忠告する人もいないのかもしれない。
 しかしながら解説者というのは、やはりそれなりに専門性があったほうがいいと思う。文芸批評などのことを考えると、小説家より、明らかに批評家というような人が適切な場合が多い。当事者と解説者は、やはり別の才能と努力が必要なのではないか。しゃべりの上手い下手はあるだろうが、たとえばスカウトマンが引退した後解説者へ転向するなど、面白そうではないか。少なくとも、今のような工夫のない人選が続くことは、野球の面白さを伝える努力に欠けることには違いなかろう。
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後手の持ち時間は?

2008-09-12 | 時事

 与謝野支持が13名でトップと書いてあるので何のことかと思ったら、官僚のアンケートだった。増税が現実的だと考えているのは、仕事をする原資だから当然だろう。まあ、政治がどうこういじっても、本当に経済が良くなるかなんてわかりはしない。何をやっても見方を変えると害にしか見えないような事をするのがマスコミで、麻生を揶揄するにはこのような視点しかなかったのかもしれない。ということは、現時点で限りなく麻生だということが分かるわけで、麻生と小沢の一騎打ちということなんだろう。負け戦なんだからそれでいいかということなのか。しかし、権力というものは必ずしも世論とは一致しない。今までは愚民だったから何十年も居座われたのだが、もう後はない。少なくとも一番怖がっているのは官僚であるということなのだろう。また、小池で再編という話はどうなったのだろう。いや、あくまでこの後の話ということなんだろうか。何にしても早いところ選挙をやんないかな、というのが正直なところではある。単に今は先送りの停滞であることに変わりはないのだ。

 それにしても三笠フーズはやってくれたものだという感じだ。ここまでくると誰も彼もあきらめるよりない空気が漂ってきた。どんどん捨てられてまったくエコロジーだよ。サブプライムローンというのはこのような金融商品だったということも図式としては分かるわけで、どんどん連鎖して被害が拡大してどこまで膨らんでいくのだろうか。どこかで手を打たなければ、山火事は広がり続けるだけだと思う。
毒性のことがいわれているけれど、早い段階で極めて関係がないことはすでに分かっている。三笠の方もそこまで健康には被害がないと確信してやっていたわけで、やはりそのために罪の意識も薄くなったのかもしれないとは思う。プロの仕事すぎて、結局やりすぎてしまったわけだ。安すぎてとても採算が合わないために、他の業者が見向きもしないものを電話一つで買い取ってくれたという証言もある。業界ではかなり以前から怪しいとはいわれていたらしく、まあ、触らないでおこうという範囲を超えてしまったのだろう。分からなかったというより、分かりすぎていたのかもしれない。しかし結末は本当に分からなかったのか。いづれ担当が変わる仕事の恐ろしさである。

 金正日以後の動きが騒々しくなってきた。権力が息子たちへ移行するか、側近か軍か事実上の夫人へか、などと憶測は飛ぶが、中国ロシア米国次第なのは間違いがない。面白がるのは不謹慎だが、軍事バランス次第ではじける感じがしている。当事者韓国においても、一緒に沈没する恐怖から逃れられないだろう。統一して支えられるほど甘い話ではない。できれば先送り、ということが続いて現在のバランスになっていることは間違いがなく、絶好のチャンスなのに判断を決めかねているようにも見える。しかしながらここに来てもよそ事である日本というのはどうなんだろうか。拉致問題以外は別モノなんてやはり寝ぼけるのか。今が仕事の時だと外務省が思っているのかどうなのか。
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ファシズムの萌芽

2008-09-10 | 時事

 朝のテレビを見ていると横浜の禁煙条例のニュースが流れていた。居酒屋やパチンコ店などの遊技場でも猶予期間があるにせよ、完全分煙の実施を義務付けるという。受動喫煙の被害を食い止めるにはこれしかないと訴えていた。
 素直にあきれたのだけど、ファシズムの指導者には自覚がないので行くところまで行かざるを得ないということなのだろう。これで子供にいじめをなくそうなどとよく言えるものだ。ああ、いかん、現代人に分からないことを言ってもしょうがない。馬鹿につける薬はないのだった。
 しかしながら世の中というのは、つくづく強いものが勝ち続け弱いものは苦しめられるしかないのだなあと思う。一見正義というか善意の塊のようなものが湧きだして蔓延していくと、底辺でなんとか頑張っていた人たちがふるい落とされていくのである。落ちる人たちがそれなりに増えていくと、初めてその被害の方に目がいくものらしい。その時はすでに巨大なライオン以外に生き残ってはいないのだろう。
 根絶のためのコストとミニマムのためのコストということも考え方に入れた方がいいと思う。というか、これは自然に経験的に分かるしかないのだろう。つまり今の現代人の感覚というものが、どんどん幼稚化していっているような気がしてならない。自分で判断しないし、自分で行動を決められないので、ますます社会へその判断をゆだねてしまう。しまいには集団ヒステリー化して、暴走を招いてしまう。
世の中の関係性というものは、あくまで相対的な複雑なもので成り立っている。絶対的に正しいというのは、宗教なのである。もちろん言いたい事を言う前の根拠は科学であると考えているフシはある。しかしその科学を取り扱っている人が誤解して政治化するので、すでに科学的態度を見失っている。もちろん個人差があるので一概に言えないのだが、そうであればこそ、一方的に走ってはいけない。そのうえ大人なら反省できるが、幼稚なので反省もしない。
 間違いなく言えるのは、迫害する方もされる方も、ますます先鋭化するよりなくなったことだろう。血なまぐさい世の中になったものである。
 日本が自殺大国なのは、逃げ場がないということに尽きるのだろうなあとも思う。もちろん禁煙だから直接死ぬという意味ではない。個人を追い詰める無自覚な冷たさというものが、このような空気に含まれているということだ。唯一の救いは、今だに成熟社会でないということが証明された訳で、努力の余地が残されているということだろう。もちろん、その前に破滅しなければの話なのだが…。
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前向きないい加減さ

2008-09-09 | ことば

 沖縄に行くとはっきり感じることだが、かなり島の人たちのアクセントは違う。何が違うかというのは活字でうまく言えないが、抑揚なく平坦にそれなりに長いセンテンスを棒読みして、最後に「ヨネ」と語尾を結ぶか、やはり最後に「サー」と語尾を下げるとなんとなく真似できる。なんとなく真似だから、現地の人には不満が残るだろうが、地方の人にはそれでなんとなく理解はしてもらえるだろうと思う。内容的には前向きなんだが、ちょっといい加減な受け答えだと、もっと感じが出てくる。例えば、どうしようかと相談すると、「やってみればいいサー」とか「なんとかなるサー」という感じ。決して「それじゃあダメサー」とか「もう少し考えた方がいいよ」とは言いそうに無い。いや、実際はそういうことも現地の人は言うには違いないのだが、圧倒的に言いそうに無い。
 沖縄の方言って面白いですね、というと
「そうね、おじーおばあの言葉は僕らでも分からないサー、だからみんな普通は標準語じゃべっているよ」とおっしゃる。
 うーん、それは意味が分からないではないが、たぶんそのアクセントも方言の一種だと僕は思う。分かっている人は自分で抑揚を抑えて読んでみてください。
 まあ、しかし標準語といえば、他の地方だって今やほとんど標準語ではある。下手な地方都市より、東京下町の方がアクセントはきついぐらいかもしれない。まあ、標準語なんて言葉があるのも日本ぐらいのものらしいから仕方のないことだが、それは脱線するのでやめよう。
 那覇ではそこまでは感じなかったのだが、石垣に渡ってくる頃には、一同なんとなく抑揚の抑えられたアクセントに染まっていく。もちろんそれなりに意識してはいるが、考え方はかなり島んちゅうである。
 例えば飯は何食おうか、という話でも、「目についた店に入ればいいサー」とか、「出てきたものを食べたらいいサー」という具合になってしまうのである。具体的にはあんまりすぐには決まらないにせよ、それじゃあ食うか、という行動にはなるので不思議だ。

 石垣の最終日はレンタカーで島を回ろうということになった。ホテルでタクシーを呼んで荷物を積んで乗り込んで、ワイワイ雑談しながらしばらく行ったところで、
「レンタカーの店の電話番号わかる?」と運転手さん。そういえばホテルのフロントで道を聞いていたようだった。
「運転手さん、場所わかんないの」
「いや、場所はわかっているよ、ただねー、着いてからもし違ったら、電話した方がいいと思ってねえー」だって。それってやっぱりどうなの、と思うが、なんとなく憎めない。終いには、だいたい島めぐりをするんだったら、レンタカーよりタクシーにした方がいいさー、と持論を延々とぶちだして煙に巻いてしまった。そりゃあ、立場としてその方がいいのは理解できるが、ここまでくると逆に流石だなあと感心してしまう。結局無事にレンタカー屋は見つかったのだから、まあ、いいのである。それにこの運転手さんはやはりいい人で、同乗していた仲間がこのタクシーに携帯電話を忘れたのだけれど、ちゃんとレンタカー屋に届けておいてくれたのだった。基本的には親切なのではあった。
 ところでそうやって観光してレンタカーの旅を終えると、こんどはレンタカー屋のおじさんが「ああ、荷物は降ろさなくていいよ」という。
「そのまま空港の駐車場に鍵を掛けたまま停めておいてね、後で取りに行くから」なんだそう。
「だいじょうぶ、島には車盗る人なんていないサー」
そういう訳で、なんとも、最後まで愉快な気分にさせられたのであった。
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黄色いだるまそば

2008-09-08 | 
 時系列に書くべきかどうか悩んでいたが、まあ、行き当たりばったりである。記憶の新鮮なうちにメモしておくのは自分のために良いことである。
  
 ということで今となっては、いったい何日前に那覇空港に降り立ったのかさえよく分からないほど昔に思える。しかし着いてすぐに飯を食おうということになったのは、昼ごろだったからだ。宿泊のホテルとは違うのだけれど、会場となるホテルの側に旨い沖縄そばの店が無いかと運転手に聞いたら、ものすごく都合がいいと言われた。店の名前は確か「だるま」だったが、後で聞くところによるとそういう名前の店は他にもあるらしい。相当に有名店であるらしいから、黄色い方だといえば、たぶん間違いなかろう。
 昼少し前だったが、既に満席。こちらも人数がいたけれど、次々に人がはけていって、席が空いたら食券を渡し、ほとんど一分程度ですぐにそばが来た。男ならソーキそばだろうと誰かが言って、その通りソーキそばにしたのだけれど、骨付きの肉の塊がゴツゴツ乗った見事な丼そばが出てきたのだった。島とうがらしを垂らすというか、それなりに掛けて、さっそく麺を食べようとしたら、その肉の塊が邪魔をして上手く食えないほどのボリュームである。仕方がないので肉の方から食うことにしたが、ひと塊り食ってもまだいくつか沈んでいる。骨がするりと抜けるぐらいやわらかく煮込んであって、コリコリの軟骨まで楽しめる。まあ、実際には大味には違いないのだけれど、甘みもあって妙にあとを引く感じだ。麺の方も同じく、いわゆる洗練された上品さのかけらもないのだけれど、適当なコシと不思議なマズうま感があって、いつまでもズルズルしていたい。どんぶりの大きさはそれほどでかいものではないにしろ、後から後から麺が湧いて出るように詰まっていて、結構な食べ応えであった。なるほど出汁も、主張が無いようでどうしてしっかりしている。いわゆるこってりラーメン好きにはどうなのかということで、むしろあっさりさっぱりしながらやはり後を引くのである。うーむ、素晴らしい、というような感動がそこはかとなく湧いてきて、こういう店が近所に欲しいと思わずにいられない気分である。
 後に客がつかえているので、食ったら慌ただしく席を後にしたのだけれど、店の外に出てから皆顔を見合せてニヤニヤしてしまうのだった。まあ、なんといっていいか、大感動して走り回りたくなるようなことではないにしろ、いいものを食ったものだなあというようなうれしい共有感がその場を支配し、沖縄に来た喜びと開放感がにじみ出てくるのだった。
 しかし外はギラギラと暑く、目の前に見えている会場のホテルに荷物を持って歩いていくだけでダラダラと汗を流してしまった。それから数日真面目なお勉強が続き、このソーキそばを食ったしあわせな気分は、しばらく恨めしいような期待値をはぐらかされることになったのだった。それが今回の出張の始まりで、ある種のトーンを決定づけた。
 沖縄というところはこのソーキそば(と、もちろん店そのもの)のように、不思議な魅力を携えて確かに存在しているが、少しだけズボンからシャツがはみ出しているような、ちょっとしまりのないところがある。いや、それだから心をつい許してしまって、引き込まれていくことになるのかもしれない。お土産で持って帰っても、きっとこのような味ではないのだろうことはよく分かっていて、また、機会を見つけてここに来るしかないのである。困った場所には違いないが、絶対にまた来られないという場所でもない。いや、だからこそ本当に困った場所なのかもしれないのであった。
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浦島状態ともいう

2008-09-08 | 雑記

 更新してなかったのは不在だったからだ。なぜ不在だったかというと沖縄に行っていたからだ。前半は純粋に出張だったが、羽を伸ばして石垣まで行ってきた。そうこうするうちに、島の空気が僕の体に伝染してくるような感覚になってきて、自堕落な気分に支配されていくようになった。それも大変機嫌良く。
 八重山病というものがあるらしいことは聞いたことがある。しかし僕は最後には家に帰りたくなった(正直日程的にあわただしく疲れた所為だろう)ので、必ずしも罹患しているようではないのだが、なんとなく語尾に「サ」とか「ヨ」とか入れたくなる。ちょっとあぶないかもしれない。しかしすぐに仕事の方が詰まっていることが当たり前だが判明して、少しめまいがしてきた。これも考えようによっては危ない。考えないために、目先のことをやることにする。
 ああ、そういえば帰ってきてからオリックスが二位になっていたのが一番驚いたのだった。新聞さえろくに読んでなかった(もともとスポーツ欄はあんまり読まないが)のだというのも改めて気付いたのだった。(この項、たぶん続く)
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準備体操の用意を

2008-09-02 | 時事

 まあ確かにびっくりしてしまったし、責任論というのが跋扈することもそうであろう。びっくりしたのは理解不能だし、素直に驚かされたからというのがほとんどということだろう。普通ならありえないことが起こってしまった。それもなんともあっけらかんと言う感じというか、タイミングがどうとかいうけれど、あまりにも唐突だ。
 しかし、ちょっと冷静に考えてみると、彼のもっとも重大な責務は次の選挙をどうするかということについてのクッションであった(あくまで党内事情だけど)ことは間違いがなく、その間に何か政策的なアイディアがあったのかというと、それは素直に読んで限りなく疑わしい。いや、最初の大連立構想がそれだったということで、それだけだったのに空振りに終わったということで、もうカードは尽きたのかもしれない。しかしそれでも解散権が首相にないのだということがこれで明らかになったわけで、事実上彼は首相ですらなかったということなのであろう。幹事長がいるのに選挙対策委員長というような役職が生まれ、党の四役などということになった時点で、なんかおかしいなあとは思っていたのだけれど、この国のこの党の組織というものは、極めて特殊な集合体であることは間違いがない。なんだか中国共産党みたいだ。まあ、それがアジア的な政治体制ということなのかもしれない。連ドラの篤姫の時代のものを見ても、今の政治と基本的には変わらないように思えるので、アジアの伝統的政治の姿というべきか。
 記者会見を見て感じたのは、こういうときでもペーパーなんだなというのが第一だった。不祥事の謝罪会見ということか。質問を受けてから少しやはり言葉が生きてきた感じがして、官房長官の時もそうだったけど、人としてはそんなに悪くない人なんだろうとは思う。しかし、やはり最後の質問に対する「他人事のように」という言葉に激しい怒りを表したところを見るにつけ、自分自身の献身や、あるいは滅私というような立場であったことの葛藤の表れではなかったかと考えてしまうのだった。「あなたとは違うんです」と、それこそどうしてこの記者とは(自分は)違うと断言できたのか。首相という立場において、いかに自分が特殊な苦労を強いられてきたにもかかわらず世間一般の人間の変わらぬ無配慮に対してのいらだちであろうし、やはり、彼なりの最大の仁義を果たす形が(まわりはやはり理解できないにしろ)このような形であるという自負なのであろう。
 素直に読むと、やはり次の選挙は限りなく任期満了で行う以外に選択がなかったわけで、事実上今解散したところで、その不確実な未来より少しでもいい材料などないのだから、結局は自分以外の人間にその機会を託すというのが、精一杯の自分なりの誠意ということを言いたいのかもしれない。もちろんそれが世間一般の認識とは大きく違うにせよ、福田さんの考える倫理観ということが言えるだろう。そのような狭い倫理観が、このような世界的にも少なからず影響がある立場にある場合でも決定的に優先されるということが、限りなくムラ的な感じがするにせよ、どの道首相という立場がそのようなものにすぎないということは、逆に永田町では常識なのかもしれず、何か決定的な終焉さえ予感させられたのであった。確かにこれは何かの終わりの象徴であることは間違いがない。後になって考えてみると、この事件はそのメルクマールとして思いだされるのではないかとさえ思う。今までも数多く日本の政治にはそのような閉塞感を味あわされてきたのだけれど、本当にもう先がなくなったのだということが決定的に理解させられたということを考えると、これ以上の演出はなかなかないのかもしれない。
 僕はある意味で楽観主義者なので、たとえそれが終わりの絶望の象徴だとしても、変わるんならそれでいいかとも思う。もう誰も期待できない閉塞感なんだという怒りもあろうが、それが日本沈没以後の世界であるのであれば、その世界で生きるより仕方ないではないか。やはり泳ぎは覚えておこうというのが、またしても結論だったりするのだった。
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あこぎな会社にしてやられる

2008-09-01 | 雑記

 息子たちが念願のWiiを買って遊んでいる。既に彼らの友人たちは持っているらしく、一番後発組なのだが、Wiiを買ったというと「早っ」と言われたという。どういう意味かというと、買いたいという思いが強くなってから購入する期間のことでは、早く購入できたということらしい。どこの家庭でも子供が欲しいといいだして、それなりの期間の葛藤があるらしいことが分かる。我が家では、すでに子供たちの方がそれなりの資金力を持っており、親としてはどの時点で足りない分の資金援助をすべきかというものが購入までの期間を決定する最大要因となる。僕は基本的に子供の要求に甘い(つまり意志が弱いというか、無責任なのかもしれない)ので、夏休みの宿題がすべて済んだら買ってもいいのではないかと考えていた。しかし上の子の試験の日程のことなどもあり、しかるべき時期は今に持ち越されることになったらしい(決定権は母親である)。非常にまっとうな判断だと思われるが、そのように決定がなされた後にも、毎日のようにWiiを買う騒動は続き、僕としては任天堂という罪深い会社を少なからず恨んだ。マリナーズを買収した勢いで、そのまま米国の会社になればよかったのである。
 しかしながらWiiが我が家にやってきた影響は少なくなく、さっそく居間のテレビは占拠されてしまった。そういえば今までは携帯用のゲーム機を中心に遊んでいたので、このようにおおがかりに居間を占拠するという感覚に乏しかった。いや、いつも居間にいてソファーに寝そべったりしてゲームをしていたので、日常風景としてはそんなに変わりがないはずなのだけれど、テレビの占拠という行動はそれなりに大きなインパクトがあるということのようだ。いや、今までだってテレビはつけっぱなしでゲームをしていたのだから変わりがないようだけれど、Wiiというゲーム機は、身体の動きを伴って遊ばれるので、テレビの画面のみならず、子供たちの動きまでも目に飛び込んでくることになる。いづれにしても、居間を占拠するインパクトはまさにゲームがウチにやってきたということを激しく主張し、生活スタイルそのものを大きく変えさせる予感のさせられる重大さを匂わせた。
 そのようなもろもろとともに、参加型の遊びも多くて、一緒に遊べとうるさいことにもなる。いや、正直に言うと一緒に遊べるというのはこちらとしてもうれしいという感情のわくことも正直なところで、一緒に遊ぶというと、ゲームをするという行為に免罪符を与えてしまうような気もしないではないし(事実そのようにふるまっている)、子供のように上手く操作できないであろう遠慮もあって、ぎこちなく気恥ずかしいのであるが、遊びだすとそれなりに楽しいのは事実であり、いつの間にか力を入れてゲーム機の一部を振り回して興奮したりして、後で少し自己嫌悪に陥る。やはり任天堂は罪深い会社である。
 このゲーム機の困ったところは、スポーツをさせるということになってやたらに肩がなどが痛くなることである。下の子は小学生だが、肩を揉めとか腰を揉めとかうるさく要求する。仕方なく揉んでやると、痛いからもう少し考えて(弱く優しく)揉み直せという。そうして何時までも揉ませられることになって、これで親子の関係がよくなるというのだろうかという疑問まで生まれて、確かに僕の方だって肩がこっているわけで、しかし、子供の力で揉んでもらってもちっとも気持ち良くはなかろうということも分かっており、不条理な状態を嘆くことになったりする。重ね重ね罪深い現象を強いるあこぎな会社であるのは任天堂だと思った。
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