カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

絶滅してなかった

2007-09-24 | 雑記
 運動会のお弁当作りのため、つれあいも朝が早い。そうすると当然のように杏月ちゃんも早く目覚める。そうして僕はついでに早く起こされてしまう。目が覚めたらせっかくだから長めの散歩に出ることになる。眠くてふらふら歩いて、早朝から既に軽く八千歩である。あんまり運動するのは体によくないので、適当に切り上げて帰る。汗びっしょりになっているので、冷たいシャワーが気持ちいい。

 そういうわけで運動会である。
 放送部のアナウンスがいちいち面白くて、思わずくすくす笑ってしまう。もごもごはっきりしないアクセント。もたついて紹介し終わらないうちに競技が終了。やる気の無い棒読みコメント。思わず突っ込みを入れたくなるようなボケた状況説明。もちろんプロじゃないんだから下手で結構である。しかし、それにも勝る脱力ぶりがあったりして、この年代の精神的空気が読み取れる。勘違いかもしれないけれど、僕らの時代には変なやつもいるにはいたが、大人顔負けの妙に上手いアナウンスが聞かれたものである。適材適所ということが、最近は少ないのかもしれない。これは深読みかもしれないけれど、妙な平等観があって、本当に上手な人が、表に出られないのではないか。まあ、うがった見方だろうけれど…。
 ワイヤレスの感度も悪くて聞き取りにくい。準備という点で、なんとなく不十分が読み取れる。予定時間もどんどん割り込んで、段々と時間が押してゆく。競技と競技のつなぎが悪くてまどろっこしい。午前も午後も結局大幅に終了時間が遅くなった。まあ、こういう世界なのかもしれないな。

 中学生といってもかなり発育のいい子がいて、特にこの年代の女の子というのも大変だな、と思った。そうとう意地が強くなければ、一所懸命に走れないのではないか。本来それなりに体力に自信があっても、だんだんスポーツに注ぎ込む情熱が薄れていくのではないか。体の変化は、要するに大きく外見を変えるので、自分自身より外の世界の方に影響を及ぼす。自分が考えている以上に、他人からの視線に注意を払うように忠告を受けることだろう。そうして結局外からの声に耳を傾けざるを得ない。考え方にもおそらく影響があることだろう。男と女の趣向性の違いというものにも、この次期の体の変化は、重要なファクターになっているのであろう。
僕は男だったので、そういう苦労はほとんど無かった。運動会が特に好きだったわけではないけれど、思いっきり走れるという爽快感は、自分の万能感にもつながっていたように思う。何か自分に対する期待のような、結果的に残念になろうとも、走る前には何事かをやれるような気分になっていた。それは、おそらく今でも続いていて、やってみなけりゃわからんじゃないか、という根拠無く行動に移せる動機になっているようにも思う。もちろん、それがいいことであるとは限らないのだが…。

 最近ではすっかり珍しくなったダボダボズボンのヤンキー君集団も、バイクをビービー言わせて走り回っていた。いるところにはいるものである。あまりにも珍しく恥かしい生物なので、まじまじと見入ってしまった。よく見ていると、ちゃんと女の不良もいて、絵に描いたようなだらしなさだ。これだけかっこ悪いと、えらいなあとかえって感心する気持ちになる。自分に対する一種の信念を持っているので、迷惑だがバカなりにえらいのである。これからもいろんなところとぶつかって苦労する人生を歩むことだろう。気の毒といえばそういう存在なのかもしれない。まあ、自分で選択したことだ。不愉快を楽しんでくれたまえ。
 高校の教師だったY野先生が、どうしようもない不良に限って卒業後に必ず学校に遊びに来るのが不思議だ、といっていたのを思い出した。在学中は学校が嫌いで仕方が無い、というようなことばかり言っていたくせに、矛盾しているのではないか。むしろ学校では活発に生徒会活動などをこなすような比較的優秀な生徒は、卒業しても二度と学校に遊びに来ることなど無いという。まあ、そうかもしれない。
久しぶりに学校に来て見ると、校舎は驚くほどボロボロである。まあ、それは古いせいで仕方が無いのだが、そういえば僕らの時代から随分汚かった。途中トイレを借りたのだが、大のほうの扉はちゃんとついていた。僕の時代の中学校というのは大変に荒れていたので、職員室以外のトイレの扉がちゃんとついていることは無かった。
 昔より今のほうが少しよくなっているのかもしれない。何しろ男子は坊主頭ではない。僕らの時代には、生徒の方で坊主頭の方がいいということを言うようなバカな人間までいた。W崎という同級生だったが、成績はいいくせにどうしようもないバカだと思った。まだまだ制服はなくならないでバカな空気は残っているのだろうけれど、馬鹿さ加減は少しだけ薄まっているのであろう。
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