出張前なので片付けることがたくさんある。S木さんのブログを見ると朝からやるべきことを書き出して実行しているんだとか。早く済ませた日は、汗を流しにジムにいくのだとか。えらいなあ。かっこいいです。
まあ、僕も似たようなことはしていて、とりあえずこれだけはやっとかなくちゃな、というヤツを出勤の車の中であれこれ計画して、職場に着いたと同時にダーッと書き出す。まあ、今日はいろいろあるけれど限度があるので欲張らず10ばかり書き出してはみる。そうして片付いたら赤ペンでザクザク横線を入れる計画である。
いざ実行の段階になるとすぐに気づくがこれの前にやるべきこととか、これを人に頼む前にどれこれの準備とか、ひとつの項目が枝分かれして仕事を増やしていく。電話もかかってくる。午前中にやるべきことと思っていたことのひとつと、午後に二つの処理をして既に夕方になってしまう。一日って短いなあ。人生も短いという感じだ。もちろん細かく見ると、こちらから電話した件数は20件以上あったわけだし、その前にちょこちょこ調べたことなどもあるにはあった。郵便物などの処理も30件ぐらいは片付けた。こまごました苦情のような処理も四五件あったような感じもする。まあ、いつもどおりではあるけれど、途中で少し遊んだりもしたことは白状する。これは自分に情けないけれど、息抜きも必要といえば必要なので許容範囲として甘く採点する。しかし暑くて散歩はパスした。これは充実感がない。個人的にはやりたかったことだった。
結局あわてて今週不可能になってしまったことをどうするかということで、延期のお願いをしたり、保留のボックスに振り分けたりした。片付いてはいないけれど、視界は開ける感じはしないではない。
いつの間にか暗くなっていたのだが、急に電気がとんだ。
廊下に出ると非常灯の明かり以外全部消えているようだ。懐中電灯をもってブレーカを見に行くが、どれもとんでいない。この近辺の停電かもしれない。周りに家は少ないが、外に出て目の届く範囲は見渡してみる。日が長くなっているので薄暗くなっている程度なのではっきりと確認できない。地元のスタッフが自宅に電話している。そっちは大丈夫という声は聞こえる。電力会社に電話するが停電はないという。うーむ、ウチだけか。
メンテナンス会社に電話して対応を聞く。もう一度電力会社に確認せよという。確認するが同じことだ。電力会社もこちらに来るという。メンテナンスも来るというが、どれぐらいかかることか。
外に原因があるのだろうと思ってウロウロしていると、門柱の側の引き込み電柱の下になにやら黒い物体がある。近づいてみるとカラスである。白目をむいて死んでいる。触ってみるとまだ温かい。死にたてホヤホヤであるようだ。さて、カラスが何かしたものか。
引き込みの電柱の上のトランスには赤と白のロープが張ってあって入りと切のスイッチだとか言うことは聞いたことがあるようだ。電気はよく分からないけれど、操作すると何とかなるのではないか。よじ登って固定してあるロープを解いて、引っ張ってみる。ガチガチと音がして、まあ、なんともならない。これじゃないのかな、とあきらめて電柱を降りた。
またメンテナンスの人から電話があって、やはりそのトランスのスイッチをもう一度操作してくれといわれる。停電も長くなっているのでいろいろと困ることも多くなってきた。先ほどやってみたけれど、もう一度やってみよう。宿直のスタッフが今度は自分がということでよじ登って行く。「今度は思いきっり引っ張ってみます」宣言し、赤のロープを引くと街灯に灯が点った。振り向くと建物の明かりが復活している。思わず「万歳」という気分になった。あちこち電話をかけなおして、復旧の喜びを分かち合う。電力が無いと生活はできないというのは実感できた。災害の元ではこういう感じが続くということなのであろう。こりゃ、大変である。
しかしながら、復旧したのはよかったけれど、カラス君は何をしていたんだろう。たぶんびっくりする暇も無く死んだことだろう。事務長はこの屍骸を農作業の現場で使えないか、しきりに思案している。内臓を出すと腐るのが遅れるだろうとか、ぶつぶつ言っている。まあ、仕事熱心である。
トランスになんかあったということは、たぶんそうだったのだろう。ロープ操作は僕自身もしたわけで、何でそれで電力が普及しなかったのか、よく考えると釈然としないものである。そのように僕の仕事というものは、中途半端なのだということなのであろう。出張前にまた反省させられたのである。
まあ、僕も似たようなことはしていて、とりあえずこれだけはやっとかなくちゃな、というヤツを出勤の車の中であれこれ計画して、職場に着いたと同時にダーッと書き出す。まあ、今日はいろいろあるけれど限度があるので欲張らず10ばかり書き出してはみる。そうして片付いたら赤ペンでザクザク横線を入れる計画である。
いざ実行の段階になるとすぐに気づくがこれの前にやるべきこととか、これを人に頼む前にどれこれの準備とか、ひとつの項目が枝分かれして仕事を増やしていく。電話もかかってくる。午前中にやるべきことと思っていたことのひとつと、午後に二つの処理をして既に夕方になってしまう。一日って短いなあ。人生も短いという感じだ。もちろん細かく見ると、こちらから電話した件数は20件以上あったわけだし、その前にちょこちょこ調べたことなどもあるにはあった。郵便物などの処理も30件ぐらいは片付けた。こまごました苦情のような処理も四五件あったような感じもする。まあ、いつもどおりではあるけれど、途中で少し遊んだりもしたことは白状する。これは自分に情けないけれど、息抜きも必要といえば必要なので許容範囲として甘く採点する。しかし暑くて散歩はパスした。これは充実感がない。個人的にはやりたかったことだった。
結局あわてて今週不可能になってしまったことをどうするかということで、延期のお願いをしたり、保留のボックスに振り分けたりした。片付いてはいないけれど、視界は開ける感じはしないではない。
いつの間にか暗くなっていたのだが、急に電気がとんだ。
廊下に出ると非常灯の明かり以外全部消えているようだ。懐中電灯をもってブレーカを見に行くが、どれもとんでいない。この近辺の停電かもしれない。周りに家は少ないが、外に出て目の届く範囲は見渡してみる。日が長くなっているので薄暗くなっている程度なのではっきりと確認できない。地元のスタッフが自宅に電話している。そっちは大丈夫という声は聞こえる。電力会社に電話するが停電はないという。うーむ、ウチだけか。
メンテナンス会社に電話して対応を聞く。もう一度電力会社に確認せよという。確認するが同じことだ。電力会社もこちらに来るという。メンテナンスも来るというが、どれぐらいかかることか。
外に原因があるのだろうと思ってウロウロしていると、門柱の側の引き込み電柱の下になにやら黒い物体がある。近づいてみるとカラスである。白目をむいて死んでいる。触ってみるとまだ温かい。死にたてホヤホヤであるようだ。さて、カラスが何かしたものか。
引き込みの電柱の上のトランスには赤と白のロープが張ってあって入りと切のスイッチだとか言うことは聞いたことがあるようだ。電気はよく分からないけれど、操作すると何とかなるのではないか。よじ登って固定してあるロープを解いて、引っ張ってみる。ガチガチと音がして、まあ、なんともならない。これじゃないのかな、とあきらめて電柱を降りた。
またメンテナンスの人から電話があって、やはりそのトランスのスイッチをもう一度操作してくれといわれる。停電も長くなっているのでいろいろと困ることも多くなってきた。先ほどやってみたけれど、もう一度やってみよう。宿直のスタッフが今度は自分がということでよじ登って行く。「今度は思いきっり引っ張ってみます」宣言し、赤のロープを引くと街灯に灯が点った。振り向くと建物の明かりが復活している。思わず「万歳」という気分になった。あちこち電話をかけなおして、復旧の喜びを分かち合う。電力が無いと生活はできないというのは実感できた。災害の元ではこういう感じが続くということなのであろう。こりゃ、大変である。
しかしながら、復旧したのはよかったけれど、カラス君は何をしていたんだろう。たぶんびっくりする暇も無く死んだことだろう。事務長はこの屍骸を農作業の現場で使えないか、しきりに思案している。内臓を出すと腐るのが遅れるだろうとか、ぶつぶつ言っている。まあ、仕事熱心である。
トランスになんかあったということは、たぶんそうだったのだろう。ロープ操作は僕自身もしたわけで、何でそれで電力が普及しなかったのか、よく考えると釈然としないものである。そのように僕の仕事というものは、中途半端なのだということなのであろう。出張前にまた反省させられたのである。