チェイサー/ナ・ホンジン監督
気持ちが悪いというか、結構恐ろしい。これはうっかり観るのは危険かもしれない。
猟奇殺人というのは、犯人と被害者との関連がほとんど無い。従来の犯行の動機から怪しい人物を割り出すことが出来ない。単に彼等は人間を狩猟するわけだから、どのタイミングで獲物になってしまうかというだけの関係だ。殺すことが目的だから、いつかは捕まるということもあまり考えていない。大胆に行動していても、なかなか捕まるものではないのかもしれない。そうするうちに被害者の数は増えていき、悲劇の数も増えてしまう訳だ。
もちろん警察の捜査もまずい。いろんな要素が犯人にとって都合の良い材料として積み上がって行く。いったい法律は誰のためにあるのか。権力から個人を守ることは大切なことだが、そのために運の悪い命が犠牲として積まれていく。本当のことを知るために様々な憶測と嘘と勘違いが混ざり、事態はどちらに転ぶかまったくわからなくなってしまう。映画を観ている方は真実を知っているが、演じている彼らにはそのことが分からない。偶然が犯人の意思とは別に、見ているものが望まない方向へどんどん展開していく不快さが、さらに目を離さなくさせていくのである。ほとんど最悪の気分なのに、観客を捉えることに成功しているという、ある意味でホラーの王道サスペンスかもしれない。
悪人とは何か、善人とは何か。時折そんなような事を考えさせられる。犯人を追う主人公は、ほとんどむちゃくちゃな悪人のチンピラだが、しかしこの映画の純粋な善なのである。彼に頼らなければ、物語の救いは無い。次々に悪行を重ねているが、それは単に被害者を救いたい一心なのだが、しかし警察をはじめ様々な人が彼を妨害していく。その妨害を乗り越えるために、さらに彼は無茶な悪行を重ねていくより無いのである。このような不条理を描いた世界としては、本当に良く出来ていると言わざるを得ない。
それにしても、最悪の運というのはあるのだろう。どう転んでも自分の運を恨むしかない。努力もするがことごとく報われない。必死になっているのに誰も助けてはくれないのだ。もちろん必死に助けようとする力もある。そのわずかな望みにすがってあるだけの力を振り絞って、そうして目の前の神は自分になんという返事をくれるというのだろう。
最悪というものを物語にすると、このような映画になる。そうしてそれを娯楽として観る人間が居る。実は面白い映画だとお勧めするのだが、本当に気分は最悪なのである。面白いという意味は誤解を生むが、しかしこれはやはり、かなりの傑作に部類する娯楽作であることに間違いが無い。最悪の気分をどうぞ楽しんでください。