カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

よどんだ湿地の池のように   ブルー・バイユー

2023-07-25 | 映画

ブルー・バイユー/ジャスティン・チョン監督

 定職に就けず、場所を借りてタトゥー彫りで生業を立てているらしい韓国移民の男は、シングルマザーの白人米国人(看護師のようだ)と暮らしていて、新たに子供が生まれそうである。彼女には警察官の元カレがいて、どうもこの男に問題があったために別れて韓国男と付き合うようになったいきさつがあるようだ。男はバイクが好きなようだが、以前にバイクを盗んだ罪で二度服役している。そうしてまたお金に困ると、以前の仲間とともに高級バイクを実際に盗んだりする。物語としてはどうしても弁護料の資金がいるので仕方のないことのように語られるが、さて、どうしたものだろうか。
 このお話は、一種のドキュメンタリー的な告発の意味があるらしく、監督(主演も脚本も兼ねている)も韓国系の米国人ということで、米国に養子縁組をして移民として暮らしている人の多くは、何か法的な不備があって、大人になってから強制送還されるということが増えていて、そのことの不条理を訴えているものである。実際に他国の生まれであったとしても、幼い頃に米国に渡り養子縁組で一旦米国人になったはずなのに、後になって手続きが良くないので母国に強制的に返されてしまっても、本人は英語しか話せないし、母国には家も無いし知り合いも何も無いのである。さらにこのお話のように、曲がりなりにも愛する家族との暮らしがある。引き離された上に、二度と米国へ入国を許さないということになると、その家族がまた会うためには、強制送還された国へ米国人が移民として移住しなければならない理屈になる。実際にはそんな選択はしないだろうから、引き離されておしまい、なのであろう。
 そういう悲劇の物語なのだが、はっきり言っていろいろと不備がある。そういう境遇に置かれた移民の状態が、この男のように非常に不安定なのは分かるのだが、そのために犯罪を繰り返すなど、やはり社会を脅かす存在として米国社会が観ているらしいという背景が上手く描かれていない。さらに元カレの警察官と友人が、不当な暴力を繰り返しており、そのための不利益によって司法が動かされていることに、かなりの疑問を感じる。今暮らしている事実上の妻にしても、肝心なところで、男を見放すようなことを繰り返している。寄ってたかって男をいじめているようなもので、ふつうに男はそのような暴力を公的なところに持って行って戦った方がまともにお話は進むはずなのに、まったくそんなことさえしようとしない。基本的に皆不真面目なのである。これではちゃんとした不条理を糺す主張があったとしても、そもそもの問題点を自分たちなりに解決しようとしていないで、疑問などが膨れ上がってしまい、呆れるばかりである。悪いのは米国社会というよりも、元カレを含む警察官であり、差別や偏見でまともな職を提供しない、もしくはその努力を続けない移民にあるのである。
 そういう事でかなりの失敗作だと思うが、米国社会におけるアジアンの哀しい立ち位置というのは垣間見えて、なるほどな、とも思うので、それなりに惜しい作品かもしれない。ブルー・バイユーというのは、そういう歌もあるということらしいが、米国南部にあるよどんだ水池のようなものを指しているらしく、ちゃんと流れに乗れない移民たちの立ち位置を暗示している、と考えていいだろう。自国でも事情があり上手く行かなくて、米国に渡っても上手く行かない。そういう人に愛の手を、ということなのであろう。
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