ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

緊急事態条項から改憲の発議を~百地章氏

2015-06-05 09:48:51 | 憲法
 現行憲法には、わが国が外国から武力攻撃を受け、またはその危険が切迫している場合、及び内乱・騒擾、大規模自然災害等の非常事態が生じた場合、どのように対応するかが、定められていない。多くの国の憲法には、緊急事態条項が設けられている。わが国でも、明治憲法にはその規定があった。それをもとに、2・26事件では戒厳令を発令した。しかし、現行憲法は、それがなくされてしまった。
 緊急事態規定のないことと、第9条で国防を規制していることは、同じ事情による。占領下にアメリカによって作られた憲法だから、何か起これば、GHQが出動することになっていたからである。
 私は、9年ほど前に新憲法私案をネットに掲載し、今も公開している。その中に、緊急事態条項を設けている。また憲法に緊急事態規定のない重大欠陥を指摘し、憲法を改正し、条項を新設するよう訴えてきた。当時はごく少数意見だった。
 平成23年東日本大震災が発生した。原発の事故が起こり、爆発すれば東日本の大部分が危機的状態になり、国家全体もマヒする恐れがあった。だが、憲法にそうした非常事態への対応が定められておらず、また不幸にして当時は民主党政権のため、まともな対応が出来ず、いたずらに被害を拡大し、犠牲者を増やした。
 その反省により、ようやく憲法に緊急事態規定を設けるべきという意見が多くなってきた。現在は共産党を除くすべての政党が必要性を認めている。大震災の影響で首都圏や南海トラフ等で巨大地震が起こる可能性が高まり、日本は天変地異の時代に入っている。改正の際、緊急事態規定を設け、国防と防災を一体のものとして強化する必要性がある。
 日本大学教授の百地章氏は、憲法改正の早期実現を求める有識者の一人である。百地氏は、産経新聞26年12月18日の記事で、衆参両院で3分の2の改憲勢力を結集するためには、改憲のテーマを絞ることが必要だと主張し、テーマの絞り込みの仕方については、「第1に国家的に重要な課題であること、第2に国家、国民にとって緊急の必要性があること、第3が国民にとって分かりやすく、多数の支持が得られそうなものであること」を挙げた。そして、「真っ先に考えられるのがいつ発生するか分からない首都直下型地震などの非常時に備えて、憲法に緊急事態条項を定めることであろう」と述べた。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/46f1e0749767c0ad1f30d00c30571346
 本年5月4日の記事では、緊急急事態条項で改憲の発議をすることを提案している。百地氏は、次のように言う。
 「首都直下型地震などの大規模自然災害への備えに加え、新たに浮上してきたのが大規模テロ対策の必要性である。今回、首相官邸の屋上で小型無人飛行機『ドローン』が発見された。容疑者はブログの中で原発の再稼働阻止のためテロも辞さないとの意思を示していたという。『イスラム国』によるテロの脅威などもあり緊急権導入のために憲法改正が急がれる」と。
 「昨年11月6日の衆議院憲法審査会において、共産党を除く与野党7党(当時)が『憲法に緊急事態条項を』という点でほぼ一致したのは画期的であった。このテーマなら衆議院だけでなく参議院でも憲法改正の発議に必要な3分の2の賛成が得られる可能性が出てきたからである」。
 緊急事態条項については、憲法を改正しなくとも、緊急時の対応はすでに災害対策基本法や国民保護法などに定められているとの理由の反対がある。これに対し、百地氏は、「いざという時に法律だけで対処できないことは先の東日本大震災の折に実証済みである。被災直後、現地ではガソリン、水、食料品などの生活必需物資が不足していたにもかかわらず、災害対策基本法で認められた『物資の統制』を行うための『緊急政令』は出されなかった」と指摘する。また、その理由の一つとして「たとえ法律で『権利・自由の制限』が認められていても憲法に根拠規定がなければ違憲とされる恐れがあり、緊急権を発動するのは困難」ということがあり、「憲法に緊急事態条項を定めておかなければ、いざという時に役に立たない」と主張している。全く同感である。
 以下は、百地氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成27年5月4日

http://www.sankei.com/column/news/150504/clm1505040001-n1.html
2015.5.4 05:01更新
【正論】
緊急事態条項で改憲の発議を 日本大学教授・百地章

 首都直下型地震などの大規模自然災害への備えに加え、新たに浮上してきたのが大規模テロ対策の必要性である。今回、首相官邸の屋上で小型無人飛行機「ドローン」が発見された。容疑者はブログの中で原発の再稼働阻止のためテロも辞さないとの意思を示していたという。「イスラム国」によるテロの脅威などもあり緊急権導入のために憲法改正が急がれる。

≪画期的な与野党7党の合意≫
 「政府」ではなく「国民共同体としての国家」や憲法秩序が危機に陥った時に、国民と国家を守るために発動されるのが緊急権である。制度化は緊急事態でも「立憲主義」を維持するために不可欠である。その意味で、昨年11月6日の衆議院憲法審査会において、共産党を除く与野党7党(当時)が「憲法に緊急事態条項を」という点でほぼ一致したのは画期的であった。このテーマなら衆議院だけでなく参議院でも憲法改正の発議に必要な3分の2の賛成が得られる可能性が出てきたからである。
 自民党は「緊急事態」において法律に代わる「緊急政令」や一定の私権制限を認めるよう主張、公明党も「加憲項目の一つ」として、緊急事態規定の容認が党内の大勢であるとした。
 また野党では、維新の党が「自然による大災害や感染症のパンデミック、また有事の際など、国民の生命や国土を守るべく国として最善の対処をするため」、次世代の党は「有事にあっても憲法秩序を維持し、民主主義を尊重し、権力の濫用(らんよう)や簒奪(さんだつ)を防ぐため」と主張、民主党も「非常事態においても、国民主権や基本的人権の尊重などが侵されることなく、その憲法秩序が維持されるよう」緊急事態条項を、と主張している。
 これに対して唯一反対したのが共産党であった。ただ、緊急事態条項の具体的な内容について十分な論議がなされたとはいえず、今後更に検討が必要である。それゆえ一日も早く憲法改正原案をまとめ、国会による憲法改正の発議が可能となるよう、憲法審査会ではぜひとも審議のスピードアップをはかっていただきたいと思う。

≪法律だけでは対処が困難≫
 共産党は、必要な法律を整備すれば対処可能として、緊急権に反対している。同様に朝日新聞も「憲法を改正しなくとも、緊急時の対応はすでに災害対策基本法や国民保護法などに定められている」との理由で反対している(4月3日、社説)。しかし、いざという時に法律だけで対処できないことは先の東日本大震災の折に実証済みである。被災直後、現地ではガソリン、水、食料品などの生活必需物資が不足していたにもかかわらず、災害対策基本法で認められた「物資の統制」を行うための「緊急政令」は出されなかった。国会が「閉会中」でなかったからというが、もう一つの理由として内閣府の参事官は次のような趣旨の答弁をしていた。「憲法で保障された国民の権利や自由〔経済取引の自由や財産権〕を安易に制限するわけにはいかない」と。
つまり、たとえ法律で「権利・自由の制限」が認められていても憲法に根拠規定がなければ違憲とされる恐れがあり、緊急権を発動するのは困難という訳である。それゆえ憲法に緊急事態条項を定めておかなければ、いざという時に役に立たないのだから、共産党や朝日新聞の主張には無理がある。

≪ドイツの失敗が反対理由?≫
 朝日新聞の社説は、次のようにもいう。「戦前のドイツでワイマール憲法のもと大統領緊急令が乱発され、ヒトラー独裁に道を開いた苦い歴史もある」「ほとんどの国の憲法に盛り込まれているのに日本にはないのは不備であるという。歴史的な経緯を無視した、あまりに単純な主張だ」
 反対派が決まって引き合いに出すのがこの大統領の緊急措置権だ。同憲法48条は「ドイツ国内において公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、またはそのおそれがあるときは、大統領は公共の安全および秩序を維持するために必要な措置をとることができ〔る〕」と定めていた(2項)。
 大統領の緊急措置権が乱用されたのは主に次の理由による。
すなわち大統領に与えられたのは公共の安全と秩序を回復するための「行政措置権」にすぎず、「緊急命令権」つまり立法権は含まれなかった。にもかかわらず判例および政府解釈さらに通説までが「緊急命令」も含まれるとの立場をとり、後に小党乱立のため議会が立法機能を果たせなくなると緊急命令が議会の「通常の立法」にとって代わることになった。
 こうして大統領に独裁的権力が与えられ、大統領の権限を利用して政権を掌握したのがヒトラーである。しかしこれは憲法を逸脱し緊急措置権が乱用された結果にすぎず、緊急権制度そのものに原因があるわけではない。だからこそ戦後、西ドイツはその反省に立って、より周到な緊急権を定めた。
 ドイツの失敗例を持ち出しただけで「ほとんどの国の憲法に盛り込まれ」た緊急権制度そのものに反対するのは、「あまりに単純な主張」ではなかろうか。(ももち あきら)
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 百地氏は、ここで具体的な条文案を提示していない。私は、平成18年(2006)1月11日にマイサイトに掲示した新憲法ほそかわ私案で、下記のような条文案を提案している。用語は非常事態を用いているが、緊急事態と同義で使用している。

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(非常事態宣言)
第十九条 我が国が外国から武力攻撃を受け、またはその危険が切迫している場合、及び内乱・騒擾、大規模自然災害等の非常事態が生じた場合、内閣総理大臣は国会の事前又は事後の承認のもとに、政令により、地域及び期間を決め、非常事態宣言を発し、必要によって緊急命令を発することができる。
2 内閣総理大臣は、非常事態において、国軍の出動を命じ、法律に定めるところにより、非常事態が解消されるまで一定の権利の制限を行うことができる。
3 非常事態における行政事務は、法律の定めるところにより、必要やむを得ない範囲のものに限り、国軍によつて行なわれる。
4 非常事態にかかる地域については、やむを得ない事情のある場合に限り、公共の利益のため、住民の居住、移転、集会、表現等の自由と、財産等の権利に関し、この憲法の規定にかかわらず、政令で、これらの規定と異なる定めをすることができる。
5 緊急を要する租税その他の公課、政府専売品の価格又は通貨に関する措置を必要とするときは、内閣は、国会の事前の承認なくして政令で緊急の措置を行うことができる。
6 前4頃、5項に規定するもののほか、非常事態宣言に関し必要な事項は、法律で定める。

(非常事態宣言の承認と解除)
第二十条 内閣総理大臣は、非常事態宣言並びに緊急命令を発したときは、すみやかに国会に付議して、その承認を得なければならない。
2 非常事態宣言の発令後、国会の承認を得られなかった時、また非常事態が終了したと認められた時は、内閣総理大臣は、すみやかに非常事態解除宣言を発しなければならない。
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 詳しくは、拙稿「日本再建のための新憲法――ほそかわ私案」をご参照ください。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08h.htm

人権158~資本と人権

2015-06-04 08:52:32 | 人権
●資本と人権

 本稿では、これまで資本と人権の問題については、主題的に述べてこなかった。近代資本主義は17世紀から今日まで発展を続けており、一定の時代の枠内ではとらえることができないからである。資本は近代西欧及び世界における権利と権力の変動における重要な要素である。前章から本章にかけて、市民革命から国民国家の時代について書いたが、ここで資本と権利・権力について書くことにする。
 第3章の権力論において、次の旨を書いた。近代西欧では資本主義が発達した。それによって、社会関係が血縁的・生命的な共同性を失い、経済的利益の追求を主とする社会関係に変わった。経済的な権利を拡大する活動が、社会生活の日常となった。生産力が発達し、生活が豊かになるにつれて、人々の権利意識が発達し、個人及び集団の権利の拡大が追求されてきた。ここに新たな社会的権力として、資本が登場した。
 資本は、家族と国家の間に形成された社会経済的な組織である。そして、一個の集団として権力を持つ。資本は、組合・団体・社団に比せられる集団だが、近代社会における特殊な社会的権力である。資本は、資本家と労働者の契約によって形成された組織であり、商品を生産・交換して利潤を生むことを目的とする。「資本の論理」は利潤追求の論理であり、経済的合理主義に貫かれている。これに対し、国家は文化的・政治的な共同体をもとに形成された組織であり、領域と人民を統治し、国民共同体を維持・発展させることを目的とする。「資本の論理」と「国家の論理」は異なっており、それぞれの目的に向かって活動する。資本の社会的権力と政府の国家的権力は、共通の利益を追求する協同的な関係になることも、利害の対立する闘争的な関係になることもあり得る。
 富を集めるため、政府は実力の裏付けのもとに国民に対して徴税と使役を行い、資本は資本家と労働者の権力関係を基盤として合理的に利潤を追求する。資本の社会的権力を最終的に保障するものは政府だが、政府の国家的権力を経済的に支えるものは資本であるという関係にある。
 19世紀以降の西欧及び世界では、こうした資本と国家の間で権利と権力の関係が変動してきた。その変動は、経済的成長と発展をもたらし、また反面で戦争と革命という劇的でまた対照的な現象として現れた。

●資本主義と権利・権力関係

 資本(capital)とは、富を増やしたり、事業を始めたりする時の元手である。一般には資金や生産設備と考えられている。生産手段を私有する資本家は、生産手段を持たない労働者の労働力を商品として買い取って商品生産を行うが、この生産様式を資本制的生産様式をいう。資本主義とは、資本制的生産様式が主たる生産様式になった社会経済体制をいう。
 カール・マルクスは、『資本論』で資本制的生産様式が支配的となった社会の原理を究明し、またこの社会が形成された歴史を描こうと試みた。彼のとらえた資本とは、資金とか生産設備とかいった物象ではなく、生産関係にほかならない。「資本とは、物象ではなく、物象を介した人と人との間の社会的関係である」(『資本論』)、「資本は一つの社会的生産関係である」(『賃労働と資本』)とマルクスは明言する。
 マルクスによれば、資本は貨幣や商品や生産手段ではなく、一方に生産手段を私有する少数の資本家、他方に生産手段を奪われ自分の労働力を商品として売るしかない多数の労働者がいるという生産関係が、貨幣や生産手段等を資本たらしめるのである。
 賃金労働者は、労働力商品を資本家に売り、資本家は、労働力という他人の所持する商品を買うという関係にある。マルクスは、この資本家と労働者の関係を、階級という概念でとらえ、階級関係は、政治的な支配関係を伴うが、本質的・基本的には生産の場における経済的関係であることを洞察した。
 階級は一個の国家における集団を意味するだけでなく、国家間を貫いて広がる集団を意味する。私見を述べると、マルクスはこの集団間の権利関係を、マクロ的に見るとともに闘争的な側面のみを単純化してとらえた。しかし、資本家と労働者の権利関係は、企業・法人という個々の小集団における関係の集積である。マルクスは、ミクロ的な分析を行わず、また協同的な側面を無視した。彼の目的は共産主義革命だったから、革命に役立つ理論を構築したのである。
 だが、権利には、協同的行使と闘争的行使の両面がある。権利の作用を力の観念でとらえた権力についても同様である。資本家と労働者の経済的な権利と社会的な権力の関係も、協同的側面と闘争的側面がある。個々の企業・法人では、保護―受援の関係と支配―服従の関係という両面がある。市場では、企業間・法人間の経済的社会的な競争が行われている。市場は一国内に完結する場合は、国内における競争だが、国家間に広がる場合は、国際的な競争が行われる。資本の社会的権力を最終的に保障するものは政府であり、また政府の国家的権力を経済的に支えるものは資本だから、国際的な市場競争においては、資本と労働者と政府の利益が一致する場合がある。必ずしも国際的な資本家階級と労働者階級の闘争とはならないわけである。むしろ、国際的な市場においては、A国の政府―資本家集団―労働者集団と、B国の政府―資本家集団―労働者集団の市場における競争が通常である。ここにマルクスが西欧で「万国の労働者、団結せよ」と呼びかけ、国際的な労働者組織を作り、国際的な階級意識を注入しようとしても、国民国家の国民意識が階級意識に勝り、共産主義革命が実現しなかった一つの理由がある。ネイションにおける同胞意識・連帯感は、階級間の利害意識・敵対心を上回ることが多い。また共産主義運動は、ドイツやロシア等のように、ユダヤ人の革命家や外国人居住民が指導・煽動している場合がある。
 資本主義の国際的な発達の中で、ネイションとネイション、ナショナリズムとナショナリズム及びエスニシズムがぶつかり合った。この対立・抗争において優越的な地位に立つ国家は、ナショナルな経済共同体による国民経済を発展させた。

 次回に続く。

米中の借金主導型経済に頼らず、日本の金融資産を生かせ~田村秀男氏

2015-06-03 08:56:23 | 経済
 田村秀男氏は、各種の経済データをグラフ化し、独自の分析を行うことのできる数少ないジャーナリストである。田村氏の記事には、常にそうしたグラフが付されている。5月3日の記事のグラフはそのうちでは単純なものだが、日米中の名目GDPのドル換算値の推移が描かれていた。2004年から2014年までの10年間のグラフである。
 「ショッキングなのは日本である」と田村氏は書いているが、誠にショッキングである。米国はGDPが10年間で約1.5倍、中国は約5倍に増大しているのに、日本は逆に減少しているのだ。田村氏は、日中を比較して次のように書いている。「ドル建て名目GDPは2010年に中国に抜かれて以来、その差は開く一方で、14年は中国が日本の2.5倍になった。日本は東日本大震災に見舞われた11年に比べ、3分の1、約2兆ドルも縮小した」と。
 原因は何か。「最大の原因は円の対ドル相場水準の変化である。14年末の円相場は120円台、11年末の77円台に比べ55%も安くなった。円安効果でGDPは5割以上も減るわけだが、それで済ますわけにいかない。円で見るGDP(名目)は14年488兆円で11年に比べて3.5%、13年比で1.6%しか増えていない」と田村氏は言う。
 特に田村氏は、消費増税の影響の大きさを指摘する。「14年4月からの消費税率引き上げに伴う物価上昇(年間で約2%、4月~12月の期間で約1.5%)分しか名目値を上乗せしていない。ドル換算値が示すほど悲惨ではないが、膨張する中国、低迷する日本という基調は、アベノミクスをもってしても変わらない。消費税増税が足かせになったのだ」と。
こうした日本経済を成長させるために、米国、中国は頼りになるか。田村氏は、米中とも「借金主導型経済成長」であり、「米国に過度に期待するわけにいかない。だからといって、北京に傾斜してもカネをむしり取られるのが関の山である」と言う。
 ここで田村氏は、多くのエコノミストが見逃している重要な事実を強調する。「日本は世界最大の金貸し国であり、国際金融市場での銀行総債権は3兆ドル(約360兆円)以上、純債権2.5兆ドル(約300兆円)に上る」と。
 財政の実態をつかむには、粗債務から金融資産を控除した純債務で見る必要がある。ところが旧大蔵省、現財務省は、財政を粗債務でしか見ない。債務だけを強調して、国民や政治家に財政危機を煽る。それに基づいて政府が緊縮財政政策をし、デフレになっても、財務官僚は一切責任を取らなかった。税収が落ち込み、財政赤字が増大すると、その原因が財務省の失策にあることを隠したまま、政策を消費増税へと誘導した。多くの政治家がこれに乗せられた。また財務省に同調し、協力するエコノミストが多かった。アベノミクスが功を奏し、デフレを脱却しつつある現在でも、この誤った財政論が改められていない。
 だが、日本は、世界一の金融資産を持つ債権国である。約300兆円の純債権を持つ。これをどう生かすかを考えるのが、エコノミストや政治家の役割である。田村氏は、「米中の借金型経済モデルにカネをまわしたところで、日本の経済成長には寄与しないことは、明らかだ」と言う。そして、次のように提言する。「日本の銀行は海外ではなく、国内で有望プロジェクトを発掘し、国内融資を最優先すべきだ。政府は巨額の余剰資金を動員して先端的な大型産業を創出するプログラムを提示すべきだ」と。そうしないと、「日銀の金融量的緩和と円安に偏重したアベノミクス」は「日本の衰退を国際的に印象づける結果しかもたらさないだろう」と警告している。
 以下は、田村氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成27年5月3日

http://www.sankei.com/economy/news/150503/ecn1505030007-n1.html
2015.5.3 18:00更新
【日曜経済講座】
日本再浮上いまだ成らず 米中の借金主導型経済に頼るな 編集委員・田村秀男

 日米首脳は先週の会談で、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉の早期妥結、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)への牽制(けんせい)で一致したが、対米関係強化だけで、増長する中国に日本は対抗できるわけではない。



 まずグラフを見ていただこう。「世界3大経済大国」米中日の名目国内総生産(GDP)のドル換算値の推移である。党中央の指令によって数値が動く中国のGDP統計の信憑(しんぴょう)性に疑問は大きいが、国際的にはそのドル換算値がモノを言うのが現実だ。ショッキングなのは日本である。ドル建て名目GDPは2010年に中国に抜かれて以来、その差は開く一方で、14年は中国が日本の2.5倍になった。日本は東日本大震災に見舞われた11年に比べ、3分の1、約2兆ドルも縮小した。
 最大の原因は円の対ドル相場水準の変化である。14年末の円相場は120円台、11年末の77円台に比べ55%も安くなった。円安効果でGDPは5割以上も減るわけだが、それで済ますわけにいかない。円で見るGDP(名目)は14年488兆円で11年に比べて3.5%、13年比で1.6%しか増えていない。14年4月からの消費税率引き上げに伴う物価上昇(年間で約2%、4月~12月の期間で約1.5%)分しか名目値を上乗せしていない。ドル換算値が示すほど悲惨ではないが、膨張する中国、低迷する日本という基調は、アベノミクスをもってしても変わらない。消費税増税が足かせになったのだ。
 米国との「蜜月関係」には、米国との連携で経済を成長させられるとの期待が背景にある。他方では、「成長著しい中国との関係を強化せよ」「AIIBに参加せよ」との声を、特に経済を重視する経済産業省やビジネス界、さらに与党内部の長老たち、朝日新聞や日経新聞などメディアが挙げている。グローバル経済のもとで、経済超大国との関係がよいのに越したことはないのだが、米国、中国のいずれか、あるいはいずれも頼りになるだろうか。
 米、中の経済モデルには共通点が一つだけある。借金主導型経済成長である。米国のGDPの7割は家計消費が、中国のそれは固定資産投資が5割を占める。米国は金融市場で多種多様な金融商品をそろえて、世界の余剰資金を集め、住宅市場に投入した。住宅相場が上昇し、家計は住宅の値上がり分を担保に借金し、消費に励んできた。2000年から8年間で家計債務は7兆ドル以上も膨らみ、それが原資となって日中など世界からモノを輸入して世界景気を引っ張った。このモデルは2008年9月のリーマンショックで完全に崩壊した。家計は債務を減らすしかないので、消費主導の米国景気は一進一退というありさまだ。
中国の経済モデルは、借金投資型である。中国人民銀行が流入する外貨をもとに人民元資金を発行して国有商業銀行に流し込み、党官僚が支配する国有企業や地方政府が不動産開発に邁進(まいしん)した。中国はリーマン後、1、2年で2ケタ成長に回帰したが、12年あたりから乱開発と不動産バブルのためにほころび始めた。過剰生産、過剰投資のために景気は停滞し、本国に見切りをつけた党官僚を含む中国投資家は国外に資産を逃避させている。資金不足を補うために、中国の金融機関や企業は国際金融市場から借金せざるをえない。昨年1年間でみると、中国は米国をしのぐ世界最大の借金国である。(本欄4月12日付参照)
 さりとて、中国には借金投資以外に経済を成長させるモデルは見当たらない。「多国間銀行」という看板を挙げて世界からカネを集めて、インフラ投資を行うというのが、AIIBである。もちろんインフラ投資の7割以上は中国国内向けである。
 日本は経済面で米国に過度に期待するわけにいかない。だからといって、北京に傾斜してもカネをむしり取られるのが関の山である。
 日本は世界最大の金貸し国であり、国際金融市場での銀行総債権は3兆ドル(約360兆円)以上、純債権2.5兆ドル(約300兆円)に上る。米中の借金型経済モデルにカネをまわしたところで、日本の経済成長には寄与しないことは、明らかだ。
 日本の銀行は海外ではなく、国内で有望プロジェクトを発掘し、国内融資を最優先すべきだ。政府は巨額の余剰資金を動員して先端的な大型産業を創出するプログラムを提示すべきだ。でないと、日銀の金融量的緩和と円安に偏重したアベノミクスは冒頭で述べたように、日本の衰退を国際的に印象づける結果しかもたらさないだろう。
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関連掲示
・財政を純債務で見ること、世界一の債権国の強みを生かすことについては、下記の拙稿をご参照下さい。
 「経世済民のエコノミスト~菊池英博氏」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion13i-2.htm

人権157~ナショナリズムの役割

2015-06-02 10:27:17 | 人権
●人権の発達にナショナリズムは重要な役割

 この人権とナショナリズムに関する項目の冒頭に書いたように、人権の観念は、絶対王政の主権国家が国民国家に変化していく過程で発達した。国民国家は、nation-stateであり、ネイションの国家である。人権の発達は、そのネイションの形成と不可分だった。ナショナリズムは、ここで重要な働きをした。
 近代西欧において、それぞれの地域で、神話や伝承による祖先からの物語を含む伝統文化を基盤として、個性的な性格を持つネイションが形成された。多くの場合、エスニック・グループがネイションに発達する過程を通じて、固有の言語・文化・宗教・生活習慣等を基盤として、各国における自由と権利の思想が発達した。この文化的な土壌の上に発達した国民の権利が、同時に人権という普遍的・生得的な権利として理念化されてきた。それゆえ、人権の理論にはナショナリズムの理論が必要であり、またナショナリズムの理論には人権の理論が必要である。
 人権は、単に個人の権利の獲得・拡大ではなく、集団の権利の獲得・拡大の中で、集団の成員の権利として発達した。集団の例としては、身分や階級に基づく集団が第一に挙げられる。身分や階級に基づく集団的な権力闘争の中で、集団の権利を獲得・維持・拡大し、それに伴って集団の成員の権利を付与・拡大するものとして、人権は発達した。この過程で、国家権力の介入から自由を守ろうとするリベラリズムと民衆の政治参加を求めるデモクラシーが結合し、集団及び個人の権利の維持・拡大を促進した。
 しかし、身分や階級による集団だけでなく、一国の国民が集団的な権利を獲得・拡大することが、国民の権利を拡充し、人権の発達をもたらしたという側面もある。ここに集団の第二のものとしてのネイションがある。そして、ネイションを形成・発展させようとするナショナリズムが、人権の発達に重要な役割を果たしたことを、私は強調したい。
 欧米の多くの国において、ナショナリズムは、国際社会における国家の権利を拡大するととともに、国民の権利を拡大する思想・運動でもあった。国家の権利の拡大とともに国民の権利の拡大を図る運動または国民の権利の拡大とともに国家の権利の拡大を図る動きの中で、個人の権利としての人権という観念が発達した。国権・民権の拡大に裏付けられなくしては、個人の権利としての人権は拡大し得ない。人権という理想の実現は、国家の建設及び国民の形成による国家の権利、国民の権利の伸長によってこそ、一歩一歩現実のものとなってきた。それが実定法に国民個人の権利として制度化され、定着してきたのである。
 先にナショナリズムとリベラリズムの関係について書いたが、リベラリズムは、近代西欧においてデモクラシーと融合し、リベラル・デモクラシーを生んだ。リベラル・デモクラシーと、ネイションの形成・発展を目指すナショナリズムは、相互作用的に発達した。前者を欠くナショナリズムは、統制的な傾向を強く示し、個人の権利に抑圧的となり、後者を欠くリベラル・デモクラシーは、外国の干渉や侵攻に対して、脆弱さを晒す。人権が発達したのは、リベラル・デモクラシーとナショナリズムが相互補完的に発達した国々においてだった。人権の発達は、ナショナリズムの発達と切り離せない。またリベラル・デモクラシーなくして、ナショナリズムの発達はない。またナショナリズムなくして、リベラル・デモクラシーの成長はないのである。
 人権とナショナリズムの相互作用的発達は、20世紀初め以降の世界において、一層密接なものとなっている。本章でも少しふれたが、詳しくは、第4部に書く。

 次回に続く。

新進気鋭の米国人学者が米国の慰安婦記述を批判

2015-06-01 09:22:58 | 慰安婦
 産経新聞ワシントン駐在客員特派員の古森義久氏によると、慰安婦問題に関する米国教科書の誤記への日本側の抗議を糾弾した米国側の歴史学者たちの主張に対して、鋭い批判を行う米国人学者が現れた。
 マグロウヒル社の教科書の記述に関して、わが国の外務省は昨年11月、出版社と著者に記述の訂正を求めたが、いずれも拒否された。この動きに関して、米国側の19人の学者が今年3月、教科書の記述は正しく、日本側の抗議は学問や言論の自由への侵害だとする声明を発表した。声明は、米国歴史学会の月刊機関誌3月号に掲載された。これに対し、日本の19人の有識者が反論を発表したが、米国側の学者は、まともに応じようとしていない。
 こうしたなか、米国側の歴史学者たちを批判する声を上げたのが、ジェイソン・モーガン氏である。モーガン氏は、ウィスコンシン大学博士課程の日本史研究者で、現在早稲田大学で日本法制史を研究中。米国側の学者が声明を掲載した同じ歴史学会機関誌に、彼らを批判する論文を投稿した。その骨子が古森氏の記事に掲載されている。モーガン氏は、「米国の日本歴史学界でこの19人の明白な錯誤の意見に誰も反対しないという状態こそ学問の自由の重大なゆがみだと思う」と強調しているという。米国の日本史学界に吹き始めた「新風」に期待したい。
 モーガン氏は、4月24日、国家基本問題研究所(JINF)の企画委員会で、アメリカの間違った対日歴史観について講演した。氏は、先の大戦で航空母艦の乗組員だった祖父から「国の為に自分の命を捧げる日本の特攻隊員の潔さ」を教えられたのがきっかけで日本研究の道に入った。その後、日本について学べば学ぶほど、「アメリカの見方がおかしい」と思うようになった、という。
 マックス・フォン・シュラー・コバヤシ氏、トニー・マラーノ氏、マイケル・ヨン氏、ケント・ギルバート氏ら、米国の自由と公正の精神を以て、日本を弁護してくれる人々に感謝したい。
 以下は、古森氏及びJINFの記事。

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●産経新聞 平成27年5月2日

http://www.sankei.com/world/news/150502/wor1505020018-n1.html
2015.5.2 10:30更新
【緯度経度】
米歴史教科書慰安婦記述へ批判、米学界に「新風」 古森義久

 米国の学問の自由もまだまだ健在のようだ。慰安婦問題での米国の教科書の誤記への日本側の抗議を逆に糾弾した米国側の歴史学者19人の主張に対して、新進の米国人学者から鋭い批判がぶつけられたのだ。
 米国側の学者たちこそ慰安婦問題の事実関係を真剣にみず、日本側からの正当な抗議を「右翼」「修正主義」という意味の不明なののしり言葉で封じ込めている、という批判だった。
 この批判を表明したのは米国ウィスコンシン大学博士課程の日本史研究者ジェイソン・モーガン氏で、米国歴史学会(AHA)の機関誌への投稿という形をとった。同氏は学者としては新進とはいえ37歳、アジアへの関与は豊富で中国と韓国に研究のため住んだほか、日本では4年ほど翻訳会社を経営した後、米国のアカデミズムに戻るという異色の経歴である。現在はフルブライト奨学金学者として早稲田大学で日本の法制史を研究している。
 そのモーガン氏が先輩の米国側歴史学者たちを批判した発端は、米国マグロウヒル社の教科書の慰安婦に関する記述だった。周知のように同教科書は「日本軍が組織的に20万人の女性を強制連行した」という虚構を前提に、「日本軍は慰安婦を多数殺した」「慰安婦は天皇からの軍隊への贈り物だった」と記していた。
日本の外務省は昨年11月、出版社と著者に記述の訂正を求めたが、いずれも拒否された。米国側の学者たちはこの動きを受けて今年3月、教科書の記述は正しく、日本側の抗議は学問や言論の自由への侵害だとする声明を発表した。

 同声明は慰安婦問題での長年の日本糾弾で知られるコネティカット大学のアレクシス・ダデン教授が中心となり、コロンビア大学のキャロル・グラック教授や同教科書の問題記述の筆者のハワイ大学ハーバート・ジーグラー准教授ら合計19人が署名した。その要旨はダデン教授を代表として米国歴史学会の月刊機関誌3月号に声明の形で掲載された。

 モーガン氏はこの声明への反論を4月下旬にまとめて同誌に投稿するとともに、他のサイトなどで公表した。その反論の骨子は以下のようだった。

▽19人の声明は慰安婦に関する日本政府の事実提起の主張を言論弾圧と非難するが、非難の根拠となる事実を明示していない。
▽声明は吉見義明氏の研究を「20万強制連行説」などのほぼ唯一の論拠とするが、同氏も強制連行の証拠はないことを認めている。
▽声明は米国の研究者も依拠したことが明白な朝日新聞の誤報や吉田清治氏の虚言を一切無視することで、歴史研究者の基本倫理に違反している。
▽声明は日本側で慰安婦問題の事実を提起する側を「右翼」「保守」「修正主義」などという侮蔑的なレッテル言葉で片づけ、真剣な議論を拒んでいる。
▽声明は日本政府の動きを中国などの独裁国家の言論弾圧と同等に扱い、自分たちが日本政府機関からの資金で研究をしてきた実績を無視している。

 以上の主張を表明したモーガン氏は、「米国の日本歴史学界でこの19人の明白な錯誤の意見に誰も反対しないという状態こそ学問の自由の重大なゆがみだと思う」と強調した。慰安婦問題では日本側の事実に基づく主張にさえ耳を傾けない米国の日本研究者の間にも新しい風が生まれたと思いたい。(ワシントン駐在客員特派員)

●国家基本問題研究所のサイト

https://jinf.jp/news/archives/15808

2015.04.24 (金)
アメリカの間違った対日歴史観  ジェイソン・モーガン・早稲田大学フルブライト研究者

 早稲田大学フルブライト研究者のジェイソン・モーガン氏は4月24日、国家基本問題研究所企画委員会で、アメリカの間違った対日歴史観について講演、アメリカの歴史学者のほとんどが先の大戦後日本側をさばいた連合国側の東京裁判を鵜呑みにしており、慰安婦問題など日本側からの異論を全く認めない偏見に満ちている、との見解を明らかにした。
 モーガン氏は、アメリカ歴史学会の対日歴史観は、潜在的な人種差別をベースに、東京裁判判決が加わり、その後のアメリカを脅かした日本の経済進出、そして現在は中国の経済、政治、軍事的な攻勢の中で、左翼的な日本悪者論が固定化していると指摘している。このため、日本側が南京事件や慰安婦問題、靖国参拝など日本非難に抗議しても全く受け付けず、相手側にも反論する権利があることさえ認めない頑なさが顕著で、学問の自由を自ら放棄している、と厳しく批判した。アメリカの歴者学者はほとんどが日本語の資料、書籍などを読んでおらず、日本側としては、いろいろな機会、ルートを通して事実を粘り強く伝えていく必要がある、と強調した。
 モーガン氏は、先の大戦で航空母艦の乗組員だった祖父から「国の為に自分の命を捧げる日本の特攻隊員の潔さ」を教えられたのがきっかけで日本研究の道に入った、という。その後、日本について学べば学ぶほど、「アメリカの見方がおかしい」と思うようになった、と述べている。特に中国系アメリカ人・アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ南京」はウソで固められている、と断言した。
 モーガン氏は、今夏には早大での研究を終え、母校ウィスコンシン大学大学院の歴史学部に戻ることになっている。(文責・国基研)
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関連掲示
・拙稿「慰安婦問題:米教科書会社に秦郁彦氏らが訂正要求」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/7464ca0fabc8f24ce6c47cf64400a7a5
・拙稿「慰安婦問題:マイケル・ヨン氏『全部が嘘だったのだ』」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/798dd3338a95fd87129e6c011de64116