ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権115~ユダヤ人の自由と権利(続)

2014-09-27 08:54:43 | 人権
●ユダヤ人の自由と権利の拡大(続き)

 イギリス市民革命は、イギリスのユダヤ人の自由と権利を拡大し、西洋におけるユダヤ人の自由と権利を拡大する端緒となった。
 イギリスでは、1290年にユダヤ人が追放された。以後、公式に撤回することはなかったが、17世紀後半になると事実上、ユダヤ人の居住を再び認め始めた。彼らの経済的能力への評価による。ピューリタン革命は、ユダヤ人に対する政策が再検討されるきっかけとなった。清教徒たちは、英訳の旧約聖書を読み、ユダヤ人に尊敬の念を持つようになった。クロムウェルは、ユダヤ人の経済力が国益にかなうという現実的判断をし、寛大な政策への道を開いた。王政復古後のチャールズ2世も同様にユダヤ人に対して正式に居住を認めた。理由は、イギリスの商人を守るよりユダヤ人を保護する方が経済的にずっと大きな利益が得られると判断したからだった。こうして17世紀末までには、ユダヤ人が正式にイギリスに住むことが出来るようになった。
 名誉革命は、さらにユダヤ人の地位を高めた。名誉革命は、オランダからオレンジ公ウィレムを招聘して、国王を交代させたが、そこにはユダヤ人の関与があった。
 17世紀後半の西欧は、「朕は国家なり」の句で知られる絶対君主の典型、太陽王ルイ14世が大陸を軍事的に制圧していた。ルイ14世は、イギリス、オランダと国際政治・国際経済の主導権を争い、4次にわたり絶対主義戦争を繰り返した。フランスに対抗して大連合が組まれ、ルイ14世の支配は打ち砕かれた。その際、資金を調達したのは主にユダヤ人だった。1672年から1702年にかけてオランダ統領のウィレムが連合軍を指揮したが、資金と食糧を調達したのは、オランダのユダヤ人グループだった。
 ウィレムこそ、後の英国王ウィリアム3世に他ならない。名誉革命では、1688年に、ユダヤ人のロペス・ソアッソ一族がウィレムに英国出兵の経費として200万グルデンを前貸しした。新国王が誕生すると、大勢のユダヤ人金融業者がロンドンに移り住んだ。ロンドンではウィリアムの時代に金融市場が発達したが、その創設にはユダヤ人が関った。名誉革命を通じて、国際金融の中心は、アムステルダムからロンドンに移った。シティの繁栄は、ユダヤ人の知識・技術・人脈によるところが大きい。
 ユダヤ人の自由と権利がさらに大きく拡大されたのは、フランス市民革命による。フランスでは、8世紀のシャルルマーニュ(カール)大帝はユダヤ人を「王の動産」として保護した。ところが、カトリック教会の権威が増大すると、ユダヤ人に対する迫害が進み、1394年には追放に至った。それがフランス革命を機に一転した。1789年8月、国民議会は人権宣言を採択した。その第1条に「人は、自由かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する」と謳われたが、これがユダヤ人にも適用されるようになった。91年9月、国民会議はユダヤ人解放令を出し、フランスのユダヤ人に完全な市民権を認めたのである。解放令と言っても、当時、フランス中央部にはパリ在住の個人を除いて、ユダヤ人はいなかった。中央部のフランス人はユダヤ人を知らずに、自らの普遍主義の理想を実現するために、ユダヤ人の解放を決めたのだった。
 フランスで市民権が認められた事実は他の国にも影響し、1796年にはオランダ、1798年にはイタリアのローマ、1812年にはプロシアというように、次第にユダヤ人の平等権が保障されるようになった。しかし、ナポレオンの敗北後、フランス以外では以前の状況に戻るなど、歩みは一様ではなかった。
 ここで特筆すべきは、ロスチャイルド家の繁栄である。1743年、フランクフルトでユダヤ人の金匠モーゼス・アムシェル・バウアーが、古銭商の店を開いた。息子のマイヤーは、家名を店の名の「赤い盾」、ドイツ語のロートシルトに変えた。ロスチャイルド家は、その時に始まった。マイヤーは、長男に本拠地のフランクフルトを継がせ、他の四人の息子をウィーン、ロンドン、ナポリ、パリに送り、その地でそれぞれ銀行を設立させた。ロスチャイルドの息子たちは、その国の王侯・貴族と取引して巨富を得て、その国の主要な銀行家となり、他を圧倒していった。なかでも、ロンドンのネイサンは、産業革命の進むイギリスで木綿製品の事業に成功し、シティで地歩を固めた。
 ナポレオン戦争は、ロスチャイルド家に飛躍をもたらした。各国に戦争のための資金を貸し出して巨額の債権を得、また戦争を通じた投機で大もうけをしたのである。市民革命の時代を超える話になるが、19世紀後半には、イングランド銀行を始め、西欧の主要国のほとんどの中央銀行が、ロスチャイルド家の支配下に入ったり、ロスチャイルド家の所有銀行が中央銀行となったりした。一族は莫大な富と権力を掌中にした。イギリスでは、政府に重用され、上流社会に入り、国会議員にも列する者が出た。
 市民革命後のユダヤ人の自由と権利の拡大は、ロスチャイルド家等のユダヤ人資本家の繁栄によるところが大きい。その一方、彼らへの反発から反ユダヤ感情も強まった。19世紀末にはフランスでドレフュス事件が起こり、反ユダヤ主義が高揚した。これに対して、ユダヤ人の側では、シオニズムが起こった。20世紀にはナチスによる迫害・虐待が行われた。第2次大戦後、ユダヤ人の自由と権利が国際的に保障されるようになったのは、国際連合や世界人権宣言による。背後には、ユダヤ人の国際的な働きかけがあったものと思われる。その一方、ロスチャイルド家が資金を出したイスラエルの建国は、パレスチナ住民の権利を侵害し、中東に深刻な対立構造を生み出した。ユダヤ人の自由と権利の拡大は、人類全体の人間的な権利の発達に、十分つながっていない。

 次回に続く。