●欧米における自由と権利の拡大
17世紀の市民革命の時代以降、ヨーロッパにおける人権の発達過程は、伝統的な共同体の解体、農民の都市への流入、近代資本主義の発達、近代主権国家の成立、アジア・アフリカの支配と収奪、産業革命による労働条件の悪化、階級闘争の激化、世界的な植民地の争奪戦、ナショナリズムとナショナリズム及びエスニシズの相互作用等の過程でもあった。先進国同士、また先進資本主義国と後進資本主義国の間で利害対立による戦争が繰り返された。
この間、自由と権利は、イギリス・アメリカ・フランス等の核家族的な価値観を持つ諸国を中心に、拡大されていった。一方、直系家族が支配的なドイツ・オーストリアや共同体家族が支配的なロシアは、核家族的な価値観とは異なる価値観を持っていた。直系家族は権威・不平等、共同体家族は権威・平等の価値観であるから、自由を主とする価値観への抵抗は大きかった。だが、19世紀に入ると、産業革命の進む先進国の経済力・技術力・軍事力が、他のヨーロッパ諸国に近代化の波を広げた。それとともに、自由の思想が浸透していった。
極少数の人間の自由と大多数の人間の不自由の対比の中で、自由は拡大されてきた。不自由な状態にある大多数の側が自由を求めるとき、それは平等への志向となる。17世紀イギリスのピューリタン革命では、水平派が急進的に平等を求めた。イギリスで18世紀に始まった産業革命は、それまでの社会を大きく変え、階級分化を促進した。この過程でイギリスではリベラリズム(自由主義)とデモクラシー(民衆賛成制度)が融合してリベラル・デモクラシー(自由民主主義)となり、それが西洋の多くの国家の理念となった。
その一方、自由民主主義に対抗するものとして出現したのが、社会主義である。社会主義は、社会的不平等の根源を私有財産制に求め、それを廃止ないし制限し、生産手段の社会的所有に立脚する社会を作ろうとする思想・運動である。19世紀前半における社会主義初期の代表的な思想家はサン・シモン、フーリエ、オーエンである。彼らに続いてカール・マルクス、フリードリッヒ・エンゲルスは、1848年に、『共産党宣言』を発表した。マルクス、エンゲルスは、初期社会主義者の思想を「空想的(ユートピア的)社会主義」と呼び、資本主義の分析に基づく自分たちの理論を「科学的社会主義」と自称した。彼らの説く科学的社会主義は共産主義とも言われる。
マルクス=エンゲルスは、フランス革命をブルジョワ革命と規定し、一定の評価をするとともに、その限界を主張し、プロレタリア革命の理論を提示した。彼らは社会的な不平等の原因を、所有の概念で分析し、財産の私有に階級の発生を求め、歴史の動因として階級闘争を強調した。被支配階級は、支配階級の権利を戦い取るべきものとされた。そして、それが人間の解放であると説いた。
1864年にマルクス、エンゲルスの理論を取り入れた第1インターナショナルが結成され、国際的な社会主義運動が広がった。その後、社会主義は、主として議会を通じて平和的に目標を実現しようとする社会民主主義と、武力革命によって社会改革を行おうとする共産主義の二つに大きく分かれた。前者を社会主義、後者を共産主義とする分け方もある。
19世紀末から社会主義が勢いを強め、多くの国で社会民主主義の政党が結成された。社会民主主義は自由を保ちつつ平等の拡大を図る態度である。これに対し、共産主義は平等を価値とする。ごく少数ではあるが、共産主義者は武力革命を目的とする活動を展開した。
平等を志向する社会主義が広がると、自由の思想の側にも変化が現れた。イギリスで発達した伝統的な古典的自由主義は、国家権力の介入を排し、個人の自由と権利を守り、拡大していこうという態度のことである。これに対し、19世紀半ばイギリスでそれまでの自由主義を修正した修正的自由主義が出現した。修正的自由主義は、社会的弱者に対し同情的であろうとし、社会改良と弱者救済を目的として自由競争を制限する。
古典的自由主義は、個人の自由を中心価値とする。古典的自由主義は、主に米国でリバータリアニズム(絶対自由主義)として存続した。修正的自由主義は、自由を中心としながら自由と平等の両立を図ろうとする態度である。修正的自由主義は、社会主義に対抗して、労働条件や社会的格差を改善し、平等に配慮するものである。古典的自由主義は国権抑制・自由競争型、修正的自由主義は社会改良・弱者救済型で、思想や政策に大きな違いがある。平等に配慮する修正自由主義は、古典的自由主義よりも、ナショナリズムと親和的である。
こうして19世紀末以降の欧米では、自由と平等という価値の対立軸をめぐって、政治や社会運動が展開された。重点のありかを自由から平等の方へと順に並べると、古典的自由主義、修正的自由主義、社会民主主義、共産主義になる。「発達する人間的な権利」としての人権は、これらの主義の対立や融合の中で発達を続けた。
次回に続く。
17世紀の市民革命の時代以降、ヨーロッパにおける人権の発達過程は、伝統的な共同体の解体、農民の都市への流入、近代資本主義の発達、近代主権国家の成立、アジア・アフリカの支配と収奪、産業革命による労働条件の悪化、階級闘争の激化、世界的な植民地の争奪戦、ナショナリズムとナショナリズム及びエスニシズの相互作用等の過程でもあった。先進国同士、また先進資本主義国と後進資本主義国の間で利害対立による戦争が繰り返された。
この間、自由と権利は、イギリス・アメリカ・フランス等の核家族的な価値観を持つ諸国を中心に、拡大されていった。一方、直系家族が支配的なドイツ・オーストリアや共同体家族が支配的なロシアは、核家族的な価値観とは異なる価値観を持っていた。直系家族は権威・不平等、共同体家族は権威・平等の価値観であるから、自由を主とする価値観への抵抗は大きかった。だが、19世紀に入ると、産業革命の進む先進国の経済力・技術力・軍事力が、他のヨーロッパ諸国に近代化の波を広げた。それとともに、自由の思想が浸透していった。
極少数の人間の自由と大多数の人間の不自由の対比の中で、自由は拡大されてきた。不自由な状態にある大多数の側が自由を求めるとき、それは平等への志向となる。17世紀イギリスのピューリタン革命では、水平派が急進的に平等を求めた。イギリスで18世紀に始まった産業革命は、それまでの社会を大きく変え、階級分化を促進した。この過程でイギリスではリベラリズム(自由主義)とデモクラシー(民衆賛成制度)が融合してリベラル・デモクラシー(自由民主主義)となり、それが西洋の多くの国家の理念となった。
その一方、自由民主主義に対抗するものとして出現したのが、社会主義である。社会主義は、社会的不平等の根源を私有財産制に求め、それを廃止ないし制限し、生産手段の社会的所有に立脚する社会を作ろうとする思想・運動である。19世紀前半における社会主義初期の代表的な思想家はサン・シモン、フーリエ、オーエンである。彼らに続いてカール・マルクス、フリードリッヒ・エンゲルスは、1848年に、『共産党宣言』を発表した。マルクス、エンゲルスは、初期社会主義者の思想を「空想的(ユートピア的)社会主義」と呼び、資本主義の分析に基づく自分たちの理論を「科学的社会主義」と自称した。彼らの説く科学的社会主義は共産主義とも言われる。
マルクス=エンゲルスは、フランス革命をブルジョワ革命と規定し、一定の評価をするとともに、その限界を主張し、プロレタリア革命の理論を提示した。彼らは社会的な不平等の原因を、所有の概念で分析し、財産の私有に階級の発生を求め、歴史の動因として階級闘争を強調した。被支配階級は、支配階級の権利を戦い取るべきものとされた。そして、それが人間の解放であると説いた。
1864年にマルクス、エンゲルスの理論を取り入れた第1インターナショナルが結成され、国際的な社会主義運動が広がった。その後、社会主義は、主として議会を通じて平和的に目標を実現しようとする社会民主主義と、武力革命によって社会改革を行おうとする共産主義の二つに大きく分かれた。前者を社会主義、後者を共産主義とする分け方もある。
19世紀末から社会主義が勢いを強め、多くの国で社会民主主義の政党が結成された。社会民主主義は自由を保ちつつ平等の拡大を図る態度である。これに対し、共産主義は平等を価値とする。ごく少数ではあるが、共産主義者は武力革命を目的とする活動を展開した。
平等を志向する社会主義が広がると、自由の思想の側にも変化が現れた。イギリスで発達した伝統的な古典的自由主義は、国家権力の介入を排し、個人の自由と権利を守り、拡大していこうという態度のことである。これに対し、19世紀半ばイギリスでそれまでの自由主義を修正した修正的自由主義が出現した。修正的自由主義は、社会的弱者に対し同情的であろうとし、社会改良と弱者救済を目的として自由競争を制限する。
古典的自由主義は、個人の自由を中心価値とする。古典的自由主義は、主に米国でリバータリアニズム(絶対自由主義)として存続した。修正的自由主義は、自由を中心としながら自由と平等の両立を図ろうとする態度である。修正的自由主義は、社会主義に対抗して、労働条件や社会的格差を改善し、平等に配慮するものである。古典的自由主義は国権抑制・自由競争型、修正的自由主義は社会改良・弱者救済型で、思想や政策に大きな違いがある。平等に配慮する修正自由主義は、古典的自由主義よりも、ナショナリズムと親和的である。
こうして19世紀末以降の欧米では、自由と平等という価値の対立軸をめぐって、政治や社会運動が展開された。重点のありかを自由から平等の方へと順に並べると、古典的自由主義、修正的自由主義、社会民主主義、共産主義になる。「発達する人間的な権利」としての人権は、これらの主義の対立や融合の中で発達を続けた。
次回に続く。