僕は独善的な人間である。あまり人にばれないようにしているだけで、性格的なものなのかもしれない。
何か物事を決めなければならない時は、ほとんど相談することはしない。自分で静かに考えることはあるが、できるだけそういう考え自体は人には話さない。これはしかし、性格というより経験的なものの積み重ねでそうなった可能性もある。人に相談してそれなりに懲りた。そういう思いもあるので、以前は相談していたのかもしれない。
そうやって決断して方向性を決めると、一方的に発表する。後はまあ、前に、というわけだ。
そういうことばかりやっていると、やはりお叱りは受ける。もう少し事前に話しておいて欲しかったという反応はもちろんだが、批判も多い。批判どころか非難というか、ほとんど妨害のようなことも受けるようになる。猛省を促されるということもよくあることだ。非を認めて謝ることもあるけれど、まあ、目的の中に入っているという感じかもしれない。
そういうやり方については、時々やはり物事を相談して決める重要性を説かれるということもあるようだ。なるほど、と思うこともあるが、考えを変えるに至っていない。何故なら、やはりその重要性がよく分からないからだろう。
批判を受けている最中も、反省もしないわけではないが、やはり相談しなくて正解だったと思うことの方が圧倒的に多い。そのようなことを考えていると、おそらく決断はできなかったし、行動もできなかっただろうな、と思うからだ。迷惑をかけた方面には陳謝するものの、こちらの目的達成のためのお願いも含めてである。そうして相談しなかったという判断に、ますます強い成功感を覚える。間違っているかもしれないが、それでよかったのである。
大切なことはできるだけ相談しない。そういう態度は生きていくうえで、大変に大切な心得だと思うのである。そしてそれは、責任ということとも関係があるのかな、とも考えている。