村上レディオでスガシカオがゲストで出ていて、二人でアトランティック・ソウルの話をしていた。実に面白かった。まあ、僕は特にアトランティックとモータウンなどを分けて聞くというようなことは無かったので、この番組でかかった曲は、知ってる曲がほとんどだったけど、新鮮に思えた。アレサ・フランクリンはあっても、ダイアナ・ロスは無いのである。そういわれると、そうなのかって感じだけど……(そういう具合にレーベルを気にしたことは,日本人には、ほどんどないことでは無かったのではなかろうか?)。
村上春樹はもちろん日本を代表する音楽オタクだから詳しいのは当たり前だけど、スガシカオもまたやたらに詳しいのである。音楽談義はこうでなくちゃね。
誰もが知っているパーシー・スレッジの「男が女を愛する時」は、実はホーンセクションの音などが少しずれてたりしてたので、ちゃんとしたのを録り直したのにかかわらず、何かの間違いで直してないほうがレコーディングされてしまった。しかしそれがそのまま受け入れられ、大ヒットしてしまった。それだけでも凄い事なのに、この曲の影響力はそれだけに終わらなかった。
さらにこの曲がモチーフになって、プロコル・ハルムの「青い影」になったらしい。確かにそういわれてみると、よく似てますね。すごい。今まで気づかなかったけど、この曲をうまい具合に解体して、作り直したのはよく分かる。
さらにだけど、この「青い影」をモチーフにして荒井(松任谷)由美が「ひこうき雲」などの曲を作ったというもの有名は話である。番組では語られなかったけれど、そういう土台になった歴史というのは、僕らが体験したはずのことなのである。
音楽というのは、もしくは文学もそうかもしれないが、記録としてはこれからも残る可能性はあるとして、しかし極めて同時代性のあるものかもしれない。多少古いものであっても、体験しなければ分かりえないものなのだ。再体験というものがある可能性はあるにせよ、やはりそれも時代性なくしてはほとんどありえない体験である。すでにずいぶん昔の話になりつつあるものであっても、それは僕らが生きているレンジの中にあるのである。