カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

混血だと何の問題があるのだろう   ラビング 愛という名前の二人

2019-12-25 | 映画

ラビング 愛という名前の二人/ジェフ・ニコルズ監督

 白人の煉瓦職人の恋人(黒人)が妊娠していると告げられる。喜んで結婚を申し込むが、1958年のバージニア州では、異人種間での結婚が認められていなかったので、ワシントンDCまで行って結婚式を挙げ、戻ってきて一緒に暮らし始めた。ところが誰かが通報したらしく、二人は警察に捕らえられてしまう。結果的に裁判になり、便宜上罪を認めて執行猶予25年で釈放。さらに条件が付いて、州内では二人の接触が禁止されることになる。要するに州外に退去させられるわけだ。
 出産のときに、やはり地元が良かろうということで戻ると再逮捕。弁護士の機転でなんとか釈放。要するに地元では、誰かが監視するか敵対している様子。人種差別なので、白人も黒人も信用ならない。周りにいる誰が敵か分からない。
 結局州外で暮らして、子供も三人もうける。徐々に時代が流れて、このようなカップルに対してマスコミの関心等が高まりを見せていく中で、人権派の弁護士から、あえてわざとつかまり裁判に持ち込んで、憲法を変えよう(歴史を変えよう)と持ち掛けられる。
 それにしてもほんの50年ほど前のアメリカの話。ごく最近まで、公然と憲法で差別してきたアメリカの暗黒史の中で、翻弄されるカップルを描いた、ほぼ実話の映画らしい。有名な話なのかどうかは知らないが、このようなカップルが他にも絶対にいたはずで、その先鞭をつけた事例なのかもしれない。主人公の白人男性は、寡黙でしかもそれなりに慎重である。このような社会にあって、自己主張を控える心情があるのかもしれない。それに対して女性である黒人の妻としては、己の人種の解放ということも伴っているので、比較的マスコミに同調的である。それが白人が黒人を差別しているという構図であるので、そもそも夫婦であっても対等ではありえないということを暗示している。白人が理解があるから成り立った、という単純な夫婦ではないのである。
 アメリカの歴史は差別に対してひどいものがあるけれど、繰り返しこのような映画は作られている。そうして世論的には評価も高い。だからと言ってアメリカ政府が謝罪などして補償するような話は聞かない(そうすべきという話はあるが)。これが日本を取り巻く東アジア情勢とはひどく異なるところだと思う。まあ、言っても仕方ないが。
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