「ランチをどこにしようか?」という時に「マックに行こう!」と提案する。すると多くの人は行きたくないので、対案として様々な意見がでて、その場のディスカッションが活性化する。そのようにしてアイディアを出しやすくする仕掛けを「マクドナルド理論」という。要するに、いいアイディアを産むためには、最初は「実現可能な最低の提案」出すことは、案外悪くない、ということらしい。
もちろんこれはジョークも含んでいて、これ自体が面白いので皆が納得しやすいということも含んでいるが、マックという巨大な企業をあえて皮肉っていることと、実際にはマックのランチを望んでいる人はいることと思うが、お前はそんな人間でいいのか? というようなニュアンスも含んでいる。マックのランチでいい、なんていうことが妥協点なのか、それともそういう趣向性の人間に、いいアイディアを産む能力が育ちにくいとするような、いわば偏見と言いがかりをつけている。もちろん、ジョークだけど、そもそもそんなところに行きたくなんか無いだろうという予測をいち早く立てられる能力があること自体が、クリエイティビティに満ちている証拠かもしれない。まあ、マックという偉大なアイディアを作った人の方が凄いかもしれないけど。
しかしながら、よほどのことが無い限り、マックでランチを済ませたくない気持ちというのは、年を取ると実感することかもしれない。そういう人がいいアイディアを持っている可能性が高いとは思えないが、そもそもそういう場所にはいかないし、自分は馴染めそうにない。しかしそう提案されたならば、特に若い人が提案したならば、それに従うのも流儀ではないか。はい、そこでアイディアはつぶれる。要するに、この提案の前提条件の集団の特性も考慮する必要があるかもしれない。しかし対案が蕎麦だとかラーメンだとかもつまらない気がする。そもそもそんなに複数の選択肢が、環境に揃っているものだろうか。
結局人は、何かを否定するのは得意なのだ。その前の提案の方がはるかに難しい。しかしながら、その第一歩を踏み出しやすくするには、工夫がいる。要するにマクドナルド理論を広く理解している人が揃えば、気兼ねなくマクドナルド理論を提案しやすい。お、そう来たか、と反応しやすくなる。しょうもない提案をした人を卑下することなく、さらに傷つくことなくしょうもないことを言える勇気の必要が無い場が必要だ。それは特に日本人には必要なことかもしれない。
さらにこの理論の一番のキーになる考え方は、最初の一歩のハードルを下げることにあるらしいことだ。いかにもいわゆるアメリカ的なセンスがありそうな考え方だけど、それはそもそものアメリカ的な自由さと偏狭さを兼ね備えているからだ。こういう面白さを含んでいるそのものが、前に進む原動力になっている。そうして失敗を恐れずに第一歩を踏み出すフロンティア精神さえありそうだ。そういう第一歩が踏み出せたら、その次に続く二歩目は、優れていても簡単に生み出せるかもしれない。アイディアは、やれるかどうかの前提より、まずは出すか出さないか。まあ、他のことも似たようなものなのだろう。