米国下院の従軍慰安婦報道を見ると、なんだかなあ、という気分の悪さを感じる。特に右翼の人たちが暴れたくなる気持ちもよく分かる。人の気持ちを逆なでさせて楽しいという米国は、益々孤立するのではないか。まあ、相変わらずといえば、そうなんだけど…。
まあ、しかし誤解で謝罪するわけにもいかないし、この問題は事実上スルーされるのだろうけれど、思い切って繰り返し誤解だと暴れる方が国際社会にとってはいいことであるとは思う。小泉首相が繰り返し靖国参拝したことで、日本の国際的評価は飛躍的に高まったといわれている。特にヨーロッパ関係では日本も外圧に負けずに自国の主張をするということで、かなりびっくりしたようだ。今回は相手が米国だし、思いっきり突っぱねることで評価はまた上がることだろう。そういうチャンスではあるけれど、国内報道はそうはならないだろうことだけが、相変わらずうんざりである。日本も北の将軍様を見習わず、偏った報道ばかりするべきではない。多少他国語の分かる人もいるんだろうから、各国の反応を素直に伝えて欲しいものである。
拉致問題の反撃としてこういう問題が遡上にあがっていることは容易に想像できることだが、そういう政治的な駆け引きというのは、正直言ってよく分からない。お互い米国にジャッジして欲しいという心情なのは、やはりアジア的な思考方法なのかもしれない。
一方で繰り返しこうした謝罪が求められるという背景もあるとは思う。日本は確かに尊敬されず嫌われているということではあるのだろう。反日抗日というのは、歴史的にも根強いものだし、民衆が盛り上がる題材でもある。ブルース・リーの映画でも、悪人はたいてい日本人だった。日本の悪口がヒットソングになるのはアジアに共通のもののようだ。何も中国、朝鮮系だけでなく、東南アジアにいたるまで、日本のことをよく思っていない人口は、相当数あるらしいことは予想できる。経済の発展をねたむという要素も確かにないこともないだろうけれど、ことはそれだけではないような気もしないではない。
たぶんそれらの国からみて、日本という国は一言でいって、「傲慢」なのではないか。そして不思議なことに傲慢なくせに自覚が無い。たとえていうなら、足を踏んでおきながら知らんふりしている感じかもしれない。「あれ、痛かったの」程度の自覚しかないように思われているのではないか。
養老さんも書いていたけれど、日本は米国に似てきたのではないか。自国のことだけで相手のことを考えない。そしていつも傲慢である。世界各国から嫌われているのに自覚が無く、そればかりでなく押し付けがましい。世界の警察を勝手に気取っており、ずかずか踏み込んで制裁したりする。そしていつまでも間違いを認めない。
そういう米国に憧れ追従し、真似ばかりしてきたツケが回ってきたということか。アジアに対してそういう態度を取っているという自覚が無いのではないか。アジアの国の人たちを、一段軽く見ているのではないか。僕は普段の日本人を見ていて、実は常々それを感じる。偏見であることにも気づかないぐらい根深く残っている優越感のようなものである。
実際僕自身も中国や韓国という国は、国家としては問題も多く深刻だと思ってしまうことも多いのも事実である。日本の国内問題など、かの国々に比べるとたいして重大でも厄介でもなさそうに思われるぐらいだ。そうではあるけれど、日本の優越性は限りない偶然が生み出したものだということも自覚がある。日本国民が近隣国民よりすぐれていたから経済が発展したわけではない。日本人も確かにがんばったが、報われるだけ幸運も重なったのである。自分達だけでなりあがったと思うのは、いささか勝手過ぎるのかもしれない。
まあ、それでも「正しい」歴史なんてものは、そもそもありはしない。正しいという表現が既に政治的である。実際には想像力と勉強が足りないだけである。
また、こういうやり方で別問題である「傲慢さ」を正そうとする行為はフェアじゃない。お互いの壁をさらに厚く高くする政治には、やはりまともに取り合わないということが大切だろう。
心なしかNHKの声が高いのが気になるところだが、安倍首相に復讐しているのだろうか。こういう選挙運動をするメディアというものは、注意が必要である。権力というものは、どこで声がでかくなるかということでもある。報道の温度差を見てみるのも面白いのかもしれない。
まあ、しかし誤解で謝罪するわけにもいかないし、この問題は事実上スルーされるのだろうけれど、思い切って繰り返し誤解だと暴れる方が国際社会にとってはいいことであるとは思う。小泉首相が繰り返し靖国参拝したことで、日本の国際的評価は飛躍的に高まったといわれている。特にヨーロッパ関係では日本も外圧に負けずに自国の主張をするということで、かなりびっくりしたようだ。今回は相手が米国だし、思いっきり突っぱねることで評価はまた上がることだろう。そういうチャンスではあるけれど、国内報道はそうはならないだろうことだけが、相変わらずうんざりである。日本も北の将軍様を見習わず、偏った報道ばかりするべきではない。多少他国語の分かる人もいるんだろうから、各国の反応を素直に伝えて欲しいものである。
拉致問題の反撃としてこういう問題が遡上にあがっていることは容易に想像できることだが、そういう政治的な駆け引きというのは、正直言ってよく分からない。お互い米国にジャッジして欲しいという心情なのは、やはりアジア的な思考方法なのかもしれない。
一方で繰り返しこうした謝罪が求められるという背景もあるとは思う。日本は確かに尊敬されず嫌われているということではあるのだろう。反日抗日というのは、歴史的にも根強いものだし、民衆が盛り上がる題材でもある。ブルース・リーの映画でも、悪人はたいてい日本人だった。日本の悪口がヒットソングになるのはアジアに共通のもののようだ。何も中国、朝鮮系だけでなく、東南アジアにいたるまで、日本のことをよく思っていない人口は、相当数あるらしいことは予想できる。経済の発展をねたむという要素も確かにないこともないだろうけれど、ことはそれだけではないような気もしないではない。
たぶんそれらの国からみて、日本という国は一言でいって、「傲慢」なのではないか。そして不思議なことに傲慢なくせに自覚が無い。たとえていうなら、足を踏んでおきながら知らんふりしている感じかもしれない。「あれ、痛かったの」程度の自覚しかないように思われているのではないか。
養老さんも書いていたけれど、日本は米国に似てきたのではないか。自国のことだけで相手のことを考えない。そしていつも傲慢である。世界各国から嫌われているのに自覚が無く、そればかりでなく押し付けがましい。世界の警察を勝手に気取っており、ずかずか踏み込んで制裁したりする。そしていつまでも間違いを認めない。
そういう米国に憧れ追従し、真似ばかりしてきたツケが回ってきたということか。アジアに対してそういう態度を取っているという自覚が無いのではないか。アジアの国の人たちを、一段軽く見ているのではないか。僕は普段の日本人を見ていて、実は常々それを感じる。偏見であることにも気づかないぐらい根深く残っている優越感のようなものである。
実際僕自身も中国や韓国という国は、国家としては問題も多く深刻だと思ってしまうことも多いのも事実である。日本の国内問題など、かの国々に比べるとたいして重大でも厄介でもなさそうに思われるぐらいだ。そうではあるけれど、日本の優越性は限りない偶然が生み出したものだということも自覚がある。日本国民が近隣国民よりすぐれていたから経済が発展したわけではない。日本人も確かにがんばったが、報われるだけ幸運も重なったのである。自分達だけでなりあがったと思うのは、いささか勝手過ぎるのかもしれない。
まあ、それでも「正しい」歴史なんてものは、そもそもありはしない。正しいという表現が既に政治的である。実際には想像力と勉強が足りないだけである。
また、こういうやり方で別問題である「傲慢さ」を正そうとする行為はフェアじゃない。お互いの壁をさらに厚く高くする政治には、やはりまともに取り合わないということが大切だろう。
心なしかNHKの声が高いのが気になるところだが、安倍首相に復讐しているのだろうか。こういう選挙運動をするメディアというものは、注意が必要である。権力というものは、どこで声がでかくなるかということでもある。報道の温度差を見てみるのも面白いのかもしれない。
あらゆる関連本の中で最も良い。
この問題の全容も把握できる。
コメントありがとうございます。
今回の米国下院の決議は、完全に「踏み外した」ものだと思います。しかし、誤解から歴史は作られたりするんですよね。ちょうど分かりにくくなった時期として、このタイミングなのかもしれません。
まあ、ゴー宣でも読んでみますか。気持ちは治まらなくなるでしょうけど…。
しかし悲しいですけど、議論してもたぶん不毛ですよ。平行線がどこまでも続いているみたいなものです。どちらかが間違っているという指摘だけじゃ、たぶん駄目なんですよ。