僕を知っている人なら自明の事なんだが、僕は基本的に利己的な人間である。自分が良ければそれでいい。本心からそう思っているところがある。意識しているわけではないが、ひとの事を考える力が無いし、考えている余裕が少ない。気になることもないではないが、そういうことに時間を使いたくないし、気にしないように意識することの方が多い。自分のことでさえ興味が無くて、だからひとの分からないことなんかを考えている時間がもったいない。というか、どうせ分かりえない訳だし…。結果的に自然に利己的になる。開き直っているつもりはないけど、ひとの事をあれこれ思うのが普通の神経だから、わざと遮断して平穏を保っているということかもしれない。だから要するに利己的なわけだ。
しかしながら、一点だけくらいは人の事を考える、気を付ける、気を遣う、ことがある。それはトイレットペーパーなんである。十分に本体に余裕がある場合であっても、予備がちゃんと有るか無いか、それが気になるということか。家ではほとんど問題ないが、職場はもちろん、公共の場であっても、予備が気になる。セッティング可能な設備なら補充が出来ているか。無い場合なら目につく範囲にちゃんと予備が備わっているのか。相当に緊急な場合でない限り、すばやく確認する。大小兼用のトイレの場合だと、そういう状況が上手くいっていない時には、店の人に構わず勝手に補充する。無い場合は、出てから店員に注意する。店員が聞いたのちに動いてない場合には、再度注意することもある。気になるんだから仕方ない。もしものことが誰かに起こったら、大変じゃないか! そういうことがどうしても気になるということなんだろうと思う。利己的な自分に反する精神だと思うのだが、こればっかりは重大という気がする。このことに無頓着な人類が、もっとも罪深い人種だと僕は思っているのである。