街とその不確かな壁/村上春樹著(新潮社)
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだのは、高校生のころだったと思う。父と本屋で待ち合わせしていて、ついでに買ってもらった(ラッキー)。当時は分厚い本だと思ったが、夢中で読んだので、長いとは感じなかった。この作品のもとになっているとされる中編の作品は、もちろん読んだ事は無かったし、その存在も当時は知らなかった。もともと村上春樹は、それなりに売れている作家だったし、僕のように若い世代から、それなり以上に支持されている作家だった。もっともその二年後に「ノルウェイの森」で化け物的な人気を博する作家に変貌してしまうのだが。
そうしてずいぶん時を経て、この「不確かな壁」の長編を読むことになった。昨年の春には予約して購入していたのだが、頭のところを少しだけ読んで、どういう訳か放り出したままにしていた。そうして一年余りして、こうして再び手に取って読むことになった。今年はそんなに寒い冬ではなかったが、やはり内容的には、冬に読んだ方が結果的には良かったのかもしれない。そうして春になって読み終わり、これは確かに僕にはあった読み方だった。忙しさと持ち運ぶには不向きな本だったので、移動にはもっていかずに読んだので、やはり時間がかかってしまった。でもまあ、そんな感じでスローに読めて、それもこの作品の読み方にはあっていたのかもしれない。あくまで僕にとっての事ではあるのだが。
感想を書こうと思っているのに、やっぱり村上春樹の文体に引きずられている自分に改めて気づかされる。凄い魔力である。普段の別の文章は、おそらくそんな感じにはならない筈なのに、村上作品を読んだことを考えてながら書くと、やっぱり村上魔術が僕にとりついてしまうようだ。そんな感じに影響力のある本であることは間違いなくて、少し十代にさかのぼった僕の精神をも、味わうことができた。しかしながら実際の僕の年齢はかけ離れてしまっているので、感覚としての肌触りのようなものは、かなりの抵抗も感じないではなかった。そうではあったのだが、気が付いてみるとそっちに引っ張られてしまう自分がいて、覚醒すると不思議なのだ。魔力というのはそういうものであろう。
何やら複雑なうえに、象徴的な物事ばかりで、そうでありながら実際のストーリーは進んでいく。よく分からないながらも、ちゃんとわかるように丁寧に描かれている。そういう矛盾したものがありながらも、物語の中の周辺の人々にはもっと気の毒な感じがしないではないまでも、そうならざるを得ない物語なのは理解できる。それは僕らにはどうしようもないことだし、読む側が何かをできるものではない。可哀そうな人々は報われることはないけれど、主人公たちは何かをつかむことができるかもしれない。そうはならないかもしれないが。
まあ、なんというか、そういう小説である。読んでいる時間は楽しいので、そういう時間を共有するための物語なのだろうと思う。とにかく不思議なところには連れて行ってくれる。楽しいと書いたが、遊園地的な楽しさではないので気を付けるべきだが、文字通り楽しいというのは、遊園地的な楽しさばかりではないのである。物語に浸って分からなさを楽しむ。たぶんそういう事なのであろう。