村上レディオで、猫がお手やお座りができるようになった人の話を聞いて、村上さんが驚き、かつ、違和感を覚えて戸惑っていた。以前比喩で、「猫にお手をさせるくらい難しい(まずは無理だということでしょう)」という比喩を使ったことがあるし、「猫は犬じゃないんだから」と言っていた。まあ、ずっと猫を飼っている人として、体験的に、ちょっとそれは無いんじゃないか、という思いがあるのだろうことは理解できる。しかしながら、そういう感じや感覚というのは、聞く側の人間としては、やはりなんとなく引っかかる。
猫がお手やお座りをする(芸を覚える)というのは、それなりに昔から知られていることであるし、当たり前すぎることである。犬よりも多少の根気がいるだろうとは思われるものの、人間と猫との関係や歴史、それに猫と犬という近しい種の間柄ということも含め、猫がお手をするというのは、猫なりの特性の一つであるともいえるのではないか。何十年も前に赤塚不二夫の飼っている猫が、さまざまな芸を覚えるというので、狭い範囲ではあるがちょっとした話題になり、うちの猫もこれをやりますとか、あれをやりますとか、猫の芸の多彩さが報告されていた覚えがある。犬とのそれとは多少違う(実際はかなり違う)とは思われるものの、人間と共同生活を送る上で、いろんなことを覚えさせられる猫たちというのは、別段少数派なのでは無いのではなかろうか。
ということで、猫がお手をしないという感覚の方が、いわゆる偏見に基づくものであることは明確である。僕が引っかかるのはそういう部分だろう。猫らしくあれという強要は、あまり好ましいものではない。ただでさえ夜行性なのに昼間の活動をしている人間に付き合わされて、彼ら(彼女ら)は迷惑しているはずである。めんどくさいので、お手ができるなんてそぶりを見せようとしなかっただけのことなのではないか。そうはいっても、やっぱり日々眠たいので、ほとんどの時間は勝手に寝ておられるようではあるけれど……。