時間的に少しタイトで散歩できない。せめてこまめにお茶を飲みに行ったりする。万歩計の歩数を稼ごうというせこい魂胆である。
水分をたくさん取るとその分体重は一時的に増えるのだが、トイレに行くと激減する。その落差が楽しいというか、老廃物と共に少しでも実質的な脂肪であるとか何か重いものが体外へ出てくれるものと期待しているのだと思う。
もちろん水分以外だと落とすのはなかなかむつかしい。お茶と一緒に何か入れるのは厳禁である。もともと間食の習慣はないが、気を使って何かくれる人がある。甘いものなら欲しいと思わないのでパスできるが、クラッカーとかせんべいとか漬物だとか既に剥いてある果物などが危険である。指先でつまめるものという定義で摂取を制限するべきかもしれない。爪楊枝で刺せるものもプラスしておこう。
午後から長崎で会議だったのでつれあいに送ってもらう。汽車に乗ってゆこうとも考えたが、ディーゼルカーの向き合いの席が苦手である。電車などの端に並んだ座席だと座りやすいし立ちやすい。できるだけ座れるようにという配慮で座席を多くしてあるのだと思うが、車両が少ないので立つ人もそれなりに多くなる。この場合通路に立ちにくい。学生などが出入り口など付近に座ったりしているが、僕は大人なのでそうするわけにもいかない。この窮屈な気分で移動するのが億劫なのである。立つこと自体はそう苦痛ではないけれど、めったに乗らない移動機関で不当な居心地の悪さを体験することが嫌なのかもしれない。
時間的に早くついたので本屋に寄る。アマゾンのカートに入れてある本を探してみるが見つからない。なんとなく時間を無駄にしたような気分だ。しかし、本屋で売れている本の傾向はずいぶん分かる。僕の興味とは違う世界。本というマイナーな世界で、さらに僕のマイナーさを思う。
しかし、僕のようなユーザーこそ、日本ではコアな方だという気はする。恐らく日本の人口の50万から100万人の間に属する購読層なのだが、その層が欲しがる本は、さらにマイナーで取り扱いがむつかしいのだろう。
本というのは10万部も売れるとかなりのベストセラーなのだが、それでも日本の人口の0.001パーセント程度。これで社会的な影響があるといえるのだろうか。ベストセラーは普段本を読まない人が読む本ともいわれており、普段読む人が買う本が別だとすれば、本屋が要望にこたえるのは所詮無理な相談なのかもしれない。本屋は基本的に本好きを相手にしていないのである。