僕が中学生だった1980年は、ピーター・セラーズが死んだ年である。前年公開の「チャンス」という映画でゴールデングローブ賞を取ったことで話題性があり、もともと悪かったらしいが心臓発作で急逝したということもあり、日本でもそれなりに話題になって繰り返し映像が流れた。出世作ピンクパンサーは、多少お色気があるということで子供の頃にはあまり家庭で鑑賞することが許されておらず、改めてテレビで大量にそういう映像が流れるので、楽しんで観たように思う。まあ、実のところコメディとしてそんなに面白いもんかな、という子供らしい感想は持ったものだが…。
この年には個人的にさらにショックなことに、その後9月の末にジョン・ボーナムが死んだ。ツェッペリンは前の年に「インスルー・ジ・アウトドア」というやや残念なアルバムを発表しており(でもまあ僕はそれでも嫌いなアルバムではない。ファンというのはそういうものなのだ)、それなりに盛り上がっていたのに、これで事実上バンドは解散ということになってしまった。ボンゾ無しにツェッペリンは成り立たないといわれると、そうだったんだな、と改めて残念でならなかった。
そういう暗澹たる気分の中で年末を迎えるときに、ジョン・レノンが撃たれたというニュースが流れた。ジョン・レノンは長い間子育てのために活動休止をしていて、満を持してアルバムを発表したばかりで、巷間ではその中の曲「スタンディング・オーバー」が流れまくっていた。もともとビートルズは僕より少し先輩たちの音楽で、既に古典として聴かれているということはあったにせよ、世の中はパンクロックになっていて、若い人間にとっては、ちょっとオジサンくさいという感じはあった(もしくは軟弱という感じかもしれない)。それでもスタンディング・オーバーの曲のちょっと元気の出るような感じは新鮮で、やっぱりジョンは凄いよな、というような音楽仲間でもない奴からの反応も良好だったと記憶する。そういうタイミングで撃たれたというまさにショッキングな事件で、このようなことがあっても銃規制をしないアメリカという国は、何と野蛮なんだろうと改めて思ったものだ。
そういうことで改めてビートルズやジョン・レノンの曲を弾くバンドが爆発的に増えた。ロックっぽい「ヘルタースケルター」をコピーするのも流行ったが、どういう訳かジョンがベン・E・キングの曲をコピーしたスタンド・バイ・ミーを歌うというのが、圧倒的に流行った。かくいう僕もその一人で、あんまり何回もこれを歌ったので、いまだにたぶんいつでも歌える唯一の曲である。ちなみにコード展開がRCの「スローバラード」やポリス(スティング)の「見つめていたい」と同じなので、まあ、その後も重宝したということもあるかもしれない。
ジョン・レノンの声というのは、日本人男性の平均的な声の質とは少し違う感じの高さがある。細い感じも無いではないが、しかし細くなり切らず張っている。これが聴くものに心地よさを与えるのではないかという話もあって、ちょっと信じてしまいそうになるのだが、まあ、いい声なのだ。恐らく多くのモノマネがあるはずだろうけれど、なんとなくジョンのような感じにならない。そういうところをいろいろ工夫して歌うところに、この歌を歌うという、もしくは聴くという楽しさがあるように思う。ジョンのことを思うけれど、自分なりに歌うより無い。そういうところがスタンダードとして残るということになるんじゃなかろうか。いまだに時々やはりスタンド・バイ・ミーは聴かれることがあって、そのたびにこの息の長さとある種の新鮮さがあるらしいことに驚くことになる。僕が死ぬ頃までそんな感じなら、本当に凄いことだとまた思うのだろうな。