千葉に行っていた。
一日目はまじめな話し合い。昼過ぎから延々といろいろなことを忌憚なく話して、気がついたら6時過ぎていた。事務局が「実は晩御飯を予約しているので…」ということで席を移したのだが、一部アルコールが入ってさらに突っ込んだ意見になり、また寮のようなところに戻っても話は尽きなかった。結局10時過ぎまで話し合いは続き、電車の都合があるという人がいてお開きになった。もちろん時には雑談も交えての時間帯はあったけれど、ほとんどは会務についてのまじめな討論である。この会以外ではまったくお付き合いのない間柄であるが、ひとつのテーマでもいつまでも話が出来るものだと思った。いや、問題は多すぎる。
しかしもうひとつは、関東に行くと時々思うことだが、九州とは明らかに違う厳密さがあるせいだとも思う。細かいことも、問題が起こる前に予想しようとする。結局は分からないことなのだから、そこのところはどうなのか、と思わないでもないことまで、一応という感じで提案として上がってくる。そこで皆ウームとしばし考え込んでしまったりするのである。
これを関東の人は精度をあげるためにやっているという意識があることが分かってきた。明らかに混乱させるという意味でなく、意図的に話を飛ばして細かくしている。また、そういうところまで気づく人が能力の高い人と評価されるようだ。だから次に来る人も同じように細かい人が出世してくる。事務能力は大変高いが、決定がいつまでも先延ばしになっていくように思う。結局は少し強引過ぎるような人が、その上に座るようなことになっている。そういうバランス感覚なのかもしれない。
翌日になってこういう感じの会議ばかりだと大変だと素直に話していたら、事務局をしている人の上司の人は「夕方5時からがはじめて自分の仕事になる、といつも言っています」とのことだった。自宅が遠いので、ほとんど泊り込んで仕事を続けているらしい。うへーっ。
過労死が問題になったり、自殺者が多くて平均年齢が下がっているといわれているが、根本的にこういう効率の悪さが大きな原因なんじゃないかといいたくなる。池田信夫が言っているように、ジョブスのように失敗が9あってもひとつの成功が全体を救うような事業をやれないと、次の世界は開けていけないとも思う。日本の閉塞感というのは、突き詰めれば会議の効率性かもしれない。進んで失敗したくはないが、チキンハートでは生きていけないのではないか。
関係無いが、カエルを水から温めていくと、沸騰するまで気づかず死んでしまうという話がある。実際にはカエルは熱くなる前に逃げ出すそうだ。カエルには出来るが人間には出来ないことがある。日本という集団にも本当に当てはまる話になるのかどうか…。
一日目はまじめな話し合い。昼過ぎから延々といろいろなことを忌憚なく話して、気がついたら6時過ぎていた。事務局が「実は晩御飯を予約しているので…」ということで席を移したのだが、一部アルコールが入ってさらに突っ込んだ意見になり、また寮のようなところに戻っても話は尽きなかった。結局10時過ぎまで話し合いは続き、電車の都合があるという人がいてお開きになった。もちろん時には雑談も交えての時間帯はあったけれど、ほとんどは会務についてのまじめな討論である。この会以外ではまったくお付き合いのない間柄であるが、ひとつのテーマでもいつまでも話が出来るものだと思った。いや、問題は多すぎる。
しかしもうひとつは、関東に行くと時々思うことだが、九州とは明らかに違う厳密さがあるせいだとも思う。細かいことも、問題が起こる前に予想しようとする。結局は分からないことなのだから、そこのところはどうなのか、と思わないでもないことまで、一応という感じで提案として上がってくる。そこで皆ウームとしばし考え込んでしまったりするのである。
これを関東の人は精度をあげるためにやっているという意識があることが分かってきた。明らかに混乱させるという意味でなく、意図的に話を飛ばして細かくしている。また、そういうところまで気づく人が能力の高い人と評価されるようだ。だから次に来る人も同じように細かい人が出世してくる。事務能力は大変高いが、決定がいつまでも先延ばしになっていくように思う。結局は少し強引過ぎるような人が、その上に座るようなことになっている。そういうバランス感覚なのかもしれない。
翌日になってこういう感じの会議ばかりだと大変だと素直に話していたら、事務局をしている人の上司の人は「夕方5時からがはじめて自分の仕事になる、といつも言っています」とのことだった。自宅が遠いので、ほとんど泊り込んで仕事を続けているらしい。うへーっ。
過労死が問題になったり、自殺者が多くて平均年齢が下がっているといわれているが、根本的にこういう効率の悪さが大きな原因なんじゃないかといいたくなる。池田信夫が言っているように、ジョブスのように失敗が9あってもひとつの成功が全体を救うような事業をやれないと、次の世界は開けていけないとも思う。日本の閉塞感というのは、突き詰めれば会議の効率性かもしれない。進んで失敗したくはないが、チキンハートでは生きていけないのではないか。
関係無いが、カエルを水から温めていくと、沸騰するまで気づかず死んでしまうという話がある。実際にはカエルは熱くなる前に逃げ出すそうだ。カエルには出来るが人間には出来ないことがある。日本という集団にも本当に当てはまる話になるのかどうか…。