カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

やっぱり人を気にさせてしまう作家なのだろう   病む女はなぜ村上春樹を読むか

2016-01-16 | 読書

病む女はなぜ村上春樹を読むか/小谷野敦著(ベスト新書)

 題名からも分かるように、いかに村上春樹がダメ、というか、その人気の内容の考察を含め、現象としてウケる村上春樹とは何かをいろいろと考えた内容。どうして騒がれながら、今までノーベル賞が取れない文壇事情から始まって、精神病の女性が出てきたり、簡単にセックスできる恋愛強者の視点や、結局はスカしている村上の文章の魅力(またはそれがダメだということらしい)などを考えている。それでも村上は多くのことをまだ言わないままでいるとし、その無理に隠し通しているものを私小説として書くべきではないかと提言している。
 いつものネタ話なので面白がって読んだらいいけれど、実は結構僕は村上春樹の熱心な読者である歴史が長い。だから多少の反発心が無いわけでもないのだが、おおむね笑い飛ばすことが出来た。何しろ、まあそこまであけすけに言われるまでも無く、そういうところこそが村上春樹の、やはり多くの読者を捕える魅力だろうと思うからだ。確かにちょっと不思議で破綻しているような話も無いではないが、それでもゴリゴリそういうものを押し通してでも読ませる力が村上にはあり、結局そうして今までも読んでしまっていた個人史があるとしか言いようがない。もっとも確かに僕は大人になってしまい、今の村上はかなり幼稚には見えてきてはいるが、彼のそういう甘えた考えと勘違いだらけの社会認識はとりあえず置いておいても、小説をもっと書いて欲しいということを願う一読者である。第二世代の村上の方が面白いということは言われてはいるけれど、やはり本元は村上自身であることに変わりがない。いわば彼はスターであるので注目を集めることは当たり前だし、変な人であるからこそ、そうしてまだ謎がたくさんあるということも含めて、人気が持続しているというのは間違いない。スカしている文章も、これは中毒になる人がいて当たり前で、皆そういうスカしたことを言ってみたいというのは人情である。ちょっとさりげなく世間知らずの演技をして、そうしていかにも自然体にスカせる優越感というものを持ちたいのが人間の自尊心というもので、そこに村上は見事にハマる存在であるということに尽きるように思う。そういう部分に無自覚に見える、もしくは透けて見えることで許せない反村上主義者というのが一定以上いるのは当然のことで、村上が文学でない、もしくは通俗であるというのは、まあそうなんだから仕方がないじゃないかと思う訳だ。海外でも売れるのは、そのような通俗性があるということと、やはり日本の女(村上が描く女ということ)にはそのような魅力があるという幻想が手伝って、村上文学から伝わるものがあるということのようにも思える。それはだから普遍性というのとはちょっと違うとは思うが、ウケるというのはそういうものが上手くかみ合わなければ成り立たないだけの話だろう。確かにタルコフスキーや小津安二郎の映画などを良いということにも似ているようなところがあって、それが分かると言える人々が、共感のような集団となるような現象と少し似ているところがあるのかもしれない。そうではあるが実際に村上春樹現象自体は、恐らくそれよりも大きな波を持っていて、本当には分かっていない人も含めて膨張しているようなところがあって、そこが僕なんかには面白いものだとは思わせられるのだけれど。本人としてはお金が稼げるのはいいとしても、そういう部分には素直に、やれやれ、と思っているに違いなくて、お気の毒だからさらにもっとスカしてしまう気の強さがあるだけの話なのではあるまいか。
 そういうことであるが、まあ出がらしでいいから新作をと願っていても、なかなか簡単には作品を生み出せなくなりつつある作家の不幸の分析ということになるんだろうか。しかしまあ、まだ老衰しているわけでもなさそうだから、頑張ってもらいたいです。
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