カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

老いらくの性と圧倒的バイオレンスの二本立て

2008-10-29 | 読書
百合祭/桃谷放子著(講談社)

 老いらくの恋の物語だと言ってしまえばそんな感じに話は進むので、油断してはいけない。出会いから平凡であるけれど、個人の感情を鮮やかに描いているし、情景としても坦々としており、このすごく盛り上がる感じではないのだけれど、それなりの高揚感がある。いわゆる物語が非常にリアルで、僕はまだ老人という世代ではないはずなんだけれど、妙に共感してすんなり物語の中に入り込むことができた。素直に上手いということなんだろう。そしてどんどん危険な感じになっていくのもスリリングで楽しい。ちょっと悲惨なことになっても、ユーモアのセンスも手伝って、なんだか救われて後味は悪くない。いや、やられたね、ということは言えて、なんにも言えなくなるというか。
 この話とは直接関係はないが、ふと思いだした話がある。大岡越前が夫婦の情のもつれとも思われる殺人事件を裁く際に、その夫婦が高齢であったことから疑問に思い、自分の母親に女というのは幾つぐらいまで性欲があるものかと尋ねた。老女となっている母親は言葉では答えず、火箸で囲炉裏の灰をただ掻き回した。それを見た大岡越前は、「灰になるまで(つまり死ぬまで)」であると読み取り、判断の材料とした(たぶん死罪ということだったのだか、忘れた)という。僕はつれあいにいつも叱られるぐらい記憶力が弱いので、ちょっと怪しいけれどそのような話だったと思う。まあ、当たり前のことなのかもしれないけれど、女に限らず男だって同じことなのではないか。同じく昔の話だがロン・ハワードの映画で「コクーン」というのがあったけれど、あれは宇宙人の力で若返った老人が活躍し、性的にも復活してとても楽しそうだった。まあ、遠慮しているだけで年をとっても色気が無くなるわけではないということは国際的にも言えることなのだろう。
 しかしながら僕が知らないだけかもしれないが、ここまであからさまに老人の性を描いた作品も珍しいのではないか。ちゃんとセックスまで書いていて潔い。そんなにポルノチックではないので安心してお読みください。むしろほのぼの笑えます。

 まあ、表題作はそのように読んで、上手いもんだねと感心して、もう一作収められている話(「赤富士」)がものすごいバイオレンスで驚いた。僕のまわりにアル中の人もいるので、これはかなり実感がこもって怖かった。まるで本当にあった話を忠実に再現したのではないかとさえ思わせられた。
 これもまたふと思ったのだけど、いじめられて虐げられている人はこのように爆発するといいんじゃないだろうか、などとも考えた。この後のことを考えると非常にやばい状況になることは間違いがないのだろうが、もう振り切ってしまったので何も怖いものはない。おそらくすべてを失うことは失うのだろうけれど、一方的に勝利者はバイオレンスの行使者なんじゃないか。その爆発が屈折しているにせよ、人間の止められない狂気が誰にでも潜んでいることは、また当然のことではないか。いつの間にか僕は中途半端なりに大人になったが、このような狂気が自分の中にあることに少なからず怯えていたことがあったようにも思った。暴力を受ける方も恐ろしいのだが、ふるう方も恐ろしいのである。そういう感じがよく描かれており、恐ろしい話だが大変に感心してしまったのである。
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