フェイブルマンズ/スティーブン・スピルバーグ監督
監督本人の自伝的映画と言われているが、さて真偽のほどは……。たいていの作家というのは嘘つきで、映画監督もそうかもしれないので。
幼少のころに両親に連れられて観た「史上最大のショウ」の列車の衝突場面が忘れられず、電動機関車のおもちゃを何度も衝突させて壊してしまうので(おもちゃとはいえ、おそらく高価なものだと思われる。父親は息子可愛さに奮発して買い与えているものの、すぐに壊してしまうので困っていた)、母親が8ミリのフィルムで撮れば、何度もぶつけなくても映像を見返すことができると教える。それでその映像の虜になったことで、映画監督の芽生えがあったということになる。
少年時代はボーイスカウトに入っていたが、その仲間を使って短編映画を撮って評判を呼んでいた。撮影にあたって様々な工夫を施し、その卓越したアイディアの活かされた映像に、人々は驚愕した。父親も、そういう息子を誇らしく感じてはいたが、それはあくまで趣味であり、実益を兼ねた勉強をして、堅実な仕事に就くことを望んでいた。一方の母親はピアノを弾く芸術家肌で、息子がその好きな道をそのまま伸ばしていく方が、本人とって良い事だということをわかっていた。この両親の考え方の違いの葛藤や、自分自身の将来の不安などもあって、青年期は映像世界からあえて離れることもあるのだった。
父親の仕事の関係で、あちこちに転居することになるのだったが、最終的に高校時代は、ユダヤ人に差別的なカルフォルニアの風土があり、激しくいじめられる。しかし自分に暴力をふるう同級生であったとしても、映像の構成上必要とあらば、主役的な演出も厭わない考えを持っているのだった。それがスピルバーグの原点でもあり、主義でもある、ということなのかもしれない。
まさに、監督スピルバーグがいかに誕生したのかということを、自ら語っている映画なのである。両親の離婚の原因をいち早く察知し、苦悩しながらも、その家族史として、自分の中にある芸術的な心情と、ある意味仕事に対する理性的な向き合い方のルーツを解き明かしている。あんがいにおじさんの影響もあったということかもしれない。そうして、離婚の原因となった両親の友人や、自分の妹たちとの関係も見過ごせない。要するに成長とともに芸術性は養われるのであり、自分の欲するところに抗いがたい強い指向性がある。廻りはそれを、時には妨害しながらも、認めざるを得なくなるのである。それは後のスピルバーグ自身の、偉大な足跡と成功の礎であったのである。