クイール/崔洋一監督
ある盲導犬の一生の物語。盲導犬として生まれてくる犬というのは厳密にはいないのかもしれないが、そのようにして運命づけられた犬というのはいるのかもしれない。擬人化して物事を考えていくのは必ずしも本来の理解にはつながらないこととは思うが、このクイールという盲導犬の一生は、何となく平凡な人が坦々としながらもさまざまな運命に翻弄されて重責を担っていくような印象を受ける。それで良かったのか悪かったのかは分からないのだが、そのクイールのおかげで、活き活きと生きることが出来た人たちがたくさんいたのだということにはなるのだろう。それは必ずしもクイールの望んだ意思では無いのだろうが、クイールはそれをそのまま受け入れて生きていったのである。
子犬時代の無垢な可愛らしさから始まって、盲導犬として選ばれていく過程や、その後の訓練や働き出してからの姿が、本当に坦々と語られていく感じの一生を追って行く。映画だから演技ということにもなるのだけど、演じているという意識なしにその場その場を生きている。そういう姿がどういう訳か、心を打つということになる。変な演出抜きにして、そのような真実らしい姿こそ、本当にジワリと響く力を持っている。狙いといえばそうなのだろうが、お涙ちょうだい物語で無い作りだからこそ、純粋に生きるクイールの生涯が、人間の心に訴える力を大きくしているのである。そのような純粋さが、無垢な犬の演技に見事に表現されているのではなかろうか。
むしろ人間の方が妙なのである。人の方がいろんな思惑を持っており、そして一筋縄ではいかない。犬はそれに合わせるより無いのだが、もちろん文句ひとつ言わない。ひょっとすると重圧のようなものがあるのかもしれないのだが、むしろ飄々としているようにさえ見える。しかし肝心なところでは、しっかりと人間を見据えて支えてくれている。それは訓練された人間の都合による仕草なのだが、その信頼の厚さに、人間の方が心を開かされて行くのである。本当に偉いのは誰か。むしろ答えは明白だろう。
動物を使った映画といのは、必ずしも成功していないものが多いような気がする。興行的に成功するものであっても、それは子供連れの親子の動員が容易だとかいうような都合でヒットしてしまったということなのではあるまいか。この映画は、あんがい地味な作りなのだが、そのような映画とは一線を画することで、かえって成功していると感じる。もちろん好みもあるのだろうけれど、僕としてはこのような作りに好感を持って観ることが出来た。そしてそのような視点でクイールの一生を追うことで、観るものが得られるものも確実に大きくなるのではないだろうか。