ミカドの肖像/猪瀬直樹著(小学館文庫)
西武グループのコクドが旧皇室の土地を次々と買い取りプリンスホテルを建てていく物語から、皇室を読み解いていく。中心だか周辺だか分からない距離感で、日本人の潜在的に持っている皇室観が浮き上がっていく。そういえば確かになんでプリンスホテルという名称なのか考えたことも無かったが、皇太子にちなんでいたとは知らなかった。
また、外国にはミカドという家庭で楽しむゲームがあることも、歌劇MIKDOというのが世界的に大ヒットしていたというのも、どういうわけか日本人の多くは知らなかったことではないか。また、アメリカにもミカドという町があるなんて。
明治天皇の御真影はイタリア人が書いた絵だったなんてことも知らなかった。そういう中で日本の心風景は、いつの間にか京都から、富士山をはじめとする絵柄に変化してしまうのだ。銭湯では会社や医院の広告を載せていたものに、サービスで絵を描くようになるのだが、絵葉書の風景をヒントに描かれるようになったのだという。それが富士などの風景画だったのだ。
また、万歳三唱が欧米をまねて作られた風習だったことも知らなかった。確かに時代劇では万歳はやらないようだ。
文庫とはいえ900ページ近い分厚い本で、ずっしり重たい。行間も狭く、ぎっしり文字が詰まっている感じで、おそらく読むのに20時間くらいはかかってしまった。よくもまあ、調べにしらべ、さらに世界一周するような取材を重ねて、このような本を作ったものである。面白いのでそれでいいが、ほとんど執念ではないか。
しかしながら、このように周辺を照らしながら語りを構築しないことには、天皇というのは、やはりよく分からないのである。今のようなイメージや象徴というものは、天皇の歴史から考えると極めて近代的で最近のものであるということは分かるのだが、そうではあるが、もっと近い今の目から見ると、もうすでにかすんで見えなくなってしまったものがいかに多いものか。そうではあるが、何度も再編されながら天皇観は様々な権力に利用され、そうしてその不自由さもありながら、日本の近代と切っても切れない関係となっていったのであろう。
というわけで、簡単には読めない本だが、これはもう必読書だろう。ふーっと息を吹いて、読後の感慨に浸ってみるのはいかがだろうか。