怪我をして入院している部下の見舞いをどうするのかとしばらく考えていた。入院してすぐに一度見舞いには行っているので二回目である。長期化することは分かっており、既に三回目の手術が行なわれたばかりであるという。ついでがあるときに寄ろうとは思っていたのだが、そのついでがありそうな時に、本当についでによることはあんがい難しい。その第一は、手ぶらだとやはり行きにくいということだ。いや、顔を見に行くということが第一の目的であるのだから、本来はそのまま寄ったほうがいいのかもしれないとは思う。お見舞いということでは既に済ませてあるのだから、何も遠慮することは無かろう。しかし立場としては友人というわけでもないから、そういう気安さということを実際に行動に移しづらいということもあるのかもしれない。相手が僕の面会を死ぬほど望んでいるとも考えづらいが、かといって間が開きすぎるのもなんとなく気まずい感じもしないではない。考え出すと身構えてしまうことばかりで、そうしてずるずると日時を浪費する。
若い人間なので、最初は退屈しのぎには漫画などがよかろうと思った。聞くところによると、同僚が携帯ゲーム機を持っていったとも聞く。漫画は読むには読むのかもしれないが、意外なことに(失礼ながら)活字だってそれなりに読む人間らしいという話も聞いた。それならやはり本でも持っていくのがいちばん適当かもしれない。親元知人が毎日面倒を見ているわけでもないらしい(出身の地元が遠いのである)ので、果物や食い物なんかを自分で管理できるものかも分からない。本なら漫画ほど邪魔にならないし、読みたくなければ読まなければいいだけのことである。
持って行くものは決まったのだが、さて、その選択となるとどうしたものか。せっかくの長期入院だから、大長編がいいのではないかと思うのは、それは自分に対してのことで、どうにも自信がもてない。長編はそれなりの支持があって続いているということもあるから、いちどとっついてみる事が出来れば、それなりに有益なのだが、その取っ付きがかなわない人だと、結局は大いなる無駄となる。それに本を読むらしいからといって、その趣味傾向はまったく不明であった。
ある時ちょっと大き目の本屋で物色しようと思って帰り道遠回りしてみたが、閉まっているようだった。後で聞くと、そういえば新聞で倒産したと書いてあった系列の本屋だったようだ。これで大き目の本屋は高速道路に乗らなければ行けないことが判明した。他にある本屋は、どちらかというと雑誌屋で、ほとんど本というものを置いていない。いや、軽めの本でいいのだから、何でもいいといえばいいのだが、最初に思い当たった本というのが、彼の趣味であるバンド小説であったので、とても置いてそうにないのだった。
ビデオを借りるついでに併設されている本屋があって、覗いてみるが、やはり見つからない。投資だとか占いの類はけっこう充実しているのだなあ、などと思ったが、それはまあどうでもいい。仕方ないので自分のための雑誌を数冊買って浪費しただけだった。
ついでというのにちょうどいい機会が出来て、この機会を逃すと、なんだか先延ばしはさらに延びそうだという予感があった。決断の時である。しかしもうあえて本屋を選んでいる時ではない。限られた選択肢の中で、本を選ばなければならないのだ。
病院の近くにあるデパートのような建物の中に、小さな本屋のようなスペースがあることを思い出した。そこで選ぶことだけを決定して、いよいよ見舞いに行くことにした。
行ってみると、ここの文庫本(結局そういうものが肩肘張らずにいいだろうと思った)は出版社別でなく、著書名の五十音順に並べてあるのだった。困ったことに、その時は出版社と書名は覚えていたが、どうしても著者名が思い出せない。仕方がないから隅から順に眺めていくことにした。二三冊系統の違う軽めで面白いものがよかろうとは思っていたが、その二三冊が意外に無い。それに当初の目的の本は当然のように無いのだった(今は著者名を思い出しているが、その人の他の本まで無かったことは確かである)。
実は病院の近所に僕だけ降ろしてもらっていて、後で迎に来てもらうことになっていた。しかし、時間が限られているというのはいいことである。決断しなければならない後押しにはなるからである。結局目に付いた奥田英朗の小説と福岡伸一の啓蒙書の二冊を選んだ。充実した選択とはいい難いが、限られた選択としてはまずまずだろう。これでつげ義春の文庫になった漫画がつけば、もっとよかったのだが…。
悩んだわりに、行ってみると本人はそれなりに元気そうでなによりだった。手術は思ったよりつらかったらしいが、最悪のものではないということで、後数ヶ月で退院は出来るだろうとのことだった。ちょうどご両親も面会に来ていたばかりだそうで、参考書(何のものかは聞か無かったが)とか、そういうものは頼んであるという。漫画も読んでいたが、だんだん疲れてきたともいう。まあ、そういうものだろう。
今は患者の気持ちが分かるというか、病院の都合と個人の心理の行き違いに、自分でも凹んでしまう(若者はこのように反省することを言うらしい)ことが多いという。そのような体験が糧になってくれるといいのであるが、それは退院してからの楽しみとしよう。
ベッドサイドに鴎外や町田康の本があるようだった。それなら僕の選択でも読めることだろう。あんまり悩むこともなかったなあ、それなりに健全な奴だなあ、と思ったことだった。