年度が替わることに異論があるわけではないが、正月で年が明けるときと比べると、そのダイナミックさにかけるところがある割りに、やはり4月からの変化というのは却って正月より大きいものである。
正月は年自体が新しくなるということで、なんだか個人的には一新される気分に浸れるが、実際のところ身の回りのものが大きく変化したりはしない。しかし年度替りというのは物理的に身の回りのものや人ががらりと変わってしまって戸惑うことの方が大きい。本人が新入生だったり、配置が変わったり退職したりした人ならば、もっとその変化は劇的なものだろう。そういう意味では、年が変わるよりも実際に世の中が変わるのは、年度替りだということが言えるだろう。
日本は英国の真似をしたのだろうから英国も今はこんな感じに変化しているのだろうか。今はやたら意識しまくっている米国や中国は、学校が9月替わりなのだが、あれは年度替りというのとはちょっと違う感じもする。そこのあたりの国とのずれというのも、比較してみると面白いかもしれない。
このような4月の変化がなければ5月病も無いのだと思う。劇的な荒療治はリスクも大きいような気がする。徐々になれていくほうが、個人にとってはやさしいのではないだろうか。
正月は年自体が新しくなるということで、なんだか個人的には一新される気分に浸れるが、実際のところ身の回りのものが大きく変化したりはしない。しかし年度替りというのは物理的に身の回りのものや人ががらりと変わってしまって戸惑うことの方が大きい。本人が新入生だったり、配置が変わったり退職したりした人ならば、もっとその変化は劇的なものだろう。そういう意味では、年が変わるよりも実際に世の中が変わるのは、年度替りだということが言えるだろう。
日本は英国の真似をしたのだろうから英国も今はこんな感じに変化しているのだろうか。今はやたら意識しまくっている米国や中国は、学校が9月替わりなのだが、あれは年度替りというのとはちょっと違う感じもする。そこのあたりの国とのずれというのも、比較してみると面白いかもしれない。
このような4月の変化がなければ5月病も無いのだと思う。劇的な荒療治はリスクも大きいような気がする。徐々になれていくほうが、個人にとってはやさしいのではないだろうか。