出張中に風邪をこじらせてしまったらしく具合が悪い。鼻水が大量に出て、ティッシュの浪費が続いている。目がしょぼしょぼしていて、活字を追うのも調子が出ない。せっかくの移動時間も有効活用できなかったようにも思えてもったいない。
さて、年配の人と一緒だったのでそれなりに認識格差を味わいながら会話を楽しんだわけだが、僕がわかっていないのか彼らが分かっていないのか、精神的格差社会は大きいなあと思うのだった。まあいろいろあるのでいちいち取り上げていてはきりが無いのだが、彼らの多くは想像以上に先進技術に懐疑的であるようだった。先進といっても生活の中に当然のように浸透している携帯電話のようなものについて、何とかならんもんかなあ、といいながら当然のように新幹線の中で電話に出たりするお茶目さはあるのだから、本当に嘆かわしいのはどちらの方なのかという疑問はある。しかし電話より何より、あのメールというヤツがけしからん、という強い意見が聞かれた。あんなに頻繁にメールをするなら電話すべきだというまっとうな意見があって、僕はそれには同意しているけれど、明らかに僕にも向かって意見を言われている風で、非難を受ける若者代表ではないので不当な扱いを受けたような気分になって閉口した。
朝からホテルのロビーに待ち合わせていたのだが、時間より少し早く待っていたのでロビーの一角にあるパソコンでネットを閲覧していたのだが、あとから来た人が「いつでもパソコンが無いと落ち着かないのは如何なものか」と暗に僕を非難した。まあ、そういう気分的な反省は無いではないが、待ち時間にボーっとしているよりまっとうな姿勢をむしろほめるべきところではないかと思う。
帰りの新幹線の中で前の席に座っている女の人が(特にビジネス関係者には見えなかったが)パソコンのキーボードを叩いている。音としてはほとんど聞こえないし、表に何かを書き込んでいるふうで、中断も多い。しかしある一人は聞こえよがしに「移動にまでパソコンが必要とはねえ」と言った。恐らく女性には聞こえたとは思う。しかし明らかに僕らの話し声の方が音量は大きいわけだし、パソコンだけ非難するというのはまったく不当ではないかと強く思う。車内で本を読んでいる人もいるのだから、基本的には同じような行動に過ぎないと思うが、恐らくそういうローテクのものにではなく自分が扱えないパソコンに対する嫌悪であるに違いない。
知らないというのは恐怖を呼ぶのかもしれない。暗闇に何かいるというファンタジーは、実際に確かめてみて何もいない場合でも払拭しにくい。明かりをてらして確認できなければぬぐえにくい恐怖かもしれない。ハイテク技術は、その原理の説明を受けたとしても、なかなか理解しづらいものがあるということも分かる。専門性が高すぎて、その分野にある人でなければ本当には誰も分かっていないのかもしれない。しかし現実にはそこにあって活用は出来る。レンジをチンすれば食べられるように。
何も電子レンジを使わずとも調理が出来るという理屈は理解できるが、しかし火を使わずとも調理は出来るというレベル程度に不当な比較だろう。レンジを使うことで人間的な基本の能力が劣っていくわけではない。
若い人に出来て年寄りに出来ないことという線引きも、なんだかおかしなものではないかと思う。基本的にそういうことはないだろうし、ただやりたくなくなったという言い訳に過ぎないのではないだろうか。それは個人的な気分の問題であって、非難の対象ですらありえないのではないか。
しかしうまくいえないが、僕は年配の人がそういう心配をしているという気持ちはなんとなく分かる。不安に思ってしまう心理も理解できていると思う。だから素直な気持ちで誤解ですよと教えたくなるのだけれど、それを理解できる能力のある人が少ないことも知っている。諭されればされるだけ、心の鍵は厳重にかけられることになってしまいかねない。むつかしいものである。
若者の多くも年配の人を理解しようと努めていることも知っている。望若無人のように振舞っているという子供もいないではないが、ほとんどは若者の方が年配の人を大切に扱っていると思える。むしろ年配の人が若者に配慮をしない。いや、出来なくなっていっている場合が多すぎる。年をとるというのはそういうことかもしれないな、とやっと最近思うようになったぐらいだ。
しかしそういうことが分からなくなっても、依然第一線で現状の判断をし、引っ張っているのは年配の世代であることは間違いがない。それも想像以上に平均年齢は上がっていると思われる。特に日本においては、恐らく人類が体験したことが無いぐらい、重要な判断をする人たちの平均年齢は上がっている危険がある。
まっとうな指数ではないかもしれないが、世界トップだったこともある日本の一人当たりのGDPは、既に18位まで転落してしまった。その責任すら感じない世代が、今も日本の最前線にいるのである。僕にはそう思えて仕方がない。
いや、世代論で一所くたに論じたくなるのは悪い癖だと分かっている。個人差があるのだから前線で十分に戦える人がそれなりにいることも事実だろう。しかし、というのはもっと多いはずの邪魔な連中だ。少なくともパソコンが憎憎しく思えている人は要注意だろう。別にできなくたってかまわないが、攻撃したくなる自分の姿が分からなくなったら、誰かが引導を渡すしかなくなるのではないだろうか。そういう年配の人を教育できる社会になれば、もう少しまともな未来を見ることができそうなのだが…。
さて、年配の人と一緒だったのでそれなりに認識格差を味わいながら会話を楽しんだわけだが、僕がわかっていないのか彼らが分かっていないのか、精神的格差社会は大きいなあと思うのだった。まあいろいろあるのでいちいち取り上げていてはきりが無いのだが、彼らの多くは想像以上に先進技術に懐疑的であるようだった。先進といっても生活の中に当然のように浸透している携帯電話のようなものについて、何とかならんもんかなあ、といいながら当然のように新幹線の中で電話に出たりするお茶目さはあるのだから、本当に嘆かわしいのはどちらの方なのかという疑問はある。しかし電話より何より、あのメールというヤツがけしからん、という強い意見が聞かれた。あんなに頻繁にメールをするなら電話すべきだというまっとうな意見があって、僕はそれには同意しているけれど、明らかに僕にも向かって意見を言われている風で、非難を受ける若者代表ではないので不当な扱いを受けたような気分になって閉口した。
朝からホテルのロビーに待ち合わせていたのだが、時間より少し早く待っていたのでロビーの一角にあるパソコンでネットを閲覧していたのだが、あとから来た人が「いつでもパソコンが無いと落ち着かないのは如何なものか」と暗に僕を非難した。まあ、そういう気分的な反省は無いではないが、待ち時間にボーっとしているよりまっとうな姿勢をむしろほめるべきところではないかと思う。
帰りの新幹線の中で前の席に座っている女の人が(特にビジネス関係者には見えなかったが)パソコンのキーボードを叩いている。音としてはほとんど聞こえないし、表に何かを書き込んでいるふうで、中断も多い。しかしある一人は聞こえよがしに「移動にまでパソコンが必要とはねえ」と言った。恐らく女性には聞こえたとは思う。しかし明らかに僕らの話し声の方が音量は大きいわけだし、パソコンだけ非難するというのはまったく不当ではないかと強く思う。車内で本を読んでいる人もいるのだから、基本的には同じような行動に過ぎないと思うが、恐らくそういうローテクのものにではなく自分が扱えないパソコンに対する嫌悪であるに違いない。
知らないというのは恐怖を呼ぶのかもしれない。暗闇に何かいるというファンタジーは、実際に確かめてみて何もいない場合でも払拭しにくい。明かりをてらして確認できなければぬぐえにくい恐怖かもしれない。ハイテク技術は、その原理の説明を受けたとしても、なかなか理解しづらいものがあるということも分かる。専門性が高すぎて、その分野にある人でなければ本当には誰も分かっていないのかもしれない。しかし現実にはそこにあって活用は出来る。レンジをチンすれば食べられるように。
何も電子レンジを使わずとも調理が出来るという理屈は理解できるが、しかし火を使わずとも調理は出来るというレベル程度に不当な比較だろう。レンジを使うことで人間的な基本の能力が劣っていくわけではない。
若い人に出来て年寄りに出来ないことという線引きも、なんだかおかしなものではないかと思う。基本的にそういうことはないだろうし、ただやりたくなくなったという言い訳に過ぎないのではないだろうか。それは個人的な気分の問題であって、非難の対象ですらありえないのではないか。
しかしうまくいえないが、僕は年配の人がそういう心配をしているという気持ちはなんとなく分かる。不安に思ってしまう心理も理解できていると思う。だから素直な気持ちで誤解ですよと教えたくなるのだけれど、それを理解できる能力のある人が少ないことも知っている。諭されればされるだけ、心の鍵は厳重にかけられることになってしまいかねない。むつかしいものである。
若者の多くも年配の人を理解しようと努めていることも知っている。望若無人のように振舞っているという子供もいないではないが、ほとんどは若者の方が年配の人を大切に扱っていると思える。むしろ年配の人が若者に配慮をしない。いや、出来なくなっていっている場合が多すぎる。年をとるというのはそういうことかもしれないな、とやっと最近思うようになったぐらいだ。
しかしそういうことが分からなくなっても、依然第一線で現状の判断をし、引っ張っているのは年配の世代であることは間違いがない。それも想像以上に平均年齢は上がっていると思われる。特に日本においては、恐らく人類が体験したことが無いぐらい、重要な判断をする人たちの平均年齢は上がっている危険がある。
まっとうな指数ではないかもしれないが、世界トップだったこともある日本の一人当たりのGDPは、既に18位まで転落してしまった。その責任すら感じない世代が、今も日本の最前線にいるのである。僕にはそう思えて仕方がない。
いや、世代論で一所くたに論じたくなるのは悪い癖だと分かっている。個人差があるのだから前線で十分に戦える人がそれなりにいることも事実だろう。しかし、というのはもっと多いはずの邪魔な連中だ。少なくともパソコンが憎憎しく思えている人は要注意だろう。別にできなくたってかまわないが、攻撃したくなる自分の姿が分からなくなったら、誰かが引導を渡すしかなくなるのではないだろうか。そういう年配の人を教育できる社会になれば、もう少しまともな未来を見ることができそうなのだが…。