ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

安全保障関連法制の整備を急げ5

2015-06-17 08:53:20 | 時事
●安保法案は憲法に違反しない

 次に、安保法案が合憲か違憲かという議論が起こっている点について述べる。
6月4日の衆院憲法審査会で自民党が推薦した3人の参考人全員が安保法案を憲法違反と断じたため、野党は政府への批判を強めている。民主党の辻元清美氏は、5日の平和安全法制特別委員会で「政府は法案を一度撤回すべきだ」と要求した。 中谷防相は、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認した昨年7月の閣議決定について「従来の憲法9条をめぐる議論との整合性を考慮した。政府による憲法解釈の裁量の範囲内で、違憲ではない」と答弁した。
 6月9日政府は本件について見解を出した。要旨を示すと「集団的自衛権の行使を限定的に容認した武力行使の新3要件は、憲法9条の下でも例外的に自衛のための武力行使が許される場合があるという昭和47年10月に示された政府見解の基本的な論理を維持したものだ。国際法上集団的自衛権の行使として認められる他国を防衛するための武力行使それ自体を認めるものではない。あくまでもわが国の存立を全うし、国民を守るため、やむを得ない措置として一部限定された場合において武力行使を認めるにとどまる」などと述べ、新3要件は「従前の憲法解釈との論理的整合性等が十分に保たれている」としている。
 実は1950代の鳩山首相・岸首相の時代は、集団的自衛権の行使を可能としていた。昭和30年代に岸首相は、「いっさいの集団的自衛権を持たない、憲法上持たないということは言い過ぎ」「他国に基地を貸して、協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている」などの国会答弁を行なった。第2次岸内閣の防衛庁長官・赤城宗徳は、「憲法第9条によって制限された集団的自衛権」という表現を用いた答弁をした。
 憲法と日米安保条約の関係は、砂川事件に関して法廷で正面から問われた。昭和34年(1959)12月の最高裁判決は、国家の自衛権を確認したうえで、憲法第9条の禁止する戦力には、外国の駐留軍は当たらないとした。この判決で田中耕太郎最高裁長官は、補足説明にて、「今日もはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち『他衛』、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って、自国の防衛にしろ、他国への防衛協力にしろ、各国はこれについて義務を負担していると認められる」と記した。この最高裁の判断は、集団的自衛権を肯定したものである。
 ところが、その後、昭和47年(1972)以降、特に56年(1981)以降、政府解釈が変更され、内閣法制局の官僚による「集団的自衛権は所有するが、憲法上行使できない」という解釈が定着するようになった。詳しい経緯は、拙稿「集団的自衛権は行使すべし」の第5章「政府解釈は自制的に変化した」をご参照願いたい。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08n.htm
 このたび政府は、集団的自衛権の行使を限定的なものとし、また「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」「他に適当な手段がない」「必要最小限度」という極めて厳しい要件をつけている。この要件は、自国の存立を全うするために必要な自衛措置を容認した最高裁の砂川事件判決を踏まえている。砂川判決は、わが国は主権国家として、個別的自衛権にとどまらない「固有の自衛権」を持つという判断を示したものである。また、今回の政府見解は、国民の権利が根底から覆される事態に対処する、必要最小限度の武力行使は許容されるとした昭和47年の政府見解とも合致している。
 今回の政府の憲法解釈の変更は、行政府の公権的解釈権による合理的な範囲内の憲法解釈の変更である。内閣が憲法解釈の変更を行い、それに基づいて法案を国会に提出することは、行政府としての合法的な行為である。これに対し、国会は国権の最高機関として法案の審議を行う。最終的に合憲か違憲かの判断は、司法が違憲立法審査を行う。憲法の三権分立が機能している。そこに法治国家としての秩序が保たれている。
私見を述べると、今回の内閣による憲法解釈の変更は、恣意的な変更ではない。集団的自衛権の限定的行使の容認は、現行憲法に違反しない。昭和30年代には、それが政府見解だった。その後の「集団的自衛権は所有するが、憲法上行使できない」という内閣法制局の解釈がおかしかった。それを是正して元に戻すだけのことである。
 憲法は国民のための憲法であって、憲法のための国民ではない。国家の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険のある事態においても、集団的自衛権の限定的な行使さえできないとするような憲法解釈は、大間違いである。そのような憲法解釈は、日本を滅亡に導くものである。憲法守って国滅ぶ、というような愚かな判断をしてはならない。

 次回に続く。

人権163~帝国主義の展開

2015-06-16 10:18:30 | 人権
●イギリスを先頭とする帝国主義の展開

 1870年代から第1次世界大戦に至る時期は、欧米列強が植民地獲得に狂奔し、数ヶ国で「世界の分割」を完成させた時期であり、それが帝国主義の時代である。この時代の先頭に立って、帝国主義を展開したのが、イギリスである。
 産業革命後のイギリスは、「世界の工場」として圧倒的な工業力・経済力を持つにいたり、自由主義の貿易政策の下で繁栄を誇った。とりわけ1837年から1901年に及ぶヴィクトリア女王の時代に、イギリスは絶頂期を迎えた。国内では自由党と保守党が交互に政権を担当する議会制デモクラシーが定着した。二大政党は労働者の支持を得て優位に立とうとし、それが政策にも反映された。19世紀後半の選挙法改正で、都市労働者や農業労働者も選挙権を獲得し、教育法の制定、労働組合の合法化など、労働者を体制に取り込む政策が取られた。
 マルクスは、資本主義が発達することによって、労働者が絶対的に窮乏化するという説を説いた。しかし、実際はイギリスのネイションでは、資本主義の発達によって、労働者大衆の所得が増大し、生活水準が向上した。マルクス・エンゲルスは、この傾向を追認するようになった。近代世界システムの中核部の最先進地域にあって、富を巨大に増殖したイギリスでは、資本主義の矛盾を是正しようとする政策が行われた。これは、市場にすべての決定を任せる自由主義を修正した修正自由主義や、キリスト教的な慈善運動に基づく社会改良主義の政策である。そうした政策によって、イギリスの労働者大衆の生活は豊かになり、政治的社会的な権利も拡大した。国民の権利としての人権が、ネイションを基盤に発達していったのである。
 1870年代に入ると、不況のため、各国は保護関税政策に転換した。その影響で、イギリス経済は、徐々に力を削がれていった。ドイツやアメリカでは、不況を乗り切るため、企業の集中が進み、技術革新が行われた。80年代には、鋼鉄が生産され、化学工業が勃興した。90年代には、新エネルギーとして電力が登場し、内燃機関が使用されるようになった。第2次産業革命である。技術体系の変化と産業の巨大化に伴って、新産業分野では膨大な設備投資が必要となった。巨額の資金を調達するため、銀行・証券会社などを通じて市場で投資を募る株式会社が普及した。各国に大企業・財閥が出現し、利潤を求めて競い合った。イギリスの資本は、巨大資産家の私的資本が中心だったため、技術革新では遅れをとった。アメリカやドイツの資本の追い上げにより、国民経済が低迷した。先進国として賃金水準が高くなっていたため、生産コストが上がり、国際的な競争力が弱まった。
 そこでイギリスは、それまで蓄積した富と権益をもとに、金融大国として生き残る方法を取った。ロンドンのシティは世界の金融センターとして、この時代に支配的な地位を確立した。それとともに、イギリス資本は、安価な労働力と資源に恵まれた諸大陸の植民地に資本を輸出した。政府は資本家と協同し、対外投資による利益拡大へと政策を転換し、植民地の拡大を図る政策を推進した。それがイギリスの帝国主義政策である。
 帝国主義という言葉は、1870年代からイギリスで使われ始めた。イギリスの帝国主義的な対外政策は、インド、アフリカ、シナ等へと展開された。イギリスは、1600年東インド会社を設立してインド洋交易に参加し、以後、インドへの進出を続けたが、1857年にムガール帝国を滅亡させ、77年にはヴィクトリア女王が皇帝を兼ねるインド帝国を創建した。その結果、インドを、実質的に植民地化した。
 1869年に中東でスエズ運河が開通すると、イギリスはその株式を取得し、経営を支配し、82年には運河地帯を占領した。これによってイギリスは、スエズ運河を通って、中東、インド、シナ等の植民地支配を大々的に展開するようになった。
 イギリスがアフリカ大陸に進出すると、これに負けじと、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギーなどもアフリカ分割に参加し、1880年代以降、アフリカの植民地化が一気に進んだ。
 西アジアでは、13世紀から東ヨーロッパ・西アジア・北アフリカを長く支配したオスマン帝国が、1877年の露土戦争に敗れた。イギリス・オーストリアが露土間に干渉し、78年ビスマルクの仲介でベルリン条約が締結された。その結果、オスマン帝国はヨーロッパ領の大部分を失い、「瀕死の重病人」と呼ばれるまでに衰退した。
 東アジアでは、欧米列強は18世紀後半から、新しい市場と資源の可能性を求め、広大なシナへの進出を行った。ここでも先頭を切ったのは、イギリスだった。イギリスは、インドでアヘンを栽培し、これを清に密輸することを考え出した。イギリスの工業製品をインドへ、インドのアヘンをシナへ、シナの茶をイギリスへという三角貿易を行った。1840年には、軍艦を派遣してシナ沿岸の各地を攻撃し、圧倒的な軍事力で清を屈服させ、南京条約を結んで、清の貿易制限を撤廃させた。これがアヘン戦争である。イギリスはさらにフランスと組んで、清に戦争を仕掛け、清と北京条約を結んで、開港場の追加やキリスト教布教の自由を認めさせた。これがアロー戦争である。この結果、列強による清の半植民地化が決定的なものとなった。
 19世紀前半には、アジアにはインドにムガール帝国、西アジアにオスマン帝国という二つのイスラム文明の帝国が存在し、東アジアには清帝国というシナ文明史上最大の版図を持つ中華帝国が存在していた。ところが、19世紀後半にはそれらがいずれも急速に揺らぎ出し、崩壊に向かった。西洋文明による他文明の周辺文明化となる動きだった。

 次回に続く。

安全保障関連法制の整備を急げ4

2015-06-14 07:06:58 | 時事
●安保法制の整備は急務

 安保法案は5月15日に国会に提出され、与野党の論戦が行われている。政府は6月24日までの会期を大幅延長して、今夏までの成立を目指している。法案は成立すれば、戦後70年の安全保障政策を大きく転換するものとなる。
 新たな安保法制は、集団的自衛権を行使できるようにすることで、格段と戦争抑止力を高める。また、自衛隊の海外活動を拡大することで、日本及び世界の平和と安全を確保することを目指している。
 安倍首相は米国での議会演説で、安保法案を今年の夏までに成立させると公言した。野党やマスメディアから、国会軽視、国民軽視という批判が上がった。だが、昨年12月の衆院選で安倍内閣はアベノミクスだけでなく、外交・安全保障等について国民の審判を受け、国民多数の支持を得ている。また昨年来、安保法案づくりの与党協議は正式なものだけで25回を数えた。国会での質疑も事実上、行われた。その集大成が今回の2法案である。国会への提出が拙速という批判は当たらない。
 反対派が安保法制に「戦争法案」というレッテルを貼り、戦争に巻き込まれると主張しているのは、大きな誤りである。集団的自衛権の行使容認による日米同盟の強化は、何より中国等の侵攻による戦争を防ぐ抑止力を高める。逆に、現在の欠陥だらけの法制では、その隙を突かれて、中国による尖閣諸島・沖縄等への侵攻を許すおそれがある。反対派は、自衛隊が海外に派遣されると、そこで戦争に巻き込まれるという可能性を強調するが、中国が尖閣諸島や新潟・佐渡を侵攻する差し迫った危機については、語らない。北朝鮮がわが国に向けてミサイル攻撃をしたり、あるいは韓国に攻め入ったりすることは、語らない。安保法制に反対することによって、結果として中国や北朝鮮を利する言動を行なっている。
 自衛隊の海外派遣が際限なく広がりかねないという不安から反対している人もいるだろう。だが、自衛隊を派遣する国際平和支援活動は、例外なき国会事前承認を義務付け、国会提出後7日以内を努力義務とする。集団的自衛権の行使や重要影響事態への対処も、原則的に事前承認を必要とする。緊急時の対応であれば、例外的に事後承認も可とするが、その場合、国会が承認しなければ、撤退命令が出される。
 ところで、私は、今回の安保法案をその限りで高く評価するが、いくつか課題があることを指摘したい。
 湾岸戦争で、日本は130億ドル(約1兆円)出したが、クエートの米紙への感謝広告に日本の名がなかった。カネだけ出して人を出さないのでは、国際社会では評価されない。そこで自衛隊を海外でも活動できるようにした。カンボジア復興支援、イラク復興支援、インド洋米軍支援(洋上給油)等で活躍し、世界で高く評価されている。
 今回の安保法制では、自衛隊が世界中で活動できるようにする。ただし、現行憲法のもと、自衛隊は軍隊ではないので、各国の軍隊と同じ基準を持っていない。この状態での法制の整備には限界がある。
 武力行使の新要件等を法に定める場合、「明白な危険」「必要最小限度」等と言う言葉を使うが、厳密な定義はできない。むしろ、あまり細かく定めると、それに縛られてしまう。できることを決めるよりも、できないことを決め、それ以外はできるような定めにする方が良い。これをネガティブリストという。諸外国では、それが普通である。できることを細かく決めるポジティブリストでは、複雑になりすぎる。
 自衛隊員は22万人しかいない。「自衛隊員」は大臣・副大臣・政務官・事務次官を除く全員。そのうちの階級のある制服組は「自衛官」。この人数で出来ることは限られている。日本の領土の防衛や災害支援活動が主である。なんでも海外に出ていくことはできないし、その必要もない。自衛隊を外国、特に米国の求めになんでも応じる便利屋のようにしてはいけない。

 次回に続く。

人権162~帝国主義の時代

2015-06-13 08:51:53 | 人権
●帝国主義とは

 近代資本主義は、産業革命を経て産業資本が成立するに至って、社会経済体制として確立した。19世紀後半から産業資本は株式会社化し、銀行が株式の発行を引き受け、銀行資本と産業資本は結合した。それが金融資本である。マルクス主義の見方によると、利潤の追求のための自由競争により、弱小資本は没落して資本の集中・集積が進み、大産業資本と金融資本が結合して、独占資本が形成された。生産力が増大して国内市場が狭隘化し、植民地及び市場獲得のための国際競争が激化した。こうしたなか、1870年代から資本主義は帝国主義(imperialism)の段階に入ったといわれる。帝国主義の時代は、世界的な人権の発達史において重要な意味を持つ時期である。
 帝国主義という用語における帝国(empire)は、もともと皇帝(emperor)が統治する国家を意味する。帝国の語は古代ローマ帝国、古代シナの王朝、インドのムガール帝国、ロシア帝国等にも使われるが、皇帝と呼んでもその対象は文明・文化・時代によって異なるので、厳密な定義になっていない。多くの場合、複数の王を統治する者が、皇帝と呼ばれる。だが、王と族長の定義と区別も一般的とは言えない。
 近代西洋史に限ると、皇帝が統治した国家は、中世からの神聖ローマ帝国、ナポレオン皇帝によるフランス帝国、プロイセン国王が皇帝を兼ねたドイツ帝国、オーストリア皇帝がハンガリー国王を兼ねたオーストリア=ハンガリー二重帝国等に限られる。
ここで帝国は、広義では、複数の国家(country)を一人の統治者または一つの政府が統治する国家をいう。帝国は、それまで独立した統治権を持っていた国家または地域を支配下に置く。統治権を完全にまたは一定程度奪い、支配―被支配の権力構造を形成する。これには、直接的な支配・収奪の場合と、間接的な臣属・朝貢の場合がある。特に周辺や海外に植民地を多く持つ国家が、帝国と呼ばれる。この用法では、皇帝ではなく国王が統治する国家も、帝国という。スペイン、ポルトガル等がそうだった。神聖ローマ帝国の皇帝に対し、スペイン国王、ポルトガル国王が皇帝以上の富と権力を所有した。イギリスについて、大英帝国という名称が使われたのは、連合王国の海外領土を含めた非公式な呼び名である。皇帝ではなく国王が統治したから、喩の表現である。
 日本は、明治期から昭和戦前期には、大日本帝国を正式名称としたが、天皇は西洋史における皇帝とは異なる。天皇は独自の性格を持つ。天皇は大和言葉で「ミカド」といい、「帝」の文字を充てる。「帝」は、徳が天に合する意である。日本についていう場合の帝国は、狭義ではミカドが徳を以て統治する国家の意味である。大日本帝国成立後、台湾、朝鮮等を領有したので、戦前の日本は広義においても帝国となった。
 帝国主義は、帝国またはそれに例えられる国家が、軍事力を背景に他国を植民地や従属国に転化する政策をいう。こうした政策は、古代からギリシャ、ローマ、シナ等で広く行われた。15世紀以降のスペイン、ポルトガル等の政策もこれである。しかし、特に19世紀末以降、独占資本主義段階に至った資本主義の国家が、商品や資本の輸出を保護するために後進的な国家や地域を支配しようとした政策を、帝国主義政策という。また、主要な国家がこの政策を取るようになった時代を、一般に帝国主義の時代と呼ぶ。
 帝国主義は、皇帝や国王の存在しない共和制の国家も取り得る政策である。フランスやアメリカ等についても、フランス帝国主義、アメリカ帝国主義等という。
 帝国主義政策を取る国家において、本国の政治的・経済的支配下に置かれた国家や地域を、コロニー(colony)という。「植民地」と訳すが、単なる移住地ではなく、略奪貿易の対象であり、奴隷や原料の供給地及び過剰資本・商品の投下・販売地でもある。帝国主義政策を行う国家は、植民地からの富の収奪をもとにして繁栄し、経済的な豊かさの中で本国の国民の権利は拡大された。一方、植民地においては、本国政府の統治に協力する土着の支配層やエリート層を除いて、大多数の人民は自由と権利を奪われた。ここに帝国主義の時代における世界的な人権の発達/抑圧の二重構造がある。

●非西洋の前近代的な帝国の没落

 19世紀の世界には、西欧発の国民国家とは異なる前近代的な帝国が世界的に併存していた。
 前近代的な帝国は、広大な領土を支配し、その中には多種のエスニック・グループが住んでいた。
 帝国を含む国家とは、一般に、都市を結節点としたネットワークの構造体と見ることができる。都市とは、比較的狭い地域に多数の人口・住居が密集し、農業以外のおもに商工業等が経済生活の主体をなす集落をいう。前近代の国際交流史の研究者である宮崎正勝によると、都市は神経細胞のように、本体と触手(ネットワーク)から成り立っている。人と人、集団と集団、人と集団の間の結びつきが、ネットワークである。都市は、周辺の農業集落に触手を延ばして結びつきを作る。そのネットワークを安定させるために、道路網・法律・官僚制・軍隊・宗教・交易などのシステムを複合化して、ネットワークの構造化を図る。そうしたシステムの複合体となったのが、国家である。そのシステムの中核となるのが、都市である。国家においては、首都と、それに従属する都市と、その周辺の農業集落が、ネットワークで結ばれている。
 前近代的な帝国では、都市と都市を結ぶ線の外、網の目に当たるのが農村であり、そこには都市の文化は、あまり浸透していなかった。統治の密度が低かったので、人民は国家とあまり関係のない生活をしていた。主要なエスニック・グループの統治者集団の文化への同化政策が強行されることもあまりなかった。
 だが、19世紀後半になると、非西洋の帝国にも欧米の影響で、国民国家の観念が浸透するようになり、それに対応するための改造に迫られた。支配者集団は、統治下のエスニック・グループの意識の統合と文化的同化を図るようになった。
 国民国家の項目に書いたロシアは政府主導による国民国家への改造を一定程度進めたが、シナはそれのできぬうちに、列強によって半植民地にされた。また、中東のオスマン帝国は、列強による分割統治の対象とされた。インドのムガール帝国は、イギリスによって植民地にされた。他の地域的な帝国や国家も、ほとんどが列強の支配下に組み込まれていった。

 次回に続く。

安全保障関連法制の整備を急げ3

2015-06-12 09:58:52 | 時事
●平時における対応

◆在外邦人の救出を行う
 日本に軍事的な脅威が差し迫っていない「平時」においても、日本の平和と安全を守るための取り組みが必要である。
 その一つが、国外でテロが発生した場合の在外邦人の保護である。今まで自衛隊は海外に日本人の救出に行けなかった。新法制では、一定の要件を満たせば、現地の警察・軍と一緒に救出活動を行うことができるようにする。
 政府が想定する邦人救出は、平成8年のペルー日本大使公邸占拠事件のように在外公館がテロ組織に占拠されるケースや、治安悪化によって国外退避する邦人を警護するケースなどである。政府は、平成25年1月のアルジェリア人質事件を機に、自衛隊に在外邦人の陸上輸送を可能とした。だが、自衛隊は、テロ組織に拘束された邦人の救出に行くことはできない。武器使用権限が正当防衛や緊急避難など「自己保存型」に限られているからである。新法制では、在外邦人を救出する任務に必要な武器使用を認める。武器使用権限を武装集団などを排除する「任務遂行型」に改め、国際標準の使用基準に近づける。
 救出任務の実行には、当該国が同意しているほか、当該国の権限がその地域に及んでいることなど3つの要件を満たす必要があるとしている。

◆PKOでの駆け付け警護を行う
 新安保法制では、国連平和維持活動(PKO)に派遣される自衛隊の役割を拡大する。現法制下では、日本人の非政府組織(NGO)やJICAの職員等が武装勢力に襲われた場合、遠方にいる自衛隊は、助けに行けない。それどころか、離れた場所で活動中の自衛隊員が襲われた場合にも、助けにいけない。新たな安保法制では、自衛隊に日本人や自衛隊員、他国軍等を救援する「駆けつけ警護」を可能とする。また、現地住民を混乱から保護する「安全確保業務」を追加する。そのために必要な武器使用権限を拡大するとしている。

◆非国連統括型の国際連携平和安全活動に参加する
 国連が主導するPKO以外に、国連が統括しない国際協力にも自衛隊が参加できるよう「国際連携平和安全活動」を新設する。国連決議がない場合でも、欧州連合(EU)など国際機関の要請があれば、人道復興支援や治安維持活動のために自衛隊を派遣する。
 活動の正当性を確保するため、PKOに自衛隊を派遣する際の「参加5原則」を満たすことを必要とする。政府は、自衛隊が平成16~20年に派遣されたイラクでの人道復興支援活動のようなケースを想定している。

◆国際平和共同対処事態には戦闘地域の近くでも活動する
 日本の平和と安全は世界の平和と安全と切り離せない。世界の平和と安全が維持されてこそ、日本の平和と安全も維持される。それゆえ、新安保法制では、「国際平和支援法案」という新法を設けて、「国際平和支援」の活動のため、自衛隊が多国籍軍等への燃料や弾薬の提供などの後方支援を随時可能にする。
 平成13年のアフガニスタン戦争に参加した米軍など有志連合軍に対する自衛隊による後方支援は、時限立法のテロ対策特別措置法で対応した。必要な事態が生じてから法律を制定するために迅速な反応は難しかった。新法は、恒久法を作ってそれを基に対応しようというものである。
 新法では、国際社会の平和と安全を脅かし、日本が協力する必要がある事態を「国際平和共同対処事態」と定義する。自衛隊の派遣は、国連総会か国連安全保障理事会の決議を要件とする。
 今までは戦闘地域と非戦闘地域に分け、その間に中間的な地帯を想定して、自衛隊は非戦闘地域で後方支援をするとしていた。他国軍の武力行使との「一体化」を避けるためである。だが、戦闘地域は移動するものだから、非戦闘地域にも戦闘が広がらないとは限らない。新法では、自衛隊は「現に戦闘行為が行われている現場」以外で活動できると改める。より戦闘地域に近いところで自衛隊が活動できるようにする。
 留意したいのは、現に戦闘行為が行われていない場所で、物資の補給等の後方支援を行っていても、相手が敵とみなして攻撃してくる可能性はあることである。もし攻撃されれば、正当防衛で反撃する。その判断は現場の指揮官が行う。これまでは外国軍を後方支援する場合、近くで戦闘行為が始まれば自衛隊は撤退することとしていた。これでは、外国から真の信頼は得られない。自国の平和と安全だけでなく、世界の平和と安全に貢献するには、この点の改善が必要となっている。

 次回に続く。

人権161~欧米での自由と権利の拡大

2015-06-11 08:45:16 | 人権
●欧米における自由と権利の拡大

 17世紀の市民革命の時代以降、ヨーロッパにおける人権の発達過程は、伝統的な共同体の解体、農民の都市への流入、近代資本主義の発達、近代主権国家の成立、アジア・アフリカの支配と収奪、産業革命による労働条件の悪化、階級闘争の激化、世界的な植民地の争奪戦、ナショナリズムとナショナリズム及びエスニシズの相互作用等の過程でもあった。先進国同士、また先進資本主義国と後進資本主義国の間で利害対立による戦争が繰り返された。
 この間、自由と権利は、イギリス・アメリカ・フランス等の核家族的な価値観を持つ諸国を中心に、拡大されていった。一方、直系家族が支配的なドイツ・オーストリアや共同体家族が支配的なロシアは、核家族的な価値観とは異なる価値観を持っていた。直系家族は権威・不平等、共同体家族は権威・平等の価値観であるから、自由を主とする価値観への抵抗は大きかった。だが、19世紀に入ると、産業革命の進む先進国の経済力・技術力・軍事力が、他のヨーロッパ諸国に近代化の波を広げた。それとともに、自由の思想が浸透していった。
 極少数の人間の自由と大多数の人間の不自由の対比の中で、自由は拡大されてきた。不自由な状態にある大多数の側が自由を求めるとき、それは平等への志向となる。17世紀イギリスのピューリタン革命では、水平派が急進的に平等を求めた。イギリスで18世紀に始まった産業革命は、それまでの社会を大きく変え、階級分化を促進した。この過程でイギリスではリベラリズム(自由主義)とデモクラシー(民衆賛成制度)が融合してリベラル・デモクラシー(自由民主主義)となり、それが西洋の多くの国家の理念となった。
 その一方、自由民主主義に対抗するものとして出現したのが、社会主義である。社会主義は、社会的不平等の根源を私有財産制に求め、それを廃止ないし制限し、生産手段の社会的所有に立脚する社会を作ろうとする思想・運動である。19世紀前半における社会主義初期の代表的な思想家はサン・シモン、フーリエ、オーエンである。彼らに続いてカール・マルクス、フリードリッヒ・エンゲルスは、1848年に、『共産党宣言』を発表した。マルクス、エンゲルスは、初期社会主義者の思想を「空想的(ユートピア的)社会主義」と呼び、資本主義の分析に基づく自分たちの理論を「科学的社会主義」と自称した。彼らの説く科学的社会主義は共産主義とも言われる。
 マルクス=エンゲルスは、フランス革命をブルジョワ革命と規定し、一定の評価をするとともに、その限界を主張し、プロレタリア革命の理論を提示した。彼らは社会的な不平等の原因を、所有の概念で分析し、財産の私有に階級の発生を求め、歴史の動因として階級闘争を強調した。被支配階級は、支配階級の権利を戦い取るべきものとされた。そして、それが人間の解放であると説いた。
 1864年にマルクス、エンゲルスの理論を取り入れた第1インターナショナルが結成され、国際的な社会主義運動が広がった。その後、社会主義は、主として議会を通じて平和的に目標を実現しようとする社会民主主義と、武力革命によって社会改革を行おうとする共産主義の二つに大きく分かれた。前者を社会主義、後者を共産主義とする分け方もある。
 19世紀末から社会主義が勢いを強め、多くの国で社会民主主義の政党が結成された。社会民主主義は自由を保ちつつ平等の拡大を図る態度である。これに対し、共産主義は平等を価値とする。ごく少数ではあるが、共産主義者は武力革命を目的とする活動を展開した。
 平等を志向する社会主義が広がると、自由の思想の側にも変化が現れた。イギリスで発達した伝統的な古典的自由主義は、国家権力の介入を排し、個人の自由と権利を守り、拡大していこうという態度のことである。これに対し、19世紀半ばイギリスでそれまでの自由主義を修正した修正的自由主義が出現した。修正的自由主義は、社会的弱者に対し同情的であろうとし、社会改良と弱者救済を目的として自由競争を制限する。
 古典的自由主義は、個人の自由を中心価値とする。古典的自由主義は、主に米国でリバータリアニズム(絶対自由主義)として存続した。修正的自由主義は、自由を中心としながら自由と平等の両立を図ろうとする態度である。修正的自由主義は、社会主義に対抗して、労働条件や社会的格差を改善し、平等に配慮するものである。古典的自由主義は国権抑制・自由競争型、修正的自由主義は社会改良・弱者救済型で、思想や政策に大きな違いがある。平等に配慮する修正自由主義は、古典的自由主義よりも、ナショナリズムと親和的である。
 こうして19世紀末以降の欧米では、自由と平等という価値の対立軸をめぐって、政治や社会運動が展開された。重点のありかを自由から平等の方へと順に並べると、古典的自由主義、修正的自由主義、社会民主主義、共産主義になる。「発達する人間的な権利」としての人権は、これらの主義の対立や融合の中で発達を続けた。

 次回に続く。

安全保障関連法制の整備を急げ2

2015-06-10 09:22:11 | 時事
●安保法案の画期的な内容

 安倍首相の帰国後、政府は5月14日、安全保障関連法案を閣議決定した。これまで日本の国防体制には、いくつもの「切れ目」が存在してきた。新たな安全保障法制は、この「切れ目」をなくし、あらゆる事態に対して、国家と国民を守ることのできる体制を構築することを目指すものである。
 特に、次の三点がポイントである。
(1)中国・北朝鮮に対し、米国と緊密な連携を築くため、集団的自衛権を行使できるようにし、戦争を抑止する。
(2)有事と平時の中間的な事態に適切な対応ができるようにし、攻め込まれる隙を作らない。
(3)厳しい国際環境の中で、日本と世界の平和を守るため、自衛隊の国際的な役割を拡大する。

 安保法案は、10の既存法の改正と1の新法の制定に分けられる。既存法は、その折々の必要で作ってきたためツギハギだらけで、切れ目があり、一貫性・整合性がない。これらを一括して改正することとし、これを「平和安全法制整備法案」と呼ぶ。新法は、「国際平和支援法案」という。
法案の内容は目的によって、日本の平和と安全に関するものと、世界の平和と安全に関するものに分けられる。これらは、相互に関連している。では、新法制で何ができるようになるのか。有事、有事と平時の中間的な事態、平時の3段階に分けて概述してみたい。

●有事における対応

◆存立危機事態には集団的自衛権を行使
 有事とは、戦争や事変などが起こった非常事態を意味する。日本が他国から侵攻を受けた時、日本は自衛権を発動し自衛隊が防衛出動する。現行法制では、日本が直接武力攻撃を受ける「武力攻撃事態」での「個別的自衛権」の行使しか認められていない。だが、昨年7月安倍内閣は、これまでの憲法解釈を変更し、集団的自衛権の限定的な行使を容認する閣議決定を行った。新法案は、この決定に沿って集団的自衛権の行使を定める。尖閣諸島を中国に侵攻された時などを想定したものである。
 自衛権を行使するのは、「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」事態に限る。これを「存立危機事態」と呼ぶ。
 武力行使は、こうした「明白な危険」があるとともに、「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という三つの要件を満たす必要があるとしている。
 集団的自衛権の行使として武力を行使するのは、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が発生した場合であるが、そのことにより、わが国にとって「明白な危険」がある存立危機事態に限っている。しかし、米国と緊密な連携を取ることを示すことによって、他国による戦争を抑止する効果がある。
 集団的自衛権は国連憲章で認められている権利だが、日本の歴代政権は内閣法制局の解釈により、集団的自衛権は所有するが、憲法上行使できないという解釈をしてきた。集団的自衛権を行使できないなら、戦地たとえば朝鮮戦争有事で韓国から脱出する邦人を輸送する米艦艇が攻撃されても自衛隊は武力行使できないのである。
 集団的自衛権の行使を要する存立危機事態として想定されるケースの一つとして、安倍首相はホルムズ海峡の機雷封鎖は、石油の輸送が出来なくなるので存立にかかわる事態だとする。集団的自衛権の行使として機雷掃海を行うということだが、機雷の掃海は戦闘行為ではない。また、日本の石油の備蓄は200日分あるから、すぐ行動しないといけないわけではない。また別のケースは、北朝鮮が米国に向けて弾道ミサイルを発射した場合である。わが国はこれを存立危機事態としてミサイルを迎撃できるようにする。機雷掃海やミサイル防衛は、ガイドラインの再改定において、集団的自衛権を行使する分野として盛り込まれた。
 私見を述べると、新法案は存立危機事態について武力行使の新たな3要件を反映しているが、諸外国に比較して厳しい制約を課している。「明白な危険」「他に適用な手段がない」「必要最小限度」の解釈が厳しすぎると、自衛隊への防衛出動命令が遅れ、自衛隊はより厳しい状況での戦闘を強いられるために、犠牲者を増やしたり、国民への悪影響が増大しかねないと思う。

●有事と平時の中間的な事態における対応

◆グレーゾーン事態には閣議決定を迅速化
 他国が武力攻撃してきて自衛隊に防衛出動が命じられる「有事」ではないが、治安維持を担う海上保安庁や警察による対処は困難という事態を、グレーゾーン事態という。
例えば、武装集団による離島への不法上陸・占拠、日本領海で国際法上の無害通航に該当しない外国軍艦の航行、公海上での日本の民間船舶に対する侵害行為などのような日本の主権が侵害されるケースである。
 自衛隊は、これらのケースに治安出動や海上警備行動などで対処するが、発令には閣議決定が必要である。通常の閣議決定では、閣僚を招集している間に事態が悪化するおそれがある。現在も閣僚の署名を順次集める「持ち回り閣議」の方式がある。ただし、閣僚が地方にいる場合やグレーゾーン事態が深夜や未明に発生した場合には、迅速な決定ができない。そこで自衛隊の即時出動のため特に緊急な判断を必要とし、速やかな臨時閣議開催が困難なときは、首相の主宰により、電話等により各閣僚の了解を得て閣議決定する方式を導入する。

◆重要影響事態には地理的制約なく米軍以外も後方支援
 グレーゾーン事態と同じく「有事」ではないが、そのまま事態を放置すれば、日本に重要な影響が及ぶ事態が考えられる。
 従来、日本周辺で、そのまま事態を放置すれば日本に対する直接の武力攻撃に至るおそれがある事態を周辺事態とし、朝鮮半島有事や台湾海峡有事などを想定してきた。周辺事態への対処を定める周辺事態法では、後方支援の対象は米軍のみである。
 新たな安保法制では、放置すれば日本の直接の武力攻撃に至るなど日本の平和と安全に重要な影響を与える事態を「重要影響事態」と呼ぶ。そして周辺事態法を「重要影響事態法」に改める。事態が発生する地域を、日本周辺に限定しない。自衛隊の活動範囲に対する地理的制約をなくす。また、「重要影響事態」と判断されれば、日本の安全保障に資する活動をしている他国軍であれば、米軍に限らず、どの国の軍隊でも後方支援できるようにする。
 インド洋や南シナ海など日本のシーレーン(海上交通路)の確保を想定しているものと理解される。支援内容も、弾薬の提供や発進準備中の戦闘機への給油をできるように改め、質量ともに活動の幅を広げる。

 次回に続く。

人権160~価値の移転と権力関係

2015-06-09 09:28:17 | 人権
●権力関係を加えないと価値の移転は説明できない

 西欧における資本家と労働者の権利と権力の関係の変動は、西欧だけで行われたものではない。近代資本主義は、西欧とラテン・アメリカ、アフリカ、アジアとの関係の中で発達した。イマヌエル・ウォーラーステインは、「近代世界システム」は、中核―半周辺―周辺の三層に構造化された「資本主義世界経済」として形成されたとする。半周辺は、中核と周辺の中間領域である。西欧を中核部とし、東欧・ロシアを半周辺部、ラテン・アメリカ、アフリカ、アジアを周辺部とする支配・収奪の構造が、資本主義を発達させた。西欧におけるいわゆる人権の発達は、この構造における上部集団の権利の獲得・拡大である。
 世界的な資本主義の中核部と周辺部の間には、権利と権力の関係が形成された。ウォーラーステインは近代世界システムの分析において、中核部と周辺部の間で商品交換が行われる際、周辺部において競争的に生産される産品は弱い立場に置かれ、中核部において独占に準ずる状況で生産される産品は強い立場を占めるとし、「結果として、周辺的な産品の生産者から中核的な産品の生産者への絶え間ない剰余価値の移動が起こる」と説く。しかし、ウォーラーステインは、剰余価値という用語を使っていながら、この用語は「生産者によって獲得される実質利潤の総額という意味でしか用いていない」と断っている。
 アルギリ・エマニュエルは、周辺的産品が中核的産品と交換されるときに、剰余価値の移転を伴うとし、これを「不等価交換」と呼んだ。これについて、ウォーラーステインは、「不等価交換は、政治的に弱い地域から政治的に強い地域への資本蓄積の移転の唯一の形態ではない。たとえば収奪というかたちもあり、近代世界システムの初期の世界=経済に新しい地域が包摂される際には、広い範囲でしばしば行われた」と述べている。すなわち、「政治的に弱い地域から政治的に強い地域への資本蓄積の移転」には、収奪、不等価交換等の形態があるとしている。
 私見を述べると、不等価交換は、市場での交換における価値の移動の非対称性をいう。形式的には等価交換に見えるが、実質的には不等価交換になっているために、一方的に価値が移動していくわけである。これに比べ、収奪は、強制的に奪い取ることである。売買という経済的な行為ではなく、権力による政治的な行為である。多少の対価が支払われても、極度に非対称的な場合は、収奪という。
 ウォーラーステインは「政治的に弱い地域から政治的に強い地域へ資本蓄積の移転」と書いているが、私は、価値の移転は、経済の原理によるだけではなく、政治学的な権力関係によると考える。そして権力関係という社会的要素を重視しなければ、資本主義の根本構造は理解できないと思う。
 いわゆる人権は、とりわけリベラル・デモクラシーとナショナリズムが融合した国において、資本主義の発達とともに、主に国民の権利として発達した。

●中核部の資本主義は変貌しつつ発達を続けている

 資本主義は、19世紀の後半から様々な点で変貌しながら生き延び、またますます発達を続けている。マルクスは、『資本論』において、資本制社会はブルジョワジーとプロレタリアートに二極化し、労働者は絶対的に窮乏化すると予想した。恐慌が必ず起こり、プロレタリアートが蜂起して革命が起こるといって、革命運動を煽動した。だが、絶対的窮乏化、階級の二極分化、恐慌の不可避性という彼の予想はことごとく外れた。
 階級については、マルクスは、資本家と労働者の中間に中産階級があるとしていた。プティ・ブルジョワともいう。中小商工業者・自営農民・自由業者等を指し、社会の中間層をなす。中産階級は、小所有者階級として所有者意識を持つ反面、生活上は労働者に近いという二重の立場に立つ。マルクスは、中産階級は資本主義社会の発展とともに衰退・分解する不安定な階級とした。しかし、近代世界システムの中核部は、周辺部から収奪する富によって社会全体が豊かになり、労働者の生活も豊かになった。また資本主義の高度な発達によって、19世紀後半より労働者は精神的労働者と肉体的労働者に分化し、精神的労働を担うホワイトカラーが増加し、かつての中産階級を旧中間層とすれば、新中間層を形成するようになり、かつ極度に増大していった。
 また株式会社の発展により、大会社の場合、資本所有者である株主の数が増加し、中小株主が増えて株式所有が分散し、大株主の持ち株が低下する傾向が現れた。その一方、経営管理の職能が専門化し、所有者と経営者の分離が進んだ。企業だけでなく国家においても、高度な知識・技術を持つ経営者や官僚、すなわち精神的労働者の役割が重要になった。また労働者も株式を購入することで、資本の所有に参加することができるから、小所有者が増加した。
 社会の変動は、権利・権力の闘争によってのみ起こるのではなく、協調・融合によっても起こる。19世紀末期以降の欧米諸国では、生活水準が向上し、労働者階級の多くは、プロレタリアートというすべてを奪われ、失った階級ではなくなっていった。また議会制民主主義による漸進的な社会改良が進んでいった。こうした変化を可能にした条件の一つが、中核部による周辺部の支配・収奪だった。周辺部からの価値の移動をもとに、中核部の諸国では、国民経済が成長し、富と豊かさが増大した。それとともに、労働者階級を含む国民全体の権利は拡大・強化されていった。それが、欧米における人権の発達に関する国際間の経済的社会的構造である。

 次回に続く。

安全保障関連法制の整備を急げ1

2015-06-08 10:49:23 | 時事
 5月末から6月中旬にかけて、「厳しさを増す国際環境と安全保障法制」に関する講演を、鎌倉市、札幌市、新潟市で行っているところである。その主題に関することを短期連載で掲示する。

●厳しさを増す国際環境

 近年日本を取りまく国際環境は、厳しさを増している。
 昨年3月ロシアはクリミアを併合し、既成事実化した。独仏が加わってウクライナと停戦に合意するも、予断を許さない不安定な状態である。ロシアと欧米の対立は長期化している。対独戦勝70年記念式典に、日米欧は参加せず、参加したのは20カ国のみだった。中国は主賓扱いで、中露の接近が進んでいる。
 その中国は、軍備増強・近代化を背景に東・南シナ海で一方的な海洋進出を図っている。国防費は毎年10%超も伸び、10年後には日本の7倍近くになる恐れがある。
また、北朝鮮は、核兵器とミサイルの高性能化を進め、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射実験の成功も公表した。幹部の処刑が相次いでおり、政権基盤が一層不安定になっていると思われる。
 中東では、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国(ISIL)」が、本年1月日本人2名を拘束して殺害したうえ、日本国民へのテロ宣言を出した。米国が主導して有志連合国が空爆を行っているが、その効果は薄く、ISILはイラクの首都バグダッドまであと100キロというところまで勢力を拡大している。
 他にもいろいろと日本を取り巻く安全保障環境は悪化している。最大の脅威は、中国である。中国は、政治・外交・経済・軍事等を総動員して、覇権の拡大を進めている。最近話題になっているのが、アジア・インフラ投資銀行(AIIB)だが、これは金融による世界的な覇権確立を目指すものである。日米の不参加で資金調達は困難だろうが、英国をはじめ独仏等が参加し、中国は存在感を高めている。より大きな脅威は、軍事力による覇権の追求である。
 南シナ海で、中国はフィリピン、ベトナム近辺の南沙諸島で、5つの岩礁の埋め立てを進めている。埋め立てられた面積が、この4か月で4倍に拡張され、8万平方キロになった。4つの人工島では、埋め立て作業から基盤施設の整備に移っている。明らかに洋上軍事基地である。1か月ほど前、火器が配備されていることがわかると米国は重大視し、南シナ海で米中間の緊張が高まっている。
 多くのマスメディアは、南シナ海にばかり注目し、わが国近傍の東シナ海での中国の動きをあまり報道しないが、中国は東シナ海で、新たな軍事基地を建設中である。中国は沖縄より尖閣諸島に100キロ近い浙江省温州市沖の南キ列島に新軍事基地を建設している。大型レーダー2台、超高速の通信情報網を設置、ヘリポート、軍用機の滑走路の建設等を進め、今年中に完成予定と伝えられる。完成すれば、中国は尖閣周辺の制空権を握り得るようになる。
 中国は本気である。尖閣を奪取したら、次に沖縄を狙う。沖縄を押さえられたら、わが国は窮地に陥る。だが、こんな状況において、沖縄では親中派の翁長新知事が普天間基地の辺野古への移転に反対している。米軍基地をなくし、中韓と提携しようとしている。中国は背後で沖縄を独立させる画策をしている。
 ところで、日本人は、尖閣・沖縄には関心が向くが、新潟・佐渡は死角になっている。中国は、新潟・佐渡も狙っている。領事館用だとして新潟市内に1万5千平米もある広大な土地を購入し、新潟市民が反対運動を行っている。シナ系の帰化人が佐渡にある「道の駅」を1円で購入した。新潟市内の土地と併せて軍事拠点として、中国が使用しようとしているのではないかと懸念されている。私は、昨年10月にそのことをネットに書いた。拙稿「新潟・佐渡が中国に狙われている」である。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12v.htm
 そこまでは考えすぎではないかと思う人が多いだろうが、これは、単なる空想ではないことが明らかになった。
 昨年末、中国人民解放軍が佐渡を占拠し首都中枢を攻撃することを想定した日米軍事合同演習が行われたことが、この4月に分かった。軍事演習の最中、陸上自衛隊やアメリカ陸軍の幹部の間では、幾度も「リアルなシナリオ」という言葉が飛び交ったと伝えられる。詳しくは、拙稿「中国が佐渡島を占拠し首都中枢を攻撃という日米合同軍事演習が行われた」をご参照願いたい。

 厳しい国際環境において、日本が平和と繁栄を守っていくには、憲法の改正が不可欠の課題である。だが、現行憲法施行後、68年たってなお日本人は憲法を改正できていない。自主国防の体制は整っていない。その間に世界は大きく変化した。日本を取り巻く安全保障環境は著しく悪化している。サイバー攻撃の高度化や宇宙兵器の開発・配備も進んでいる。もはや日本一国では日本を守れない。自ら国を守る体制をしっかり整えるとともに、地球規模での国際協力を行うことが必要になっている。
 今できることとして、憲法解釈を変更して集団的自衛権を行使できるようにすることが必要である。また、日米の連携を強化するとともに、自衛隊が積極的に世界の平和と安全に貢献できるようにする。そのために急がれるのが、安全保障法制の整備である。

●日米が平和と安全のために連携を強化

 安倍晋三首相は、本年4月末から5月初めにかけて訪米し、4月28日、オバマ米大統領とワシントンのホワイトハウスで会談した。
 前日の27日、日米両国政府は、日米安全保障条約のもとで、自衛隊と米軍の新たな役割分担を定めた「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の再改定で合意した。
会談で、両首脳は、新たなガイドラインを踏まえ、東アジアで軍事的緊張を高める中国をにらんだ連携と、日米の強固な同盟関係を確認し、アジア太平洋地域や世界の平和構築に向けた関係強化で一致した。
 ガイドラインに基づく関係強化は、日本の防衛に加え、世界の平和と安定に両国が手を携えていく姿勢を示したものである。両首脳は、両国の協力関係を地球規模へ拡大する方針を確認し、内外に強く発信した。
 両首脳は、戦後70年の節目に「新時代の同盟関係」を掲げた共同声明を発表した。声明では、戦後70年の日米関係を「和解の力を示す模範」とし、ルールに基づく国際秩序の構築に寄与してきたと評価した。ガイドラインについては「海洋安全保障を含む事項についてより緊密な形で取り組む」と明記した。同時に、中国による南シナ海進出やロシアのクリミア併合を念頭に「力や強制により一方的に現状変更を試みることで主権や領土一体性の尊重を損なう国家の行動は国際秩序への挑戦である」と強調した。
 会談後の共同記者会見で、安倍首相は「同盟の歴史に新たな1ページを開いた」「同盟が世界の平和と繁栄に主導的な役割を果たす」と述べた。オバマ大統領は日本を「地球規模のパートナー」と位置付け、歓迎式典では日米同盟が「未来に照準を合わせている」とも語った。昨年4月の日本訪問時に続き、大統領は、尖閣諸島が米国による日本防衛義務を定めた日米安保条約5条の適用対象だと改めて確認した。北朝鮮による日本人拉致被害者問題に対する日本の対応については支持するとした。
 安倍首相は、4月30日、日本の首相として初めて米上下両院合同会議で演説した。演題は「希望の同盟へ」。戦後70年の節目に、敵対国から同盟関係となった日米の「心の紐帯」を訴え、日米同盟の発展が世界の平和と安定に貢献するという「未来志向」の考えを前面に打ち出した。
 演説で首相は、覇権主義的に海洋進出を図る中国を念頭に「太平洋からインド洋にかけての広い海を、自由で法の支配が貫徹する平和の海にしなければならない」と訴えた。同時に集団的自衛権の行使容認を含む安全保障法制を「夏までに成就させる」と約束した。
 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉については「経済的利益を超えた長期的な安全保障上の大きな意義がある」として、連邦議会の議員に対して交渉合意に不可欠とされる米国の大統領貿易促進権限(TPA)法案の成立と交渉妥結に協力を呼びかけた。
 先の大戦については「戦後の日本は痛切な反省を胸に歩みを刻んだ。アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない」と言及した。韓国が戦後70年の安倍首相談話に求める「侵略」「植民地支配」「お詫び」の文言は使用しなかった。
 首相は、演説で、かつて硫黄島で戦った栗林忠道陸軍大将の孫・新藤義孝元総務相と米国海軍のスノーデン元中将を紹介した。互いに国運を賭けて戦った日本と米国が戦後70年の節目の年に真の和解に達したことを、象徴する場面だった。詳しくは、拙稿「安倍首相、日米同盟を『希望の同盟』に」に書いた。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/s/%A5%B9%A5%CE%A1%BC%A5%C7%A5%F3

 次回に続く。

人権159~剰余価値説の欠陥

2015-06-06 08:38:18 | 人権
●剰余価値説の欠陥

 資本主義における経済的社会関係は、権利と権力の関係を抜きに考えられない。まず権利関係だが、資本制的生産様式の生産関係は、生産手段の所有権をもとに構成されている。また生産された商品は、市場において交換されることを通じて権利関係の変動をもたらす。ここにおける権利は、価値の生産・交換・蓄蔵に係る権利である。
 資本主義社会における権利と価値の問題について、マルクスは剰余価値説という学説を唱えた。マルクスは、資本制的生産様式においては、商品の生産過程で剰余価値が生み出され、資本家はこれを利潤として獲得する。資本は、賃労働者を搾取して得た剰余価値を領有する。従って、資本とは剰余価値を生む価値である、と主張した。 この理論の基礎にあるのは、労働価値説である。マルクスは、イギリス古典派経済学における商品の価値はその生産に投じられた労働量によって決まるというアダム=スミス、リカードの労働価値説を継承した。彼は、労働と労働力を区別し、労働力商品が生産過程で余分の新価値である剰余価値を無償で産むという説を説いた。それが剰余価値説である。
 マルクスは、労働力商品が市場で売買される際、外形的には等価交換がされていることを認めている。その上で資本家が正当な手続きで商品経済の論理、等価交換の原理に則りながら、どうやって剰余価値を搾取しているか、その仕組みを解明しようと試みた。マルクスによれば、資本家は労働力の価値の回収に要する必要労働時間以上に労働時間を延長することにより、その超過分である剰余労働を剰余価値として取得する。剰余価値は、利潤、地代、利子等の不労所得として現れるというのである。
 だが、私は、こうしたマルクスの剰余価値説には、欠陥があると思う。同じ量の労働時間を投じて生産した商品でも、他社や他国の商品より品質が悪かったら売れない。また、仮に品質はよくても、買い手の購買意欲を引き出すものでなければ、高く売れない。また、消費者の求める新しい商品を開発せず、いつまでも同じ商品を作っているのでは、売れなくなる。売れない商品を山ほど作っても、価値を産出したことにはならない。投下された労働時間が同じであっても、市場において売れない商品の価値はゼロである。商品が売れなければ、賃金は払えない。資本家自身も破産する。
 マルクスは、労働力を量的にのみとらえ、労働者の能力の質的な違いを捨象した。しかし、労働力商品の価値もまた他の商品と同様、需要と供給によって決まる。また、単純作業の機械的肉体労働と、知性・感性を発揮する創造的精神労働では、市場における価値が大きく異なる。労働力の質が商品の価値を高めるのである。発明や工夫、デザイン等、生産に知識・技術・美意識を要するものは、市場における価値が高くなる傾向がある。特に消費者の欲求に応え、また消費者の欲求を引き出す商品は、高い価値を獲得し、また多くの需要を創出できる。このように商品の価値を高めるものは労働力の量ではなく質であり、質の高い労働を行う労働者は、それだけ多くの賃金を得ることができるのである。
 それゆえ、市場における交換原理を中心にすえない限り、価値の本質と、その創造、決定、増殖のメカニズムは、解明し得ないと私は考える。市場は、商品を通じた意思交通の場である。需要側と供給側の意思が合致することによって、契約が成立し、権利が発生したり、移譲されたりする。資本主義における経済的社会関係をとらえるには、生産の過程だけでなく、市場を通じた流通・消費・金融の過程を含む権利関係をとらえる必要がある。

●権力関係の分析が必要

 資本主義における経済的社会関係をとらえるには、権利関係だけでなく、さらに権力関係にも注目しなければならない。権力関係とは、支配―服従または保護―受援の関係である。資本主義社会で広く見られる支配―服従の関係は、一方が自分の意思に他方を従わせ、他方がこれに従うという双方の意思の働きである。意思の働きは、権威という心理的な作用のみで機能する場合と、実力ないし武力という物理的な作用を伴う場合がある。
 資本家と労働者の間における賃金の決定には、双方の意思が関わっている。これは支配―服従の権力関係によるものであって、商品経済の論理とは異なる社会的要素である。資本家の力が圧倒的に強い場合は、15~16世紀のラテン・アメリカやアフリカの奴隷のように、労働者はまったく無力な存在となる。生活に最低限必要な賃金すら得られないことさえある。逆に労働者の力が相対的に強くなると、資本家は賃金を上げざるを得ず、労働者は豊かになり、社会保障も充実していく。19世紀後半以降の西欧先進国では、こうした変化が起こった。この変化は、権力関係の変化によるものであって、経済法則からは出てこない。マルクスの理論モデルは、19世紀半ばのイギリス社会には、ある程度近似しているとしても、それ以前の非西洋文明やそれ以後の西洋文明の諸社会には、よく当てはまらないのである。
 資本主義社会を把握するには、資本主義以前の経済社会、及び変貌する資本主義社会との比較の中で理解せねばならない。そのためには権力関係に関する分析を重視しなければならない。マルクスの理論で革命を起こした旧ソ連が内部に大きな問題を抱え、崩壊に至った原因の一つは、この点に関わっている。
 マルクスの理論的欠陥として、市場の交換原理の軽視と権力の分析不足の二点を挙げた。市場における商品交換と保護―受援または支配―服従の権力関係は、ともに人間の意思の形成と交通に関する事象である。意思の合成は、協同的な側面と闘争的な側面がある。マクロ的かつ闘争的な見方だけでは、権利と権力の関係の実態に迫ることはできず、資本主義社会の分析も一面的なものになってしまうのである。

 次回に続く。