カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

高校生には荷が重すぎる立場   スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム

2024-03-26 | 映画

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム/ジョン・ワッツ監督

 スパイダーマンであることを明かされてしまった高校生のピーター君は、世間の激しいバッシングを受けることになって逃げ惑う。冤罪を着せられ、これまでちゃんと戦ってきたにもかかわらず、敵方がやってきた悪事の数々の嫌疑をかけられてしまうのだ。しかしながら元はヒーローなので応援する側も当然いて、もう収拾がつかないほどの大騒ぎになる。正体がバレてまともな学生生活が送れないばかりか、恋人や友人も交えて、困った状況になったと言える。そこで魔術師に頼んで、人々の記憶からスパイダーマンの正体を無くす魔法をお願いする。その難しい魔術を実行中に、自らあれこれ変更を突然言い足したことで混乱し、さまざまな怪物をこの世に呼び出すことになってしまい、更に大変な窮地に陥ることになるのだったが……。
 いわゆるマルチバースの世界観を利用して、違う次元の世界の者たちを呼び込んでしまうことになるようだ。元の世界にもスパイダーマンはいて、そもそもこれらの敵とは戦う運命にあったものだが、基本的にはその世界で、この悪者たちは殺される運命にあったということのようだ。それではかわいそうなので、彼らを善人にして送り戻せば、物事は解決すると考えたピーター(現世スパイダーマン)は、さらにそれらを成し遂げるために奮闘することになる。
 世間的には評価の高い作品になっていて、ふつうはこんな作風のものはあんまり見ないのだが、気が変わってみて観たわけだ。まあ娯楽作なので面白くないことは無いが、なにか自ら窮地を招いている馬鹿さ加減があって、ちょっとついていけないところがある。善人なのはいいが、頭が悪いのは困るのだ。
 ちょうど大学受験の時期で、自分の所為で面倒な学生を取らなくなる学校の立場がある、という背景があって、実際に学校の先生に立ち会って説明することになる。そういう事で学生を取る判断をするらしいアメリカ社会の文化というのも垣間見えて、興味深い。日本とは根本的に受験のシステムが違うようだ。
 しかしながら、そもそもスパイダーマンのような能力があるのなら、それを活かして仕事をすればいいだけのようにも感じられる。勉強したり資格を取ったりするのは、能力がない人間の保険だと言われているように、能力のあるものはそれを使えばいいのだ。恵まれている人間は勉強なんてすべきではないのではないか。まあ、いいけど。
 という訳で、それなりの設定に凝っていて複雑な世界観を展開している作品と言える。評価が高いのは、それらの組み合わせがそれなりに破綻なく絡み合って、一種のハッピーさがあるためだろう。暇らならどうぞ、という程度ではある訳だが……。
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