カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

傑作でなおかつ価値の高い面白本  ピープス氏の秘められた日記

2014-06-06 | 読書

ピープス氏の秘められた日記/臼田昭著(岩波新書)

 日記は誰のためにつけるのか。そういう問い自体は少し変ではある。何故なら本当は日記は自分のためにつけているはずだからである。自分が書くために書いたり、後で読み返すことも含めて記録をつける。日記本来は、そのようなことで存在している。そのはずなんだが、日記文学のようなものがある。実は他人が読んでも、というか、他人が読むからこそ、日記は面白いという事実がある。
 永井荷風などは、最初は本当に自分のために日記をつけていたはずなんだが、これは後に他人が読んでも面白いだろうことに気付き、意識を変えて残したのではないかといわれている。アンネの日記は、自分の性器を克明に記録している描写などもあることから、確かに他人に見せる意識があって書かれたものではないだろうことは見て取れるが、父親がある程度手を加えていることも公然の秘密であるようだ。出版物としての日記ならば、そのような多少の手直しということは仕方が無いことであろうが、その日記本来のまっさらな目的で書かれたものには、他人の興味をひきつける麻薬のような魅力があることは間違いが無い。ピープス氏の日記も、読む他人のことはまったく意識されていないからこそ、その内容が素晴らしく面白くなっていることは間違いない。もちろん紹介している側が拾い出して紹介していることはあるわけだが、内容についての魅力のほとんどは、秘密だからこそ深い味わいがあったり、驚きがあったり、おかしかったりするわけだ。日記文学とはほど遠い日記だけれど、まさに傑作といっていい記録なのではなかろうか。
 日記が面白い最大の理由は、読む側ののぞき趣味を満足させるというのを除けば、やはり内容がどうしても面白くなっているということがある。なぜ面白いのかというのは、他人の目を気にしていないからである。他人の目を気にしない人間がどうなるかというと、そこには本音が書かれることになる。嘘も排除される。わざわざ自分に嘘や遠慮をしても仕方が無いから、真実で本当のことが書かれていると考えられる。事実は小説より奇なり、とも言われるが、別に奇なことでなくても、事実こそが面白いのだ。本音こそが面白いのだ。
 ピープスさんは後に偉くなるので必ずしも市井の人というわけではないのかもしれないが、人のねたみはもちろん、いつも金のことは気にしているし、奥さんにばれなければ、いつも綺麗な婦人に心を惹かれている。時には具体的に口説いてみたり、どこかに誘い込んで悪さをしている。教会で説教を聞いている時であっても、気に入った婦人のそばに座って悪さをしてしまう始末である。悪癖はなかなか治らないし、金を貸せばいつまでも気になっている。出世欲もあるし、嫌な人間もいる。神には都合よく感謝し、上手くいかなければ罵りたくもなる。実に人間くさい俗物なのだが、どこか憎めない。時折なかなか活躍して、自分で自分を大いに褒め称えている。まさに正直な心情だから、出来事そのものが実に生き生きとしているように見える。
 後に紹介者である著者も書いているが、ピープス氏が出世するのは、日記に書いてあるような正直な面を、公の場ではむしろ控えめにする術を心得ていたからではないか、ということなのである。心の中では実際には誰それが悪く自分の所為ではないといいながら、公の場では役人として自分の推量をバランスよく図る能力に長けていたようだ。むしろ日記で自分の心情を十分に吐露し、日常の精神衛生の均衡を図ることに成功していた可能性が高いということだ。人に絶対に見せない日記があったからこそ、ピープス氏は俗世界で大成功を収め、出世を上り詰めたのである。そういう意味では(日記としては中断しているが)見事なサクセス・ストーリーの舞台裏ということも言えるのだろう。
 人間の正直な面が出せる場というのは、本当に限られている。お国が変わってもまったく違ったことではない。人間というのはそういう生き物なのだ。悲しくも可笑しい正直な人間の内面を読むことは、本当の人間の姿を知ることにもなるだろう。ピープスさんは死後まで日記を隠しとおせることが出来なかったことで、後世の人間に希望を与えている。妙な本だが、名著だろう。
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