日朝政府間協議に基づいて設置された北朝鮮の特別調査委員会は、7月から活動を始めた。日本人拉致問題に関して全面的な再調査を行い、「夏の終わりから秋の初め」に最初の調査結果報告を行うことだった。ところが、9月の3週目に入っても音沙汰がなく、日本政府が問い合わせると、「調査は全体で1年程度を目標としており、現在はまだ初期段階にある。現時点で、この段階を超えた説明を行うことはできない」と通告してきた。またしても北朝鮮による約束破りである。私としては予想したような展開となり、残念である。
北朝鮮の通告に対し、岸田文雄外相は、日本と北朝鮮の外務省局長級協議を中国・瀋陽で29日に開催すると発表した。局長級会議には、伊原純一外務省アジア大洋州局長、宋日昊(ソン・イルホ)・朝日国交正常化交渉担当大使が出席し、日本政府は再調査の進捗状況を確認し、調査結果を早急に示すよう強く要求するという。
振り返ると、北朝鮮は、今年に入ってそれまでの態度を変えてきた。特別調査委員会による再調査が、その結果だが、態度の変化には、2つの理由が考えられる。
第1の理由は、国連人権理事会による非難決議である。本年2月17日、国連北朝鮮人権調査委員会が最終報告書を公表した。これを受けて、3月28日国連人権理事会は、北朝鮮による国家ぐるみの人権侵害行為は「人道に対する罪」と非難する決議を賛成多数で採択した。決議は、拉致被害者らの帰国、全政治犯収容所の廃止と政治犯の釈放等を要求し、犯罪に関与した人物の責任を追及するよう明記した。人権状況を今後も把握するため「実態の監視と記録を強化する組織」の創設を盛り込んだ。また、国連安保理に対し「適切な国際刑事司法機関」への付託の検討を勧告した。そのため、北朝鮮は国際社会の非難を和らげる必要を感じたのだろう。この決議を前もって意識してか、北朝鮮は今年に入り、にわかに「人道的なふり」してきた。例えば3月初め、日本に赤十字会談を提案してきたのが、それである。
第2の理由は、経済制裁が効果を上げていることである。金正恩政権は統治のために最低限必要な外貨も枯渇する苦境に陥っている。日本が対北貿易を全面禁止して、有力な外貨獲得源だった松茸や水産物を輸出できなくなったことが大きい。昨年末の張成沢前国防副委員長の処刑には、政権内部署間の外貨争奪が背景にある。親中派の張の処刑により、中朝間が急速に冷え込んだ。中国の対北石油輸出は統計上、ゼロであり、貿易全体も減少している。昨年、韓国の朴槿恵大統領が国賓として訪中したのに、金正恩は北京を訪問できていない。そのため、北朝鮮は、国際関係の改善のため、日本に接近する必要に迫られたのだろう。強い圧力をかけて北を交渉の場に引きずり出すというわが国の戦略の第1段階が成功したといえるだろう。
北朝鮮側の態度の変化により、日朝両政府は3月、安倍政権下で初めての公式協議を約1年4カ月ぶりに再開させた。5月26~28日には、スウェーデンのストックホルムで外務省局長級会合による日朝政府間協議が開催された。安倍首相は、北朝鮮による拉致被害者の安否についての再調査に関し、北朝鮮側が「拉致被害者と拉致の疑いが排除されない行方不明者を含め、すべての日本人の包括的な全面調査を行うことを約束した」と発表し、「全面解決へ向けて第一歩となることを期待する」と述べた。
北朝鮮は特別調査委員会を設置し、調査をスタートした。日本政府は北朝鮮に対する制裁を一部解除し、「適切な時期に人道支援の実施も検討する」と発表した。そして、調査の開始を以て、北朝鮮に対する3つの制裁を解除した。人的往来の規制措置、送金に関する措置、人道目的の北朝鮮籍船舶の入港規制措置の解除である。解除の実質的な内容は、総連幹部の北との自由往来の許可、総連人士による北への送金規制の緩和、総連が北に食糧・医薬品などを送る北船舶の入港許可の3つである。すべて総連活動への制限緩和につながる内容となっている。
北朝鮮問題の専門家・西岡力氏によると、金正恩は本年1月、「朝鮮総連を再建せよ、そのため日本に接近せよ」との特別指令を出したという。指令の内容は、金日成・金正日が作り育てた朝鮮総連が崩壊直前になっている。多くの在日朝鮮人が総連を離れている。自分の代で総連を潰すことはできない。脱退者がこれ以上出ないように思想教育を強化せよ。総連再建のため日本と交渉し圧力を止めよ、というものだという。
それゆえ、北朝鮮にとって、これら3つの制裁の解除は、有益なものだったろう。だが、再調査の約束は、もともと6年前に日朝間でなされたものである。それを北朝鮮は一方的に約束を破って、放置してきた。その再調査をようやく実行するというだけである。それゆえ、調査を開始しただけで制裁を解除することが、本当に適切な対応だったのかどうかについては、疑問の声が上がった。北朝鮮は、これまでに何度も約束を破っており、果たしてまともな調査をし、誠意ある報告をするかどうかが疑わしい。今回は全面解決を期待する気持とともに、また裏切られるのではないか、という思いが交錯するーーという日本人が多かったのではないか。
冒頭に触れた今回の北朝鮮の通告は、またまた期待を裏切られるものだった。日本側が、前もって伝えられた調査報告の概要に対し、これでは受け入れられないと突っぱねたため、北朝鮮がとまどっているのではないかという見方がある。また北朝鮮は、日本側との条件闘争に入っており、さらなる制裁解除を条件にして、調査の進捗や報告の内容を変えようとしているという見方もある。
北朝鮮が最も強く求めているのは、在日本朝鮮人総連合会中央本部ビルの継続使用と、貨客船「万景峰(マンギョンボン)92」の入港許可だろう。
日朝政府間協議で、北朝鮮側は、朝鮮総連ビルの売却問題を持ち出したという。日本側はこの問題は裁判になっており、政府は司法に介入できないといと説明したが、北朝鮮側はこれを理解しなかったと伝えられる。
総連中央本部は北朝鮮の大使館としての機能を持つ。対日工作の一大拠点である。破綻した在日朝鮮人系の信用組合の不正融資事件にからみ、総連に対し約627億円の債権を持つ整理回収機構が総連本部の土地建物の強制競売を申し立て、東京高裁が高松市の不動産関連会社への売却を許可した。総連側は不服として最高裁に特別抗告したが、これは日本の司法が判断する問題である。政府間の外交の場で交渉する問題ではない。
万景峰号の入港禁止は、制裁解除で最後の対象とすべき措置である。総連ビルは、民間企業に売却されるものゆえ、日本国政府が関与する事柄ではない。それゆえ、万景峰号の入港禁止は、最後の切り札となる。この船は工作員、現金、IT情報、重要機器等を運ぶ手段である。その出入りを安易に許可してはならない。
北朝鮮による特別調査委員会が行う課題は、4つある。(1)日本政府認定の拉致被害者の調査、(2)未認定の拉致被害者の調査(3)引き揚げ者などの遺骨の調査(4)戦前から北に住む日本人や帰国在日朝鮮人の配偶者などに関する調査である。
西岡力氏は、産経新聞平成26年9月22日付の記事で、これらのうち、日本政府認定の拉致被害者12名の再調査未認定だが拉致の可能性のある行方不明者約900人の調査は「人数からしても、『初期段階』の調査で(1)と(2)の調査結果は出せるはずだ。そもそも菅義偉官房長官が明言しているように、北朝鮮は拉致被害者の現況を把握しているのだから、(1)と(2)は改めて調査する必要などない」と述べている。そして「北が行うという調査は、2002年に金正日総書記が行ったウソの説明を覆す手段としてだけ意味がある。なぜなら、拉致被害者の名簿は既に後継指導者、金正恩第1書記の手中にあるからだ」という。
西岡氏は、次のように観測している。「北朝鮮は今、日本の世論の動向を見極めているのだろう。拉致被害者を何人、どのような形で返せば、手に入れたい制裁解除、総連からの送金復活、人道支援などにつながるのか計算している」と。
そして、次のように主張している。
「何人か帰ってきたら、『行動対行動』原則で見返りを与えるべきだとの論者も一部いる。しかし、そうするかどうかを決めるのは、全ての拉致被害者に関する調査結果が出た後でなければならない。数人が帰国できたとしても、他の被害者が再び証拠もなく『死亡』とされたりするなら、誠実な回答とは言えない。最悪の場合、被害者を殺害して死亡の証拠とすることもやりかねないテロ国家を相手に、被害者全員の帰還交渉をしているとの緊張感が不可欠だ。
足して2で割るような通常の外交交渉の手法を取ったら、必ず失敗する。拉致を実行し未だに被害者を抑留し続けている『テロ犯』との被害者解放交渉である。
全ての被害者が無事に助け出されなければ、交渉は成功とは言えない。その点で、妥協の余地はないことを強調しておきたい」と。
私は、特に最後の「拉致を実行し未だに被害者を抑留し続けている『テロ犯』との被害者解放交渉である」という点が重要だと思う。政府関係者には、普通の外交交渉とは違うということを肝に銘じて当たってほしい。
以下は西岡氏の記事。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●産経新聞 平成26年9月22日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140922/kor14092205010001-n1.htm
【正論】
北の約束破りを許してはならぬ 東京基督教大学教授・西岡力
2014.9.22 05:01
またしても北朝鮮の約束破りである。7月に活動を始めた特別調査委員会は「夏の終わりから秋の初め」に最初の調査結果報告を行うとしていた。だが、9月の3週目に入っても音沙汰がなく、日本側が問い合わせると、「調査は全体で1年程度を目標としており、現在はまだ初期段階にある。現時点で、この段階を超えた説明を行うことはできない」というわけの分からない説明をしてきた。
≪報告先延ばしは見返り狙い≫
特別調査委は4つの分科会を持つ。(1)日本政府認定の拉致被害者を調査する「拉致被害者分科会」(2)未認定の拉致被害者を担当する「行方不明者分科会」(3)引き揚げ者などの遺骨を取り扱う「日本人遺骨問題分科会」(4)戦前から北に住む日本人や帰国在日朝鮮人の配偶者などに関する「残留日本人・日本人配偶者分科会」である。
(1)は12人、(2)は約900人(拉致の可能性ありと警察発表)、(3)は約2万人、(4)は7千人以上が対象だ。人数からしても、「初期段階」の調査で(1)と(2)の調査結果は出せるはずだ。そもそも菅義偉官房長官が明言しているように、北朝鮮は拉致被害者の現況を把握しているのだから、(1)と(2)は改めて調査する必要などない。にもかかわらず、約束を違(たが)えて最初の報告を先延ばししたのは、拉致という国家犯罪を行った側の取るべき態度ではない。強く抗議する。
北朝鮮はなぜ約束を守らなかったのか。10日に平壌で記者会見した宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使の発言を検討すると、理由がよく分かる。宋大使は、すでに調査報告はできているものの日本側が伝達してほしいと言ってこないので渡さないだけだと強弁しつつ、信頼醸成のため日本側のさらなる措置が必要だなどと述べた。調査結果がほしければ、追加で制裁解除をせよというわけだ。
日本の態度次第で調査期間が延びるかもしれないとも脅した。日本政府は最初の調査結果を約束通りに伝えてくるよう求めていたのだから、宋発言は虚構なのだが、彼が日本のメディアを通じて言おうとしたのは、最初の報告前に見返りを寄越せということだ。
≪総連継続使用と万景峰入港≫
水面下の交渉で北側は、最初の調査結果報告の見返りに朝鮮総連中央本部の継続使用を保証し万景峰号の日本入港を認めるよう求めてきたという情報がある。日本側が、前者は司法手続きに入っていて時間がかかると説得したため、焦点は後者になったという。
北朝鮮は、日本が入港を約束したから、カネをかけてロシアの技術者を呼び入港基準に合うよう改造まで行ったとして、万景峰号受け入れを迫った。日本側はそのような約束はしていない、調査結果を見ないうちに制裁を追加解除できないと突っぱねたという。
19日に伊原純一・外務省アジア大洋州局長から説明を受けた拉致被害者家族会のメンバーは口をそろえて、「焦らないでほしい、毅然(きぜん)たる姿勢を貫き、全被害者の救出を実現してほしい」と語った。調査結果を小出しにして、その都度、制裁解除や人道支援を引き出そうとする北の狙いに乗せられてはならない、と政府に忠告したのだ。時間の経過に誰よりも焦りを感じているはずの家族会メンバーの冷静さには頭が下がった。
安倍晋三首相も「形ばかりの報告には意味がない。北朝鮮は誠意を持って調査し全てを正直に回答すべきだ」「北朝鮮がどういう対応をするかは誰よりも知っているという自負があります」と、家族会とは歩調を合わせている。
≪テロ国家との交渉の覚悟を≫
大切なのはこれからだ。安倍政権は北朝鮮との交渉に当たり、(1)拉致問題最優先(2)被害者の安全確保(3)拉致問題の一括解決-というもっともな3方針を定めた。
北が行うという調査は、2002年に金正日総書記が行ったウソの説明を覆す手段としてだけ意味がある。なぜなら、拉致被害者の名簿は既に後継指導者、金正恩第1書記の手中にあるからだ。
北朝鮮は今、日本の世論の動向を見極めているのだろう。拉致被害者を何人、どのような形で返せば、手に入れたい制裁解除、総連からの送金復活、人道支援などにつながるのか計算している。
何人か帰ってきたら、「行動対行動」原則で見返りを与えるべきだとの論者も一部いる。しかし、そうするかどうかを決めるのは、全ての拉致被害者に関する調査結果が出た後でなければならない。数人が帰国できたとしても、他の被害者が再び証拠もなく「死亡」とされたりするなら、誠実な回答とは言えない。最悪の場合、被害者を殺害して死亡の証拠とすることもやりかねないテロ国家を相手に、被害者全員の帰還交渉をしているとの緊張感が不可欠だ。
足して2で割るような通常の外交交渉の手法を取ったら、必ず失敗する。拉致を実行し未(いま)だに被害者を抑留し続けている「テロ犯」との被害者解放交渉である。
全ての被害者が無事に助け出されなければ、交渉は成功とは言えない。その点で、妥協の余地はないことを強調しておきたい。(にしおか つとむ)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
関連掲示
・拙稿「北朝鮮による拉致とは何か」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08e.htm
年表を更新しました。
・拙稿「拉致は「人道に対する罪」と国連人権委が報告書」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/45722276f96683eb41ff6972c88cd77a
・拙稿「「北の人権」に中韓は責任果たせ~西岡力氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/defc682cc3b64e6b047551ef5d41d6ea
北朝鮮の通告に対し、岸田文雄外相は、日本と北朝鮮の外務省局長級協議を中国・瀋陽で29日に開催すると発表した。局長級会議には、伊原純一外務省アジア大洋州局長、宋日昊(ソン・イルホ)・朝日国交正常化交渉担当大使が出席し、日本政府は再調査の進捗状況を確認し、調査結果を早急に示すよう強く要求するという。
振り返ると、北朝鮮は、今年に入ってそれまでの態度を変えてきた。特別調査委員会による再調査が、その結果だが、態度の変化には、2つの理由が考えられる。
第1の理由は、国連人権理事会による非難決議である。本年2月17日、国連北朝鮮人権調査委員会が最終報告書を公表した。これを受けて、3月28日国連人権理事会は、北朝鮮による国家ぐるみの人権侵害行為は「人道に対する罪」と非難する決議を賛成多数で採択した。決議は、拉致被害者らの帰国、全政治犯収容所の廃止と政治犯の釈放等を要求し、犯罪に関与した人物の責任を追及するよう明記した。人権状況を今後も把握するため「実態の監視と記録を強化する組織」の創設を盛り込んだ。また、国連安保理に対し「適切な国際刑事司法機関」への付託の検討を勧告した。そのため、北朝鮮は国際社会の非難を和らげる必要を感じたのだろう。この決議を前もって意識してか、北朝鮮は今年に入り、にわかに「人道的なふり」してきた。例えば3月初め、日本に赤十字会談を提案してきたのが、それである。
第2の理由は、経済制裁が効果を上げていることである。金正恩政権は統治のために最低限必要な外貨も枯渇する苦境に陥っている。日本が対北貿易を全面禁止して、有力な外貨獲得源だった松茸や水産物を輸出できなくなったことが大きい。昨年末の張成沢前国防副委員長の処刑には、政権内部署間の外貨争奪が背景にある。親中派の張の処刑により、中朝間が急速に冷え込んだ。中国の対北石油輸出は統計上、ゼロであり、貿易全体も減少している。昨年、韓国の朴槿恵大統領が国賓として訪中したのに、金正恩は北京を訪問できていない。そのため、北朝鮮は、国際関係の改善のため、日本に接近する必要に迫られたのだろう。強い圧力をかけて北を交渉の場に引きずり出すというわが国の戦略の第1段階が成功したといえるだろう。
北朝鮮側の態度の変化により、日朝両政府は3月、安倍政権下で初めての公式協議を約1年4カ月ぶりに再開させた。5月26~28日には、スウェーデンのストックホルムで外務省局長級会合による日朝政府間協議が開催された。安倍首相は、北朝鮮による拉致被害者の安否についての再調査に関し、北朝鮮側が「拉致被害者と拉致の疑いが排除されない行方不明者を含め、すべての日本人の包括的な全面調査を行うことを約束した」と発表し、「全面解決へ向けて第一歩となることを期待する」と述べた。
北朝鮮は特別調査委員会を設置し、調査をスタートした。日本政府は北朝鮮に対する制裁を一部解除し、「適切な時期に人道支援の実施も検討する」と発表した。そして、調査の開始を以て、北朝鮮に対する3つの制裁を解除した。人的往来の規制措置、送金に関する措置、人道目的の北朝鮮籍船舶の入港規制措置の解除である。解除の実質的な内容は、総連幹部の北との自由往来の許可、総連人士による北への送金規制の緩和、総連が北に食糧・医薬品などを送る北船舶の入港許可の3つである。すべて総連活動への制限緩和につながる内容となっている。
北朝鮮問題の専門家・西岡力氏によると、金正恩は本年1月、「朝鮮総連を再建せよ、そのため日本に接近せよ」との特別指令を出したという。指令の内容は、金日成・金正日が作り育てた朝鮮総連が崩壊直前になっている。多くの在日朝鮮人が総連を離れている。自分の代で総連を潰すことはできない。脱退者がこれ以上出ないように思想教育を強化せよ。総連再建のため日本と交渉し圧力を止めよ、というものだという。
それゆえ、北朝鮮にとって、これら3つの制裁の解除は、有益なものだったろう。だが、再調査の約束は、もともと6年前に日朝間でなされたものである。それを北朝鮮は一方的に約束を破って、放置してきた。その再調査をようやく実行するというだけである。それゆえ、調査を開始しただけで制裁を解除することが、本当に適切な対応だったのかどうかについては、疑問の声が上がった。北朝鮮は、これまでに何度も約束を破っており、果たしてまともな調査をし、誠意ある報告をするかどうかが疑わしい。今回は全面解決を期待する気持とともに、また裏切られるのではないか、という思いが交錯するーーという日本人が多かったのではないか。
冒頭に触れた今回の北朝鮮の通告は、またまた期待を裏切られるものだった。日本側が、前もって伝えられた調査報告の概要に対し、これでは受け入れられないと突っぱねたため、北朝鮮がとまどっているのではないかという見方がある。また北朝鮮は、日本側との条件闘争に入っており、さらなる制裁解除を条件にして、調査の進捗や報告の内容を変えようとしているという見方もある。
北朝鮮が最も強く求めているのは、在日本朝鮮人総連合会中央本部ビルの継続使用と、貨客船「万景峰(マンギョンボン)92」の入港許可だろう。
日朝政府間協議で、北朝鮮側は、朝鮮総連ビルの売却問題を持ち出したという。日本側はこの問題は裁判になっており、政府は司法に介入できないといと説明したが、北朝鮮側はこれを理解しなかったと伝えられる。
総連中央本部は北朝鮮の大使館としての機能を持つ。対日工作の一大拠点である。破綻した在日朝鮮人系の信用組合の不正融資事件にからみ、総連に対し約627億円の債権を持つ整理回収機構が総連本部の土地建物の強制競売を申し立て、東京高裁が高松市の不動産関連会社への売却を許可した。総連側は不服として最高裁に特別抗告したが、これは日本の司法が判断する問題である。政府間の外交の場で交渉する問題ではない。
万景峰号の入港禁止は、制裁解除で最後の対象とすべき措置である。総連ビルは、民間企業に売却されるものゆえ、日本国政府が関与する事柄ではない。それゆえ、万景峰号の入港禁止は、最後の切り札となる。この船は工作員、現金、IT情報、重要機器等を運ぶ手段である。その出入りを安易に許可してはならない。
北朝鮮による特別調査委員会が行う課題は、4つある。(1)日本政府認定の拉致被害者の調査、(2)未認定の拉致被害者の調査(3)引き揚げ者などの遺骨の調査(4)戦前から北に住む日本人や帰国在日朝鮮人の配偶者などに関する調査である。
西岡力氏は、産経新聞平成26年9月22日付の記事で、これらのうち、日本政府認定の拉致被害者12名の再調査未認定だが拉致の可能性のある行方不明者約900人の調査は「人数からしても、『初期段階』の調査で(1)と(2)の調査結果は出せるはずだ。そもそも菅義偉官房長官が明言しているように、北朝鮮は拉致被害者の現況を把握しているのだから、(1)と(2)は改めて調査する必要などない」と述べている。そして「北が行うという調査は、2002年に金正日総書記が行ったウソの説明を覆す手段としてだけ意味がある。なぜなら、拉致被害者の名簿は既に後継指導者、金正恩第1書記の手中にあるからだ」という。
西岡氏は、次のように観測している。「北朝鮮は今、日本の世論の動向を見極めているのだろう。拉致被害者を何人、どのような形で返せば、手に入れたい制裁解除、総連からの送金復活、人道支援などにつながるのか計算している」と。
そして、次のように主張している。
「何人か帰ってきたら、『行動対行動』原則で見返りを与えるべきだとの論者も一部いる。しかし、そうするかどうかを決めるのは、全ての拉致被害者に関する調査結果が出た後でなければならない。数人が帰国できたとしても、他の被害者が再び証拠もなく『死亡』とされたりするなら、誠実な回答とは言えない。最悪の場合、被害者を殺害して死亡の証拠とすることもやりかねないテロ国家を相手に、被害者全員の帰還交渉をしているとの緊張感が不可欠だ。
足して2で割るような通常の外交交渉の手法を取ったら、必ず失敗する。拉致を実行し未だに被害者を抑留し続けている『テロ犯』との被害者解放交渉である。
全ての被害者が無事に助け出されなければ、交渉は成功とは言えない。その点で、妥協の余地はないことを強調しておきたい」と。
私は、特に最後の「拉致を実行し未だに被害者を抑留し続けている『テロ犯』との被害者解放交渉である」という点が重要だと思う。政府関係者には、普通の外交交渉とは違うということを肝に銘じて当たってほしい。
以下は西岡氏の記事。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●産経新聞 平成26年9月22日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140922/kor14092205010001-n1.htm
【正論】
北の約束破りを許してはならぬ 東京基督教大学教授・西岡力
2014.9.22 05:01
またしても北朝鮮の約束破りである。7月に活動を始めた特別調査委員会は「夏の終わりから秋の初め」に最初の調査結果報告を行うとしていた。だが、9月の3週目に入っても音沙汰がなく、日本側が問い合わせると、「調査は全体で1年程度を目標としており、現在はまだ初期段階にある。現時点で、この段階を超えた説明を行うことはできない」というわけの分からない説明をしてきた。
≪報告先延ばしは見返り狙い≫
特別調査委は4つの分科会を持つ。(1)日本政府認定の拉致被害者を調査する「拉致被害者分科会」(2)未認定の拉致被害者を担当する「行方不明者分科会」(3)引き揚げ者などの遺骨を取り扱う「日本人遺骨問題分科会」(4)戦前から北に住む日本人や帰国在日朝鮮人の配偶者などに関する「残留日本人・日本人配偶者分科会」である。
(1)は12人、(2)は約900人(拉致の可能性ありと警察発表)、(3)は約2万人、(4)は7千人以上が対象だ。人数からしても、「初期段階」の調査で(1)と(2)の調査結果は出せるはずだ。そもそも菅義偉官房長官が明言しているように、北朝鮮は拉致被害者の現況を把握しているのだから、(1)と(2)は改めて調査する必要などない。にもかかわらず、約束を違(たが)えて最初の報告を先延ばししたのは、拉致という国家犯罪を行った側の取るべき態度ではない。強く抗議する。
北朝鮮はなぜ約束を守らなかったのか。10日に平壌で記者会見した宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使の発言を検討すると、理由がよく分かる。宋大使は、すでに調査報告はできているものの日本側が伝達してほしいと言ってこないので渡さないだけだと強弁しつつ、信頼醸成のため日本側のさらなる措置が必要だなどと述べた。調査結果がほしければ、追加で制裁解除をせよというわけだ。
日本の態度次第で調査期間が延びるかもしれないとも脅した。日本政府は最初の調査結果を約束通りに伝えてくるよう求めていたのだから、宋発言は虚構なのだが、彼が日本のメディアを通じて言おうとしたのは、最初の報告前に見返りを寄越せということだ。
≪総連継続使用と万景峰入港≫
水面下の交渉で北側は、最初の調査結果報告の見返りに朝鮮総連中央本部の継続使用を保証し万景峰号の日本入港を認めるよう求めてきたという情報がある。日本側が、前者は司法手続きに入っていて時間がかかると説得したため、焦点は後者になったという。
北朝鮮は、日本が入港を約束したから、カネをかけてロシアの技術者を呼び入港基準に合うよう改造まで行ったとして、万景峰号受け入れを迫った。日本側はそのような約束はしていない、調査結果を見ないうちに制裁を追加解除できないと突っぱねたという。
19日に伊原純一・外務省アジア大洋州局長から説明を受けた拉致被害者家族会のメンバーは口をそろえて、「焦らないでほしい、毅然(きぜん)たる姿勢を貫き、全被害者の救出を実現してほしい」と語った。調査結果を小出しにして、その都度、制裁解除や人道支援を引き出そうとする北の狙いに乗せられてはならない、と政府に忠告したのだ。時間の経過に誰よりも焦りを感じているはずの家族会メンバーの冷静さには頭が下がった。
安倍晋三首相も「形ばかりの報告には意味がない。北朝鮮は誠意を持って調査し全てを正直に回答すべきだ」「北朝鮮がどういう対応をするかは誰よりも知っているという自負があります」と、家族会とは歩調を合わせている。
≪テロ国家との交渉の覚悟を≫
大切なのはこれからだ。安倍政権は北朝鮮との交渉に当たり、(1)拉致問題最優先(2)被害者の安全確保(3)拉致問題の一括解決-というもっともな3方針を定めた。
北が行うという調査は、2002年に金正日総書記が行ったウソの説明を覆す手段としてだけ意味がある。なぜなら、拉致被害者の名簿は既に後継指導者、金正恩第1書記の手中にあるからだ。
北朝鮮は今、日本の世論の動向を見極めているのだろう。拉致被害者を何人、どのような形で返せば、手に入れたい制裁解除、総連からの送金復活、人道支援などにつながるのか計算している。
何人か帰ってきたら、「行動対行動」原則で見返りを与えるべきだとの論者も一部いる。しかし、そうするかどうかを決めるのは、全ての拉致被害者に関する調査結果が出た後でなければならない。数人が帰国できたとしても、他の被害者が再び証拠もなく「死亡」とされたりするなら、誠実な回答とは言えない。最悪の場合、被害者を殺害して死亡の証拠とすることもやりかねないテロ国家を相手に、被害者全員の帰還交渉をしているとの緊張感が不可欠だ。
足して2で割るような通常の外交交渉の手法を取ったら、必ず失敗する。拉致を実行し未(いま)だに被害者を抑留し続けている「テロ犯」との被害者解放交渉である。
全ての被害者が無事に助け出されなければ、交渉は成功とは言えない。その点で、妥協の余地はないことを強調しておきたい。(にしおか つとむ)
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関連掲示
・拙稿「北朝鮮による拉致とは何か」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08e.htm
年表を更新しました。
・拙稿「拉致は「人道に対する罪」と国連人権委が報告書」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/45722276f96683eb41ff6972c88cd77a
・拙稿「「北の人権」に中韓は責任果たせ~西岡力氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/defc682cc3b64e6b047551ef5d41d6ea