わが母の記/原田眞人監督
原作は井上靖の私小説らしい。原作は大変に長い三部作のようで、映画の尺としては単純なダイジェストにならないようにしているようには見えた。基本的には父の死から高齢の母親がボケを伴いながら共に暮らす傍ら、娘や家族との生活を淡々と描いている。一応家族は役所広司演じる作家の父を中心に描かれているが、特にわがままそうな三女を中心とらえて話が進んでいるようにも見える。おそらくその場のリアルを伝えるためだろうけれど、やたらにセリフが多く、演劇的に日常が描かれる。家族愛ということだろうと思うが、どちらかといえば作家以外は女系家族ともいえる裕福な家庭が、その使用人を交えてあれこれ日常を刻んでいるという感じであった。
流行作家が大変にお金持ちであるというのは分かったが、この世界は一種の貴族である。日本人にも一定の金持ちや貴族的な階級に属する人々がいることは知らないではなかったが、主に東京地方やそれなりの地方都市に限る現象ではないかと思っていた。僕が住んでいるような田舎では、金持ちがいないわけではないが、規模が小さく、また社交界のようなものが成り立たない。結果的に貴族的な階級の人は存在しない。日頃そういう人を意識して生活することは皆無である。しかしながら東京などの地方に出張などで出向くと、高級車のレベルは上がり、高級ホテルなどの近辺で、ふつうにくつろぐ人々に接する。実際に交わることはないにせよ、存在がなんとなく目に見えるようになる。彼らは買い物においても、おそらく値札の確認などしないだろうし、持っているお金の残高など数えたこともないだろう。また、価値のあるものが100円ショップと比べてどのくらいの差のあるものかの比較もしたことが無いのではないか。
無意識ながら、一般人との格差に無頓着で、言葉遣いもなんとなく横柄である。特に娘たちの会話にそういうものが見て取れる。ひがみのようなものかもしれないが、そういう人たちの生活に、少ししらけたような感情も持った。違う世界の、しかしそうあこがれもない世界。日本の貴族界というのは、そんな感じもするのである。まあ、作家だから成金ではあるんだろうが。
いっそのこと市川崑のような美意識で女性を描くとか、今村昌平のように愛憎劇にするとか、そういう風に組み立ててもよかったのではなかろうか。なんとなく平坦に中途半端な印象も受けた。あえてそういう風にして日常を描きたかったのかもしれないが、三女が目立つわりに、何もなく終わったなという風に感じた。まあ僕にはあまり良さがわからないだけなのだろう。