台風一過
2007-07-16 | 雑記
台風一過という言葉を、子供の頃は「台風一家」だと思っていた。第何号というのは、家族の構成員だとも思っていたわけだ。しかし、最近はこの言葉自体を使う人が少なくなった気がする。まさか僕のような誤解をする人が増えたせいではないだろうが、言葉遣いには流行があるのだろうと思われる。台風が過ぎ去った後には、台風自体が雨雲も一緒に吹き飛ばしてくれるのかどうか知らないが、静かに晴れた青空が広がったりするのである。平穏のありがたさが広がる一時の時間なのである。
しかしながら大陸の台風というのは少し様子が違うようだった。知り合いのフィリピン人の話を聞くと、日本と同じような感じらしかったけれど、中国や米国の場合は、台風というのは、その風の脅威というより、台風後に大雨が続いて増水し、長時間水に苦しめられるということであった。もちろん地域性もあるのだろうけれど、確かにそういう報道も聞くような気がする。日本は急峻な山間に集落がある場合が多くて、土砂崩れのような災害が起こる代わりに、長期間水浸しになるということは少ないのかもしれない。大陸の平野部は、水が長期間滞留し、人々を苦しめるということなのかもしれない。どちらがいいという話ではないが、一気に死ぬか、じわじわ死ぬかという選別のような気がしないではない。もちろんどちらも嫌であるけれど。
しかしながら大陸の台風というのは少し様子が違うようだった。知り合いのフィリピン人の話を聞くと、日本と同じような感じらしかったけれど、中国や米国の場合は、台風というのは、その風の脅威というより、台風後に大雨が続いて増水し、長時間水に苦しめられるということであった。もちろん地域性もあるのだろうけれど、確かにそういう報道も聞くような気がする。日本は急峻な山間に集落がある場合が多くて、土砂崩れのような災害が起こる代わりに、長期間水浸しになるということは少ないのかもしれない。大陸の平野部は、水が長期間滞留し、人々を苦しめるということなのかもしれない。どちらがいいという話ではないが、一気に死ぬか、じわじわ死ぬかという選別のような気がしないではない。もちろんどちらも嫌であるけれど。