立証責任/スコット・トゥロー著(文春文庫)
家に帰ると妻が車のガレージで自殺していた。自分に思い当たる節は無い。既に子供たちは皆成人してそれぞれの人生を歩んでいる。自分自身も弁護士としてそれなりの地位にある。男にはアルゼンチンから移住して苦労した過去がある。そうして弁護士として勉強しているときに、所属していた事務所の娘と知り合う。身分違いの交際とも感じていたが、お互いに合うところがあり結婚に至る。そのようなエピソードも交えながら、現実の時間の流れともに語られる。妻を亡くした悲しみと、そうして慰めのバランスがあってか、すぐにある女性とも関係を持ってしまう。そういうときに、実は妻は性病に苦しんでいたこと(飲んでいた薬を発見する)を知る。恐らく浮気をしていて、そのためにうつされたのだ。何しろ自分には覚えがない。しかしそうなると自分も罹患している可能性もある。性関係を結んでしまった相手にもそのことを伝えるべきではある。検査の結果が分かるまでには時間もかかる。実は息子が医者になっており、他ならぬ検査を息子にしてもらった。当然息子は他のきょうだいである娘たちにもその事実を漏らしてしまう。そういう中で、依頼人が自分に不正直に情報を隠したまま、非常に難しい局面の検察の捜査を受けている。妻の浮気の調査と、自分の恋愛問題と、依頼人を守る手立てに奔走されて、どんどん複雑な状態に立たされていく。
主にこの妻を亡くしたスターンという弁護士の、心理の葛藤を描いたミステリになっている。性の問題が絡むと、深刻だが、どこかコメディめいた味わいもある。何しろ危機的な状況にありながら、恥ずかしいようなことにもなりながら、大きく感情を揺さぶられていく。弁護士としては有能だが、しかしどこか恋愛にはうぶなところがある。捜査の手が進んでいくうちに、確かに妙な具合に事件が転がって行って、ついには実は妻の浮気問題とも事件は絡んでいくのである。
著者は現役の弁護士でもあるということで、法廷外の駆け引きにおいても、実にリアルな掛け合いが続く。情報を持っているかいないか。それだけのことでも、非常に言葉を選びながら根気よく相手の懐を探っていく。同時にその言葉の意味から推理を進めて、何をするかの決断材料にしていく。ウソかホントかということも含め、自分がどのような推理でことを進めていくかということが、有利な未来を決めていくのである。
人間の思惑というのは、ある時はやはり自分自身のためであり、時には献身的であったりもする。事実は限られているが、それを取り巻く人々のために、その捉え方は二転三転ところがって行く。家族の問題もあるし、自分だけに不都合であるだけでない問題もある。スパッと物事がきれいに分かれるということはなかなかできない。要するに落としどころを模索する。きわめて政治的で、そうしてそれが、裁判という法の世界の考え方なのだろう。理屈の世界で物事が取り扱われる世界にあって、しかし人間の感情抜きに行動は伴わない。人間ドラマそのものが、だからスリリングなサスペンスになる。よくもまあこれだけのお話に仕上がったものだなと、ある意味では感心してしまった心理ミステリであった。