カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

現役を続けられる人   人生の特等席

2014-03-19 | 映画

人生の特等席/ロバート・ロレンツ監督

 指摘している人もいるようだが、「マネーボール」への批判めいたお話ということはいえるようだ。実際に老練なスカウトマンにしか分からないようなことというのはありそうであって、しかし単純にカーブが打てないというのは情けないにしろ(明確なので対処しようがありそうだし)、データを重視しないほうが不公平だとは思うのだが…。さらに棚から牡丹餅みたいに凄い投手を獲得するという裏技まであって、痛快だが都合よすぎる。
 まあ、批判としては破綻しているものの、玄人にはクロウトしか分からんのじゃ、ボケーっという考え方に一定の共感があるらしいことは理解できる。実際にそういうことはあるわけだし、世の中に専門家が必要なことくらい常識である。それで飯を食っている人がゴマンといて、専門知識と素人との乖離が激しいものほど、要するにお金になるわけだ。そういう知識が陳腐化したら、いわゆる食えなくなるだけのお話であって、いくら郷愁をあおっても仕方あるまい。専門性の価値というのはそういうもので、結局は物語にして正当化しないと成り立たないような分野であれば、衰退して当然である。しかし世の中というのは必ずしもそのようにシビアに厳しいとばかりは言えず、結局既得権益に胡坐をかいている分野のほうが多い。そういうことと戦うほうが本当に厳しいのであって、現実を受け入れない勢力と日々戦っている現場の人間がいるというのが、リアルな世界観という気がする。もちろんでも、浪花節のほうが映画としては面白いのかもしれないが…。
 まあ、そういうお話でご都合主義的な展開も多いのだが、イーストウッドの存在感で、そういう疑問も払拭してしまうような力がある。大して演技して無くても、勝手に観る方が勘案して理解するということかもしれない。他のオヤジなら、早いとこ引退しなよ、と普通に思うところ、もうちょっとがんばってもいいんじゃないか、と思わせられるわけだ。
 実のところ引退というのは難しいもので、本人が潮時と思えばそうすればいいとも思うし、本人がそう思わないでも回りがそう思う場合が厄介だったりするわけだ。一昔前の相撲のような世界だと、ある程度のピークを保ちながら後進に譲る美学のような場合もあったし、最近の野球選手のように、ずいぶん高い年齢でもプレーを続けるような人が称えられたりする。まあ、人によるんだということになるとその通りなんだが、現役のプレーヤーならそうでも、肉体的な労働をやらない人だと事情は違うかもしれない。日本のように年齢で一律に定年のような引退が決められている社会と、アメリカのように定年という概念が無い社会と引退に対する見方というのは違うものがありそうだ。ただ、違うけれど現役とはいつまでか問題というのがあって、つまるところその人しだいなわけで、イーストウッドならまだ働ける、という映画だったということなんだろう。
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