イスラエルのドキュメンタリー「バスターミナル死の真相」というのを見た。インタビューと監視カメラに写された映像を基に編集されたものだ。
バスターミナルのトイレ付近で突然銃声が聞こえ人々が逃げまどっている。すぐに警察や軍関係者だと思われる人間が集まってくる。そうした中で一人の男が警備員から撃たれ倒れる。その場所が監視カメラの前だった。
血だらけで倒れている男は何か言おうとしているが、人々は逃げながら最初は遠巻きにしている。その内誰かがその男を蹴ったりしている。おそらくテロリストの一人が撃たれたと思われたのだ。実際にはテロリストはトイレから外に逃げ、最終的には射殺された。撃たれた男は、単に間違われて撃たれてしまっただけなのだ。何発かの銃弾を受けているものと見えて、倒れている場所にも血が広がっている。しかし一度誤認された被害者は、大衆からはテロリストにしか見えなくなっている。一部保護しようとしている人もあるが、その隙間から物を投げたり唾を吐いたり、そうして時折激しく蹴り上げる人もいる。椅子を投げつける人もいる。体を撃たれて逃げられない男を、容赦なくリンチに掛けていく。止めようとしている人間を突き飛ばして暴力をふるいたがる人までいる。最終的には救急隊が来る前に、致命的なダメージを受けてしまったようだ。
たまたま移民の男が逃げている最中に警備員に誤認されて撃たれてしまい、不幸なことにテロの恐怖から群衆がパニックを起こし、最終的に殺されてしまう映像だった。
相次ぐテロのために人々に憎悪が蓄積されていたという現実もあったろう。そうして誰が被害を受けるかわからない恐怖感もあるに違いない。銃声は聞えるが相手の姿は見えない。そうした中で少し様子が違う移民が一緒に逃げている。しかし彼はサンダル姿なのだ。そうして当たり前だが丸腰だ。しかし彼がテロリストかもしれないというちょっとした疑念は、容易に増幅し修正されることが難しくなっていく。苦痛に助けを求めもがく姿でさえも、その憎悪の対象から免れることができないのである。
対立から生まれている群衆の心理は、このようなパニックで鋭利にされてしまうのかもしれない。見ている人間はこのやりきれない映像に嫌悪と怒りを覚えるが、その時の正義のような空気は、うまくこちらに伝わらないものかもしれない。まったく人間とは恐ろしい生き物であると改めて思い知らされた。