カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

古いのが新鮮な場合もある   雲の上団五郎一座

2013-02-28 | 映画
雲の上団五郎一座/青柳信雄監督

 フランキー堺が怪しすぎるので、きっと詐欺師だとばかり思っていて、いつか裏切りの大どんでん返しが来るに違いないと踏んでいたのだが、物語はどんどん違う方向に進んで行って、ある意味で意外性のある感じがしたかもしれない。
 昔のコメディアンが芸達者だというのはある程度の認識のあることだが、今と何が一番違うのかというのは、恐らく舞台の経験の差ではなかろうか。いや、今も形を変えた舞台の場はあるのだろうけれど、いわゆる演劇の中で、お話しに沿った上で、しかし時にはアドリブを交えて自由に演技をするということの違いなのではないか。脚本通りすることがあっても、客の状態を見て、やることを変えるような事もしていたのではないか。このような映画であっても、撮り直しがあるはずであるにもかかわらず、いわゆるアドリブめいたことをするのが、喜劇役者というものではないか。実はホントかウソかは知らないで書いているのだが、時々そのような事を言っている監督さんがいて、時にはそれがやはり面白くて、そのまま使ってしまうということがあったらしい。この映画はそのような雰囲気を伝えている場面が多くて、やはり勢いのある人々が、ある程度自由に演じていたということでは無いのだろうか。さすがにエノケンだけはあんまり体調が良くないように見えて、妙に地味なのが気になったが…。
 子供の頃には、この映画に出ているような人がまだ生きていて、時々見ることがあったようである。既にかなりお年を召した後のことだろうから、最盛期とはまた違うことだったかもしれないが、何人かの役者さんの顔を見ているだけで、なんだかとても懐かしい気分になった。その当時現役だった人には、たまらない感慨があるに違いない。今の笑いと比べると、妙にドタバタが多くて、そうしてなんとも下らない訳だが、しかしやりたいことは、結果的には予測がつきにくいところがあって、いわゆるリアルとふざけた部分の境が明確でない。それをいわゆる絶妙という感覚で見るべきなのかどうか、そこのあたりがやはりちょっと戸惑うところで、今のペースと違うせいか、映画を見ながら馴らしていかなければならない感じもするのだった。
 録画した映画だったので既に消去してしまったのだけど、取っておいてもよかったかな、という気分にはさせられたのだった。
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