グランド・マスター/ウォン・カーウェイ監督
カンフーファンには伝説の人として知られる葉問(イップマン)の波乱の人生と、彼を取り巻くカンフー社会の達人たちの様々な人生を再現した物語。カンフーには様々な流派があり、それぞれに勢力をもちながら世代交代を重ねていた。そうした流れの中にあって、将来的には廃れてしまうのを恐れて、それぞれの流派の素晴らしさを取り入れながら、統一したほうが良いと考えている大家の派閥があった。凄まじく腕は立ちながら、そのようなカンフー界の政治的な輪の中に必ずしもいなかったイップマンだったのだが、才能に満ち頭角を現した腕を買われて、その権力闘争の渦の中に紛れ込んでいくのだったが…。そのうち状況は戦火にまみれ、中国全土にわたり、きな臭く不穏な空気に包まれていくのだった。当然ながらクンフーたちは、その流れの中で、数奇な運命に翻弄されていくのだった。
カーウェイ監督独特の形式美の生きた作品。科白は哲学的でかつ衒学趣味満載で、言っていることが正確には計りかねるわけだが、それがまあ、伝説的な人物をあらわすには好都合になっていた。凄い人たちのレジェンド的な輝きが、今にも伝わってくる内容になっている。格闘シーンもたっぷりとあり、素早く切れも良い。さらにスローモーションなど効果的に使われていて、その速さと遅さの強弱が見事だ。また、小道具が激しく壊れるなど、重厚感のある格闘演出がなされている。このような演出は、明らかにグリーンディスティニー以後の格闘技の映像美はとして定着したのだな、という実感があった。一種の芸術めいていて、実に感心させられる見事な映像美である。
結局イップマンは、育ちが良く金持ちすぎたようだ。戦争に巻き込まれて、財産を失い困窮すると、家族も養えなくなり、生活力が無いまま破綻してしまったようだ。何とか自分一人だけでも生きながらえるために、カンフー自体を教えることになり、それがのちの映画界のスターを生んでいく、ということにつながったのであろう。後日談が語られているわけではないが、その一人がブルース・リーで、彼が後に半生を語るようになり、その師匠であるこの映画の主人公のイップマンが、再注目されることになったからである。
イップマンだけの半生を映画にしたものではなく、多少群像劇めいているが、格闘家の技の伝承というものが、人生を翻弄することであるというのは、よく見て取れた。実際にこれまでも、実に多くの流派が、皆に知れることなく消えてしまったことだろう。そういう物悲しさも含め、感慨の深い作品なのかもしれない。