ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

米中が競う東南アジアと日本の外交6

2013-01-17 08:55:49 | 国際関係
●わが国は東南アジアでどういう外交を行うべきか

 東南アジアが再び米中の競い合う地域となっていることを書いてきた。次にその事情を踏まえて、わが国の取るべき外交について述べたい。
 期せずしてこの連載中に、安倍晋三首相が政権復帰後初の外国訪問として、昨1月16日から4日間の予定で、ベトナム、タイ、インドネシアの東南アジア諸国連合3カ国を訪れている。安倍首相は歴訪を前に「経済のほか、エネルギー、安全保障でも協力を深める。極めて重要な訪問になる」と語った。また、菅義偉官房長官は「アジア太平洋地域の戦略環境が大きく変化している中で、ASEAN諸国と協力関係を強化していくことが重要だ」と意義を強調した。ぜひ成果を上げてもらいたいものである。
 私は、わが国の対東南アジア外交は、単に米国の外交を補完するものであってはならないと思う。もちろん米国は同盟国であり、自由、民主主義等の価値を共有する重要なパートナーである。アジア太平洋での平和と繁栄のために、わが国が米国と協調することの必要性は言うまでもない。ただし、わが国はあくまで自らの国益の追求を根本に置いて、外交を行うべきである。
 中国の覇権主義に脅威を感じているわが国にとっても、また東南アジア諸国にとっても、米国のアジア太平洋地域への積極的関与は、好都合である。わが国はこれを米国一人勝ちにはさせず、米国の関与を追い風として利用して、日本と東南アジアが連携して共存共栄を図っていくところに、外交目標を置くべきと思う。
 わが国は、これまで東南アジアで米国のような戦略的な外交はできていない。現在米中競合の焦点の一つとなっているミャンマーについても同様である。だが、平成23年(2011)の民主化開始以前から、ミャンマーとのパイプを太くする動きは行われてきた。そうした努力のうえで、23年秋ミャンマー投資・経済センターが開設され、投資や経済交流が積極的に進められている。
 最も情けないのは、わが国が独自の外交で混乱収束・国家再建に多大な貢献をしたカンボジアが、今では東南アジア随一の親中派になってしまったことである。そこでわが国がカンボジアとの親交を生かして、カンボジアを中国寄りから日本や米国及び東南アジア諸国の多数の側に引き寄せることに、わが国の東南アジア外交の一つの目標を置くべきと思う。
 今回の安倍首相の東南アジア諸国歴訪には、これら肝心のミャンマーとカンボジアが入っていないが、引き続き政府・外務省・民間団体が協同で、積極的な外交を展開してほしいと思う。
 次に、尖閣諸島との関係がある。今日、尖閣諸島の防衛は、わが国の興亡盛衰に係る課題となっている。尖閣問題については、拙稿「尖閣を守り、沖縄を、日本を守れ」等に書いた。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12o.htm
 私は、尖閣諸島の防衛は、自国の領土と資源の防衛であるだけでなく、アジア太平洋の平和と安定に係る課題だと考える。西太平洋からインド洋における尖閣諸島の位置を確認すると、尖閣諸島は、米国と中国のパワーバランスで重要なポイントの一つであることが分かる。
 中国は今日、南シナ海を中心とする海洋に覇権を確立しようとしている。中国は、台湾を自国の領土だと主張し、その併合を企図している。南沙諸島をめぐっては、フィリピン、ベトナム、マレーシアと係争中である。ミャンマーに港湾を作って、中東と自国を結ぶルートを築き、インドとも徐々に緊張を高めつつある。
 インド洋からマラッカ海峡を通って、フィリピン沖、台湾沖を北上する海路は、シーレーンと呼ばれ、世界貿易の3分の1が経由する。わが国にとっては、石油輸送の生命線である。中国にシーレーンを抑えられれば、わが国はのどもとに手をかけられたも同然となる。それゆえ、わが国の安全と繁栄を維持するためには、尖閣の防衛だけでなく、シーレーンの防衛を外交・安全保障の重大課題としなければならない。生命線の防衛のためには、同盟国である米国との協調とともに、東南アジア諸国との連携が重要である。
 中国は南シナ海のほぼ全域を「核心的利益」と呼んでいる。南シナ海の領有権の問題は、わが国には東シナ海の領有権に直結する問題である。わが国は、南シナ海における各国の航行の自由を確実なものとするために、最大限の外交努力をしなければならない。南シナ海で覇権を確立すれば、中国が東シナ海でも覇権確立の動きを強化することは明白である。南シナ海から東シナ海へ、さらにインド洋へと勢力を広げようと企む中国の野望に対抗するため、わが国は、米国・東南アジア諸国に加えて、南方のオーストラリア、西方のインドへも連携の輪を広げ、太く、強くする必要がある。
 この点でオバマ大統領が再選され、アジア太平洋重視の方針を堅持する姿勢を示したことは、日本にとってもアジア太平洋地域にとっても歓迎すべき事柄だった。クリントン氏の後任の国務長官には、ジョン・ケリー氏が指名された。ケリー氏には、クリントン外交を継承してもらいたいものである。
 わが国は、対中国外交では米国と連携し、アジア太平洋地域の安定を目指していかねばならないが、そのために米国の言いなりになってはいけない。あくまで国益の追求を根本に置いて外交を展開しなければならない。わが国が外交・安全保障の課題でアメリカに押しまくられ、アメリカに経済的・金融的に決定的に従属するになれば、独立した主権国家としての主体性や誇りを自ら捨て去るに等しい。ここで重要なのが、TPPへの参加問題である。

 次に続く。

米中が競う東南アジアと日本の外交5

2013-01-15 10:05:39 | 国際関係
●再選されたオバマの対東南アジア外交

 平成24年(2012)11月6日、オバマ大統領は再選された。大統領はタイ、ミャンマー、カンボジアの3カ国を、再選後初の外遊先に選んだ。このことは、2期目もアジア太平洋重視の方針を堅持することを示したものである。
 オバマ氏は、11月17日~20日の日程でタイ、ミャンマー、カンボジアを訪問した。18日、最初の訪問先となるタイでは、インラック首相と両国関係の強化を確認した。この日オバマ大統領は、記者会見でミャンマーについて触れ、「ビルマ(註 ミャンマーの英語名)が民主主義を達成し、求められているところに到達したという幻想は、誰も抱いていないと思う」「しかし、完全な民主主義を達成するまで待つのは、途方もなく長い時間待つことになるのではないか、と思う」と述べ、「今回の訪問の目的の一つは、これまで成された進展を強調し、将来、一段の大いなる進展が必要と表明することだ」と語った。
 翌19日、オバマ氏は現職の米大統領として初めてミャンマーを訪問した。オバマ氏は、スー・チー氏を自宅に訪ねて会談した。スー・チー氏の肩を抱いて微笑むオバマ氏の写真は、ミャンマーの民主化と米国の関与を強烈に印象付けた。オバマ氏はまたテイン・セイン大統領と会談し、テイン・セイン大統領が進める一連の改革を支持し、改革継続への支援を表明した。また今後2年間で1億7千万ドル(約138億円)の援助を行うことを表明した。援助は、民主主義の促進や教育、人材育成といった分野に重点を置くとした。一方で、少数民族を巡る問題や人権状況の改善についても一層の取り組みを求めた。市民との対話の機会も持ち、米国がミャンマーの民主化を一層後押しする方針を伝えた。オバマ氏のミャンマー訪問は、ミャンマーを中国から引き離し、自由民主主義の勢力の側に引き付ける外交をさらに大きく前進させるものとなった。
 続いてオバマ大統領は、カンボジアを訪問した。カンボジアも、現職の米大統領が訪問するのは、初めてだった。プノンペンでは、東アジアサミット(EAS)を含むASEAN関連首脳会議が開催された。EASに出席したオバマ氏は、中国と東南アジア諸国が争う南シナ海の領有権問題に関し、「航行の自由」を強調しつつ、海洋安全保障の「行動規範」の確立を働きかけた。
 この時の一連のASEAN関連首脳会議で、東南アジアにおける米中の対立が一段と鮮明になった。南シナ海問題について、オバマ大統領は「多国間の枠組みでの解決」を主張した。日本は米国と連携し、野田佳彦首相(当時)が「国際法の順守」を訴えた。一方、中国の温家宝首相は「あくまで2国間で解決すべきだ」と従来の姿勢を繰り返した。中国は多国間協議を拒否し、個別撃破の政略を取っている。中国の反対により、南シナ海の紛争回避に向けた「行動規範」の策定協議入りは先送りされた。
 今後も、東南アジアで米中の競争は続く。その焦点の一つはミャンマーである。わが国はミャンマーへの支援で米国と連携している。野田氏は「500億円規模の円借款を来年(註 25年)に実施する」と直接、テイン・セイン大統領に伝えた。日米が経済支援を通じて、ミャンマーをより一層中国から離れさせ、日米等の自由民主主義の側に引き込んでいく意義は大きい。中国の東南アジアでの覇権主義を制し、押し返すものとなるからである。

 次回に続く。

本日は「尖閣諸島開拓の日」

2013-01-14 08:37:52 | 尖閣
 本日1月14日は「尖閣諸島開拓の日」である。
 1月14日は、明治28年(1895)に閣議決定により尖閣諸島が日本領土に編入された日である。沖縄県石垣市は、22年(2010)12月17日に、この日を「尖閣諸島開拓の日」と条例で定めた。
 平成23年(2012)1月14日に最初の記念行事が行われ、本年は3回目となる。
 本日石垣市で行われる記念行事及び全国で行われる活動について紹介する。

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●日本会議のサイトより

http://www.nipponkaigi.org/activity/archives/5351
1月14日は「尖閣諸島開拓の日」-石垣市で式典、各地で街頭活動
平成25年01月12日

 1月14日は「尖閣諸島開拓の日」です。
 石垣市では式典・パネル展示会が、各地では「尖閣を守れ!街頭活動」が行われます。

 昨年9月の国有化後、尖閣海域での中国公船の領海侵犯は20回を超え、中国の軍用機が日本の防空識別圏を突破する行動を繰り返しています。
 中国政府は10日、北京で「全国海洋工作会議」を開き、今年の重要方針として尖閣諸島周辺で海洋監視船などのパトロールを常態化させることを決定しました。世界には領有権を主張し、日本に対し圧力を強める姿勢です。

 我が国では、尖閣諸島を行政区とする石垣市で、1月14日、第3回目となる「尖閣諸島開拓の日」式典と写真パネル展を開催します。
 国内・国際社会に対して、豊富な資料を持って尖閣諸島が歴史的に日本固有の領土であることを強く発信します。
石垣市の記念式典のご案内→ http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/110000/110100/pdf/2013011101.pdf
(略)

◆石垣市「尖閣諸島開拓の日」式典

 とき:1月14日(月)午後3時~(入場無料)
 ところ:石垣市民会館中ホール
 内容:
 式辞:石垣市長 中山義隆
 来賓祝辞:
  内閣府大臣政務官 島尻安伊子、総務大臣政務官 片山さつき
  沖縄県知事 仲井眞弘多、石垣市議会議長 伊良皆高信
  与那国町長 外間守吉
 講演:「野鳥の重要な生息地 尖閣諸島」
  公益財団法人 日本野鳥の会 安藤康弘氏・山本裕氏

◆尖閣諸島自然 写真パネル展
 日時:1月14日(月)~16(水)
 午後2時30分~午後6時(14日)
 午前10時~午後5時(平日)
 ところ:石垣市民会館展示ホール
 内容:東京都尖閣諸島現地調査の写真を中心に尖閣資料を一般公開
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 「尖閣の日」に合わせて、全国各地の街頭で、「尖閣を守れ!街頭活動」が行われている。開催地等の詳細は、上記サイトに掲載されているので、ご参照願いたい。
 またここ2年ほどの尖閣諸島に係る情勢や尖閣防衛のための方策については、下記の拙稿をご参考願いたい。

関連掲示
・拙稿「尖閣を守り、沖縄を、日本を守れ」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12o.htm

米中が競う東南アジアと日本の外交4

2013-01-13 09:42:05 | 国際関係
●中国がカンボジアを使って巻き返しに躍起

 中国は、米国の民主化外交に対し、巻き返しに躍起になっている。そのために、中国がテコ入れをしているのが、カンボジアである。
 カンボジアは、わが国と関係の深い国である。カンボジアはかつてフランスの植民地だった。わが国は大東亜戦争において、カンボジアでも独立を支援した。そのことにより、日本の敗戦後、いち早く戦後賠償を放棄した国の一つがカンボジアだった。長く国家の象徴的な存在だったシハヌーク国王は、親日的で知られた。1960年代には、東洋のオアシスと呼ばれるほど平和で安定した国だったが、ベトナム戦争に巻き込まれて20年にわたる内戦に突入した。その間の昭和50年(1975)、クメール・ルージュの指導者ポル・ポトが権力を握った。ポル・ポト政権のカンボジアでは、思想改革という名の元で、大虐殺が行われた。中国は、このポル・ポト政権を支持した。内戦の後、昭和57年(1982)に民主カンボジア連合政府が成立した。
 わが国は、1980年代の後半から和平のプロセスに積極的に関与した。内戦当事者を仲介し、平成2年(1990)に東京会議を開いた。翌3年(1991)にパリ和平協定が結ばれて法的には内戦が終結し、平成5年(1993)、国連監視下で民主選挙が行われた。新憲法が採択されて、カンボジアは立憲君主国となった。カンボジアの復興には、日本が主導的な役割を果たした。国連の平和維持活動(PKO)に初めて日本から自衛隊、警察、国連ボランティアが参加した。また人材育成や制度づくりでも支援してきた。基本的な法制度が整備されていなかったカンボジアで、日本は民法・民事訴訟法作成に協力した。日本の民法を押し付けるのではなく、カンボジア人自身が民法を作るのを助け、カンボジアの文化・習慣を尊重して時間をかけて相談しながら作っていった。戦後の日本外交の最高の成功例に挙げられる。民間のNGOや個人でも学校を建てたり技術を教えたりする日本人も多数おり、日本人の復興協力に感謝するカンボジア人は多い。
 ところが今日、そのカンボジアが中国寄りになってしまっている。東南アジアで巻き返しを図る中国は、カンボジアに多大な援助をし、カンボジアを通じて、東南アジアでの影響力を回復しようとしている。フン・セン政権のカンボジアは、いまや東南アジア諸国連合(ASEAN)で第一の親中派となっているのである。これまでのわが国の外交努力と民間交流を考えると情けないことである。しかもわが国の中国への政府開発援助(ODA)が、間接的にカンボジアへの援助金に使われている可能性もあり、外交の見直しが必要である。
 平成24年(2012)7月にASEAN外相会議が行われた。この時、中国は議長国を務めるカンボジアに働きかけた。それによって、南シナ海問題に関する共同声明発表を見送らせることに成功した。共同声明の発表がないというのは、ASEAN外相会議の発足45年にして初めての異例の事態だった。この事態は、南シナ海で領土領海を巡って中国と争うベトナム、フィリピンと議長国カンボジアが対立したことによるものである。一昨年はベトナムが議長国となり、南シナ海問題を初めて外相会議の議題に挙げた。昨年はインドネシアが議長国として、これを踏襲した。今回はカンボジアが議長国となり、議長のフン・セン首相は「南シナ海問題は2国間でやるべきだ」と中国の主張を代弁した。そのことが、共同声明なしという中国に有利な結果をもたらした。
 共同声明なしの外相会議から3カ月余りたった11月18日、ASEAN関連首脳会議が、カンボジアの首都プノンペンで開かれた。中国への対応を巡って、東南アジア諸国に対立が生じているなかでの会議となった。この機会に、米国は、中国を押し返す外交を展開した。その先頭に立っているのが、オバマ大統領である。

 次回に続く。

人権28~西洋思想の限界

2013-01-12 08:56:58 | 人権
●自由を中心とする西洋思想の限界

 バーリンの自由論に欠けているものーーそれは人格の概念である。第1章の人権の基礎づけの項目に書いたように、人間には人格がある。個人に人格を認め、人格の形成・成長・発展をめざすことは、個人における精神的価値の増大を促すことである。精神的価値とは生命的・物質的価値に加えて、理性的・感性的かつ霊性的・徳性的な精神の働きが生み出す価値である。また、人間には自己実現の欲求がある。自己実現の欲求とは、人間に内在する人格的な欲求であり、その欲求が働くとき、人は自己実現を目指して、自らの人格を成長・発展させようとする。その過程は、精神的な価値の実現の過程である。
 自由は、こうした人格の成長・向上の条件であり、それ自体が目的ではない、と私は考える。個人を人格的存在ととらえ、人格の形成・成長・発展のために、国民に自由と権利を保障しなければならないものが、政府である。政府は、国民の子供の人格形成のため、教育を施す義務を負う。また、国民の人格の発展を促す環境を整備する責務を負うべきものである。この点、グリーンの人格的自由主義は、今日再評価されるべきものと思う。
 グリーンとは異なり、バーリンは、「積極的自由」は理想や正義の実現を目指すことによって全体主義に転化しかねず、その結果、私的領域の不可侵性という「消極的自由」を脅かすようになる、という。しかし、人格の形成・成長・発展のための公教育の実施や国家的な環境整備は、必ずしも全体主義に転化するものではない。権力の追求そのものの自己目的化や全体主義への転化は、自由の追求とは別の観点からとらえなければならない問題である。すなわち、官僚制、権力欲、大衆心理等の観点を加える必要がある。グリーンとバーリンの思想の違いには、もう一つ私が推測するにグリーンがイギリスのネイション(国民共同体)の人格的発展を目指すのに対し、バーリンは西欧社会におけるユダヤ人の自立の確保を目指すという違いがあるだろう。
 近代西洋で自由を主要な価値とする代表的な思想が、リベラリズム(自由主義)である。17世紀から21世紀に至り、現代のリベラリストの多くは、自由の基本原理は、他者への寛容にこそあるという。多様性の尊重は「消極的自由」の延長上に出てくるものである。その行きつく先は、個人の選好の尊重となる。個人の自由の優先は、伝統的な社会道徳や公共の利益と対立する。また、個人の欲望を制限なく解放するものとなりかねない。
 人権の核心には、自由がある。ロックもルソーもカントもヘーゲルもマルクスもその後の多くの欧米の思想家も、求めるものは自由だった。彼らはそれぞれの人間観、社会観、世界観に基づいて自由を追求した。だが、現代の先進国においては、自由は欧米市民革命期のように絶対王政の抑圧からの政治的自由や、人格的道徳的な向上の目標としての精神的自由ではなく、欲望の解放と個人の選好の尊重を意味するものへと矮小化されてしまっている。
 バーリンの「積極的自由」は全体主義への転化可能性を持つ一方、「消極的自由」は個人主義の極端化を招く恐れがある。問題は両者とも、自由を中心的な価値とし、それに傾いた議論になっている点にある。私は、人間には人格があることを認め、自由に関する議論には、個人の人格の成長・向上を促進する社会を目指すという目標を立てる必要があると考える。

●自由は人格発展の必要条件

 先に人権の基礎づけを試みた際、人間の尊厳と個人の人格を踏まえる必要があると述べたと書いた。自由は、人格の形成・成長・発展のための必要条件であって、それ自体が目的ではない。内心の自由であれ行為の自由であれ、積極的自由であれ消極的自由であれ、自由はその自由を以て何か目指すための条件である。個人の自由は、個人的存在であるとともに社会的存在である人間が、家族を基礎とした集団生活を送りながら、相互的・共助的に自己実現を目指すために必要な条件である。個人の自由は、目指すべき目的そのものではない。
自由は絶対的な価値ではない。相対的な価値である。個人の自由を絶対的な価値と考えると、社会的な不平等を生む。また個人と集団との対立を生む。自由と平等、個人と集団のバランスの中でしか、自由という相対的な価値は承認されない。西欧にも、個人の自由より集団の共同性を重んじる思想があり、アジア・アフリカでは、個人の自由より集団が発展する権利を求める運動が行われてきた。自由という理念は、自由と平等、個人と集団という対立軸が交差する空間の中に位置づけられねばならないものである。
 人間は個人的存在であるとともに、社会的存在である。人間は、家族という集団を構成する。個人は家族の一員として生まれ、家族において成長する。個人は親子・兄弟・姉妹・祖孫等の家族的な人間関係において、人格を形成する。そして親族や地域等の集団の一員として、そこにおける社会的な関係の中で、人格を成長・発展させていく。
 権利については、後で具体的に述べるが、近代西欧では、個人の自由と権利の保障・拡大が追及された。だが、権利もまたそれ自体が目的ではない。人格の形成・成長・発展こそが、目的である。自由と権利は、人格の形成・成長・発展のために必要な条件であり、また条件に過ぎない。条件と目的を混同してはならない。国家が国民に自由と権利を保障するのは、個人を人格的存在ととらえ、人格の形成・成長・発展のために、自由と権利を保障するというものでなければならない。
 自由と権利の保障は、個人の欲求を無制限に認めるものではない。人間は人格的存在であるという認識を欠いたならば、自由は放縦となり、権利は欲望の正当化になる。人権という言葉は、今日しばしば放縦や欲望の隠れ蓑になっている。人格は、自己にだけでなく、他者にも存在する。人は他者にも人格があることを認め、互いにそれを尊重し合わねばならない。個人の人格の発展は、自己のためのみでなく、他者のためともなり、また社会の公益の実現につながるものでなくてはならない。自他は互いに人格の成長・発展を促す共同的な存在であり、自由と権利は相互的な人格的成長・発展のために、必要な条件として、保障されるべきものである。私は、人格という概念を掘り下げることなく、自由と権利を人権条約や各国憲法で保障することは、個人の自由と権利が目的化されてしまい、利己的個人主義を助長するおそれがあると考える。
 さて、ここで無視されてはならないのは、経済に関する問題である。人格の成長・発展という目的は、単に精神的な生活において追求できるものではなく、物質的な生活が維持されてこそ、可能である。それには、自由と道徳に関する議論を加えねばならない。バーリンは「消極的自由」が重要と主張するが、「消極的自由」だけでは、経済的領域における自由主義の弊害に対処できない。とりわけ1980年代から新自由主義が世界を席巻し、市場原理主義が富の偏在や格差の拡大をもたらし、2008年のリーマン・ショック後、世界経済が出口の見えない混迷に陥っている今日、経済的自由による個人的な利益の追求と公共的な利益の実現の調和が強く求められている。そこで取り組むべき課題が、経済的自由への規制である。この課題は、単に経済活動に関するものではなく、自由と道徳という対に関わる課題である。次に、その点について述べたい。

 次回に続く。

米中が競う東南アジアと日本の外交3

2013-01-10 08:42:06 | 国際関係
●東南アジア諸国が中国に物申すように

 ミャンマーに対してのみではない。米国は、東南アジア諸国への積極的な関与を拡大している。インドシナではメコン川下流計画(LMI)を発表し、カンボジア、タイ、ベトナム、ラオスのメコン川流域の4カ国に、保健・環境・インフラ・教育の分野で支援を進めている。この対象国にミャンマーが加わり、LMI閣僚級会合が開かれた。
 水資源の危機に直面している中国は、源流を所有している立場を利用し、主要な河川の上流に大小6700を超えるダムを建設した。特にチベット高原に端を発するインダス河、長江、黄河、サルウイーン河、ブラマプトラ河、カーナリ河、サトレジ河等の上流に中国が相次いでダムを建設することで、下流域の国々では危機感が強まっている。メコン川の流域も同様である。この地域は、伝統的に中国の影響が強い。米国は、ここに割り込んで、影響力を発揮しようとしている。中国も黙ってはいない。流域諸国に無償援助や借款、投資等を行って、巻き返しを図っている。
 クリントン国務長官のミャンマー訪問の約半年前、23年(2011)6月5~7日、シンガポールでアジア安全保障会議が行われた。この時から、東南アジア諸国が中国に物申すようになった。同会議で、ある国は中国を直接批判し、ある国は婉曲に中国を牽制した。軍事力を誇示する中国に対抗できるのは、米国しかいない。米国は、平成13年(2001)9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以来、中東に重点を移していた。だが、イラク戦争が終結し、米国は本格的にアジア太平洋重視の政策を推進している。そのことこそ、東南アジア諸国が中国に対して自己主張をするようになった最大の理由である。
 アジア安全保障会議での東南アジア諸国の姿勢の変化は、23年11月に開催されたアジア太平洋経済協力(APEC)と東アジアサミット(EAS)を通じて、より明確になった。EASでは、南シナ海の安全保障を念頭に置く「EAS宣言」が採択された。
 中国は東南アジア外交で失敗した。覇権主義をむき出しにする中国は、弱小国家に対し、個別撃破を図る。これに対抗するため、利害を共にする東南アジア諸国の多くが米国を楯にして結束した。中国が南シナ海の領有権問題をEASの議題にしないように働きかけても、中国を除く17カ国のうち15カ国が議題に取り上げた。温家宝首相の目論見は崩れた。
とりわけEASに米国が加わったことで、中国は海洋安全保障の問題でかつてない劣勢に陥った。会議でオバマ大統領は、南シナ海問題を持ち出した。温首相はすぐさま発言を求めて反論した。関係当事国が直接交渉によって解決すべきだという従来の主張を展開した。
 それまで、中国にとって要注意の国は、フィリピンとベトナムだった。ともに南沙諸島(英語名・スプラトリー諸島)等の領有権を争う国々である。特にフィリピンは、台湾を含む関係当事者6カ国による多国間交渉や紛争海域を「平和、自由、友好、協力地域」とする構想を打ち出している。中国にとっては目障りな存在だが、フィリピンが働きかけても、ASEANは結束できずにいた。そこへ「外部勢力」(温家宝首相)の米国が参入してきた。米国を始め多数の国が「国際法の順守」を強く求め、南シナ海のほぼ全域の領有権を主張する中国の「違法性」を追及するようになった。
 オバマ政権のアジア回帰は、目覚しい。それを主導してきたのは、クリントン国務長官である。クリントン氏は22年(2010)1月のホノルル演説で、「米国はアジアに戻る。そしてとどまる」と宣言した。そして、同年7月には領有権争い解決への多国間交渉の支持を打ち出した。中国は南シナ海問題で多国間協議を嫌い、2国間での解決を強く主張している。2国間協議なら、中国は個別的に自国の利益になる原則を適用できるからである。しかし、米国が積極的な関与するようになると、これに意を強くした大多数の関係国が、国際規範による解決を主張するようになった。中国の思惑は完全に外れたわけである。

 次回に続く。

米中が競う東南アジアと日本の外交2

2013-01-09 08:51:13 | 国際関係
●ミャンマーが米中競争の焦点の一つに

 米国は、東南アジアで、中国と勢力争いを繰り広げている。勢力争いの焦点の一つは、ミャンマーである。
 オバマ氏は、先のサントリーホール演説で、ミャンマーについて、次のように述べた。
 「長年にわたる米国の制裁や他国の関与政策でも、ビルマ(ミャンマー)国民の生活向上には至らなかった。われわれは今、指導部と直接対話し、民主的な改革への具体的取り組みがない限り現在の制裁を続けるとはっきり伝えている。われわれは、統一され、平和で繁栄し、民主的なビルマを支持する。ビルマがこの方向に進めば、米国との関係改善も可能となる。取られるべき明確な対応として、アウン・サン・スー・チー氏を含む政治犯の無条件の釈放、少数民族との紛争終結、将来構想を分かち合う政府と野党、少数民族との対話がある」と。
 ミャンマーは、本来の名称をビルマと言う。ミャンマーつまりビルマは、竹山道雄による児童文学の名作『ビルマの竪琴』で知られる。大東亜戦争の時、わが国はインドネシア、マレー、ベトナム、フィリピン、インド等の独立運動を支援した。イギリス領だったビルマでも同様だった。『ビルマの竪琴』は、その時の実話をもとにした物語である。中井貴一が主人公・水島上等兵を演じて映画化されている。大戦中、日本の支援でビルマ国は、独立を果たした。スー・チー氏の父オンサン・アウン・サンは、鈴木敬司参謀大佐の南機関で軍事訓練を受けてビルマ独立運動に活躍し、「建国の父」と仰がれている。昭和18年(1943)、東京で行われた大東亜会議に、ビルマ国の首班として参加したバー・モウは、戦後は一時日本に逃れ、新潟に潜伏した。帰国後、アウンサン政権で国防相を務めている。大戦後のビルマは連合国側に立ち、日本軍と戦って再度独立したという複雑な経緯はあるが、わが国にとって、歴史を踏まえて、大事にすべき国である。
 ビルマでは、昭和37年(1962)にネ・ウィン将軍がクーデタで政権を獲得し、ビルマ社会主義計画党を結成した。以後、半ば鎖国状態で国づくりを進めた。昭和63年(1988)にネ・ウィンの退陣と民主化を求める運動が起こった。ネ・ウイン体制は崩壊したが、軍がクーデタを起こして軍政を敷いた。平成元年(1989)国名をミャンマーに替えた。民主化運動の弾圧以来、米国とビルマ=ミャンマーの関係は悪化した。
 だが、オバマ大統領のサントリーホール演説以後、ミャンマーは大きく変わってきている。平成23年(2011)3月、ミャンマーは軍事政権を脱し、徐々に民主化を進めてきた。ミャンマーにとって、民主化はすなわち中国離れを意味する。同年10月に大赦が発令され、政治犯を含む6千人以上の囚人が釈放された。民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チー氏が自宅軟禁を解除され、メディアやインターネットへの統制も緩和された。この変化は、明らかに米国の働きかけの成果である。米国はかつて旧ソ連の諸国に働きかけ、グルジアのバラ革命、ウクライナのオレンジ革命を成功させた。その手法を東南アジアに応用しているものと見られる。

●ミャンマーが中国離れしつつある

 ミャンマーは以前、北朝鮮、パキスタンと並んで中国の三大盟友国の一つだった。軍事政権に対し、欧米諸国が経済制裁するなかで、中国は国境の共産ゲリラへの支援を全面停止し、軍政を世界で最初に公認した。その後、中国は、ミャンマーに経済・軍事等、多くの分野で積極的に支援してきた。それと引きかけに、中国は中東の原油をマラッカ海峡を通らずに、中国西南部に運び込もうとして、ミャンマーに港湾を作り、パイプラインを敷いている。輸送のコストを下げ、安全性を高めるのが、狙いである。中国にとってミャンマーの港湾は、インド洋の海上輸送路の防衛や西アジアの勢力拡大のための拠点ともなっている。中国は、ミャンマーから鉱物や木材、天然ガス、石油等を輸入してもいる。ミャンマーは、中国の資源政策、西アジア政策の要となってきたのである。
 だが、ミャンマーは近年、民主化の動きとともに、中国との距離を広げてきている。 ミャンマーの政府や軍の指導層には、中国の衛星国になりたくないという思いがある。中国人はミャンマー北部で木材などの自然資源を略奪し、ミャンマー第2の都市マンダレーは中国人が人口の4割を占めるなど、中国への従属化に懸念が強まっている。民主化を進めるテイン・セイン政権は、23年9月、中国の援助によるミッソンダムの建設を、「国民の意に反する」として中断した。人民日報傘下の環球時報は「これは中国人の損失」「中国の利益を犠牲にして、西側に媚びる予兆だ」と書いた。
 中国にとっては、ミャンマーが中国離れすると、経済的・軍事的等、多くの利益が脅かされる。それだけではない。南シナ海での覇権確立を図る中国は、ベトナム、インドネシア、フィリピン等と衝突して反発を受け、アジア太平洋地域で孤立しかねない状況にある。ミャンマーの中国離れは、それを決定的なものとする可能性があるのである。
 オバマ政権は、ミャンマーにおける民主化の進展を評価し、23年11月30日、ヒラリー・クリントン国務長官をミャンマーに派遣した。米国務長官のミャンマー訪問は57年ぶりだった。訪問の目的は、同国での「変革の動き」を後押しすることだった。クリントン氏は12月1日に、改革を推し進めるテイン・セイン大統領と会談した。また、最大野党・国民民主連盟(NLD)の党首アウン・サン・スー・チー氏と会談した。
 クリントン国務長官のミャンマー訪問に対し、中国外務省は「伝統的な友好国に手を付けた」と怒りを表した。だが、米国はその後も、次々に手を打っている。24年(2012)に入ると、経済政策を段階的に緩和した。そして9月、スー・チー氏を米国に招き、ホワイトハウスでオバマ大統領が会談した。この会談は、国際社会への強烈なアピールとなった。
 このように東南アジアでは、ミャンマーを一つの焦点として、米中が激しく競い合っているのである。

 次回に続く。

米中が競う東南アジアと日本の外交1

2013-01-07 08:55:52 | 国際関係
 東南アジアは、インド洋から太平洋への通路に位置し、昔から交通の要衝にある。この地域の主要国で構成する東南アジア諸国連合(ASEAN)は、計6億2000万人の人口を抱え、安い労働力と豊富な消費者が存在する。わが国にとっても、米国や中国にとっても、ASEANの重要性は増す一方である。
 中国は、東南アジアへの経済・外交・安全保障面での影響力を拡大している。とりわけ、南シナ海のほぼ全域の領有権を主張し、覇権の確立を目指している。米国は、アジア太平洋における中国の行動をけん制するため、ASEANとの関係の強化を図っている。冷戦時代に、米国と中国はインドシナ半島で激しく勢力争いをした。ベトナム戦争やカンボジア内戦は、米中の勢力争いの舞台だった。今日その争いの再現を思わせるほど、東南アジアは再び米中が激しく競い合う地域となっている。本稿は、その事情について書き、わが国の取るべき外交について述べるものである。6回の短期連載を予定している。

●米国はアジア太平洋地域に積極的に関与

 米国のオバマ大統領は、平成21年(2009)11月14日、東京・赤坂のサントリーホールで歴史的な演説を行った。大統領は「日米同盟が発展し未来に適応していく中で、対等かつ相互理解のパートナーシップの精神を維持するよう常に努力していく」として日米同盟の重要性を述べ、「米軍が世界で二つの戦争に従事している中にあっても、日本とアジアの安全保障へのわれわれの肩入れは揺るぎない」として日本とアジアの安全保障への取り組みに変わりはないことを強調した。
 その上で特に注目すべきは、オバマ氏が「私はハワイで生まれ、少年期をインドネシアで暮らした米国の大統領だ。環太平洋地域は私の世界観を形成してくれた」「私は米国初の『太平洋大統領』として、この太平洋国家が世界で極めて重要なこの地域においてわれわれの指導力を強化し持続させていくことを約束する」と述べたことである。オバマ大統領は、自分がアジア太平洋地域で生まれ育ったことを強調し、合衆国を「太平洋国家」と呼び、「太平洋大統領」と自称して、アジア太平洋地域に積極的に関与することを明言したのである。
 文明史的にみると、20世紀以降、世界の中心は、西洋・欧米から東洋・アジアに移ってきている。米国が初めての黒人大統領のもとアジア太平洋重視の方針に転換したことは、この文明史的な転換に沿った動きとなっている。
 オバマ大統領について私が最も評価できるのは、このアジア太平洋重視の外交である。平成20年(2008)スタートの政権当初には、中国を2大パートナーとして過大評価する傾向があったが、途中でこの姿勢を改め、中国の危険性を意識した政策を行ってきた。私は、世界の平和と安定にはアジアの平和と安定が不可欠だと考える。そのためには、日米が連携し、アジア太平洋における中国の覇権主義を抑える必要がある。オバマ氏は、東南アジア諸国にも積極的に働きかけ、中国に対する外交を展開しており、この点は高く評価できる。

 次回に続く。

警戒すべき中華ナショナリズムの暴走~石平氏

2013-01-06 07:16:07 | 国際関係
 平成24年11月19日の拙稿「中国:胡温体制から習主導体制へ」に次のように書いた。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20121119
 「10年間に及ぶ胡錦体制が終了し、習近平体制が始まる。胡・温両氏は、完全引退と報じられる。その一方、依然として江沢民氏が影響力を保持している。わが国の内閣に相当する政治局常務委員の7名のうち、4名は江沢民派が占めている。ナンバー1の習近平氏に近いのは1名のみ、胡錦濤派はナンバー2の李克強氏ひとり。江派4、習派2、胡派1という構成である。こうした中で、習氏がどのように指導力を発揮していくか注目される」と。
 中国指導部には、江氏らの上海閥、習氏らの太子党、胡氏率いる共産主義青年団(共青団)の三つの派閥がある。習氏は中間派で江沢民氏と胡錦濤氏の両方から支持を得られる位置に立つ。それが最高指導者に選出された理由の一つだろう。
 シナ系日本人評論家の石平氏は、政治局常務委員7人のうち5人までは、「江沢民派か江沢民派に近い人間」だとする。産経新聞24年11月22日号に書いた記事で、石氏は中国新指導部を「冷めた餃子」だと揶揄する。そして「表向きは『習近平政権』となっているが、内実はむしろ、老害の江沢民一派が牛耳る『江沢民傀儡政権』であるといえよう」と述べ、「これでは、がんじがらめとなっている習近平氏や李克強氏などの新世代指導者が思い切った仕事をできるはずもない。習近平政権はその誕生した時点から、すでに『死に体』の様相を呈しているのである」と厳しい見方をしている。ただし、この発言は石氏が習氏に改革を期待して書いているものではない。江沢民氏の影響力の強さを強調するための表現である。
 江沢民氏は、86歳。その影響力は、氏の生死に関わりなく、この先、少なくとも数年は続くだろう。そういう環境で、習近平氏が今後、どういう政策を推し進めてくるかが大きな関心事である。私は24年11月19日に次のように書いた。
 「習近平氏が指導する中国に関し、今後の10年は、共産主義を脱却するための民主化が進むか、共産党支配を維持するためのファッショ化が進むか、それとも特権階級の腐敗がとめどなく深刻化して国家そのものが衰退・分裂するか、まだ予測しがたい。このうち最も危険なのは、ファッショ化による覇権主義的な対外行動である。今回の共産党大会で、故主席は海洋権益を守ることを強調した。中国は増強する海軍力を以て、わが国を含むアジア太平洋地域、さらには中東・アフリカにも覇権を広げようとしている。領土や資源を獲得するとともに、国民の不満や怨嗟を党ではなく海外に向けさせ、支配体制を継続させようとするものである。腐敗しつつ生き延びようとしてアジアから世界を巻き込もうとするこうした中国共産党特権階級の動きを封じることが、世界の平和と繁栄のための重大課題である」と。
 習氏は24年11月15日の党総書記就任の直後に行われた就任演説で、「中華民族」という言葉を繰り返し使った。漢民族や中国人民はあっても「中華民族」など存在しないのだが、多民族国家の中国であえて「中華民族」という言葉を掲げるのは、習氏が国家意識の高揚を図っているためだろう。
 先ほど引用した石氏は、同じ11月22日の記事に次のように書いた。
 「15日の党総書記就任の直後に行われた就任演説で習氏自身は、これといった政策ビジョンを示すことができなかったが、その代わりに、彼は頻繁に『民族』という言葉を持ち出して『民族の偉大なる復興』を熱心に唱えた。つまり習氏は、『江沢民傀儡政権』のトップよろしく、10年前の江沢民時代の政治路線を継承し、ナショナリズムを高らかに掲げてそれを政権維持の柱にしようと考えているのだ。
 今後、『冷めた餃子』の習政権の下で貧富の格差の拡大などの問題がよりいっそう深刻化し国内の混乱がさらに拡大してくると、対外的危機を作り出し国民の不満を外に向けさせるのが彼らに残された『最善』の選択肢となろう。
 その時に、尖閣と日本は彼らにとっての格好の標的となりかねない。したがって日本としては、今後5年内における習政権の動きを注意深く観察しながら『その暴走』を大いに警戒すべきであろう」と。
 江沢民時代以降の中国におけるナショナリズムは、イコール反日愛国主義を意味する。習氏が「中華民族」のナショナリズムを推進するとき、それは反日愛国主義の強化と一体のものとなるだろう。日本人は、これまで以上に、中国の動きをしっかり警戒する必要がある。
 以下は、石平氏の記事。

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●産経新聞 平成24年11月22日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/121122/chn12112211080000-n1.htm
【石平のChina Watch】
習近平政権「冷めた餃子」 暗い未来に同情
2012.11.22 11:02

 今月15日に選出された中国共産党政治局常務委員の顔ぶれを見ていると、何だか習近平政権の暗い未来に同情したくなる思いである。7人の常務委員の大半は、大した実績も国民的人望もなく、未来へのビジョンも開拓の精神もいっさい持たない守旧型の党官僚ばかりだからだ。
 昔、米メディアが日本の総理大臣のことを「冷めたピザ」と揶揄(やゆ)したことがあるが、それにならって、多少の失礼(?)は承知の上で中国の政治局常務委員の面々を「冷めた餃子(ぎょうざ)」と評したい。この最高指導部の布陣では、中国国民に「希望」を与えるようなことはまず無理であろう。
 さらにたちの悪いことに7人の政治局常務委員の中の5人までは、江沢民(前国家主席)派か江沢民派に近い人間である。表向きは「習近平政権」となっているが、内実はむしろ、老害の江沢民一派が牛耳る「江沢民傀儡(かいらい)政権」であるといえよう。
 これでは、がんじがらめとなっている習近平氏や李克強氏などの新世代指導者が思い切った仕事をできるはずもない。習近平政権はその誕生した時点から、すでに「死に体」の様相を呈しているのである。
 江沢民一派が全力を挙げて権力闘争を勝ち抜き、新しい最高指導部の掌握に躍起になったのには、それなりの理由がある。
本欄で指摘してきた通りに今年の春頃から、共産党党内では胡錦濤国家主席が率いる共青団派の若手ホープの汪洋・広東省党書記が先頭に立ち「政治改革」を盛んに唱え、改革推進の機運が高まってきている。
 汪氏たちの目指す政治改革は政治権力が市場経済に介入して作り上げた腐敗の利権構造にメスを入れ、それを打破することによって国民の政権に対する不満を解消することである。
 だが、これまで二十数年間、全国で腐敗の利権構造を作り上げ、甘い汁を吸ってきたのはまさに江沢民一派とその関係者だから、彼らは汪氏たちがやろうとする政治改革を許せない。
 その結果、今夏の段階で一度は固まった、改革派の汪氏と改革派に近い中央組織部長だった李源潮氏の政治局常務委員会入り人事が江氏ら長老たちによって潰され、「政治改革」への流れは見事に封じ込められたのである。
 すべては江沢民一派の思惑通りの展開となっているが、残された大問題はむしろ、政治改革を断行することによって難局打開の突破口を作る機会を失った習政権がこれから、一体どうやって民衆の不満を解消して政権の維持を図っていくのか、である。
 15日の党総書記就任の直後に行われた「就任演説」で習氏自身は、これといった政策ビジョンを示すことができなかったが、その代わりに、彼は頻繁に「民族」という言葉を持ち出して「民族の偉大なる復興」を熱心に唱えた。
 つまり習氏は、「江沢民傀儡政権」のトップよろしく、10年前の江沢民時代の政治路線を継承し、ナショナリズムを高らかに掲げてそれを政権維持の柱にしようと考えているのだ。
 今後、「冷めた餃子」の習政権の下で貧富の格差の拡大などの問題がよりいっそう深刻化し国内の混乱がさらに拡大してくると、対外的危機を作り出し国民の不満を外に向けさせるのが彼らに残された「最善」の選択肢となろう。
 その時に、尖閣と日本は彼らにとっての格好の標的となりかねない。したがって日本としては、今後5年内における習政権の動きを注意深く観察しながら「その暴走」を大いに警戒すべきであろう。
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人権27~消極的自由と積極的自由

2013-01-05 09:52:57 | 人権
●消極的自由と積極的自由

 自由については、「消極的自由」と「積極的自由」に分ける考え方がある。ここでそのことに触れたい。消極的・積極的と分ける考え方は、19世紀後半イギリスの哲学者トマス・ヒル・グリーンが提示したものである。グリーンは、イギリスの伝統的なリベラリズム(自由主義)が要求する国家の不干渉を求める自由を「消極的自由」とし、人格の発展のために国家に積極的な役割を求める自由を「積極的自由」とした。グリーンは「積極的自由」の実現を説き、国家の倫理的目的は個人の自由の保障にあり、各個人の自発的なる人格的成長の扶助にあることを主張した。
 グリーンは、ドイツのカントの人格倫理やヘーゲルの国法哲学を摂取して、原子論的個人主義、ベンサム的功利主義に替わって、国家を積極的に認める有機的国家の思想を説いた。グリーンによれば、絶対我(絶対意識)がまずあり、自我はそれに向かって人格を形成する。絶対我は自我の自由の実現であり、国家はその実現のための道徳的共同意志の表われである。国家は人間を自由にし、生活を向上するために積極的に関与すべきものである。こうして、グリーンは、個人対国家の対立ではなく、個人に対する国家の価値を主張して、自由放任主義を改め、公共性を重んじる社会改革の道を開いた。その哲学は人格的自由主義と呼ばれる。グリーンの思想は古典的な自由主義を修正する修正的自由主義の一形態となった。わが国では戦前、1930~40年代にマルクス主義とファシズムを批判し、戦闘的自由主義者を自称した河合栄治郎に影響を与えた。
 グリーンに対し、20世紀イギリスのユダヤ系政治哲学者アイザイア・バーリンは、「消極的自由」の重要性を主張した。バーリンは、1969年に公刊した著書『自由論』で、見解を述べた。バーリンによると、「消極的自由」とは「~からの自由(freedom from ~)」であり、干渉・束縛からの自由を確保しようとするものである。一方、「積極的自由」とは「~への自由(freedom to ~)」であり、理想・目標に向かって権利を拡大していこうとするものである。
 古代ギリシャでは、自由はポリスの市民にとっての公的活動の自由だった。これに比し、近代的自由は、近代国家の国民にとっての私的な自由である。近代的自由は、バーリンの「消極的自由」すなわち「~からの自由」を中心としている。基本となるものは、国家(政府)の干渉・制約からの自由である。ヨーロッパでは、宗教戦争や市民革命を通じて、信教に対する「寛容の原理」としての自由が説かれるようになった。バーリンが「消極的自由」の重要性を説いたのは、こうした背景を備えたものである。近代西洋人は、「私」の領域は、政治権力の介入から解放された領域として、私的領域の不可侵性を求めてきた。これが、17世紀以来のリベラリズムである。
 消極的な性格を持つ「~からの自由」に対し、ある理念の実現を目指して、集団を形成し、運動を通じて、その意思や理想を実現してゆくことにこそ自由があるというのが、「積極的自由」すなわち「~への自由(freedom to)」である。「積極的自由」は政治への参加を求める。リベラリズムは本来「~からの自由」を求めるものだったが、「~への自由」を求める運動は、民衆の政治参加制度としてのデモクラシーの思想と結びつい。ここにリベラリズムとデモクラシーが融合し、リベラル・デモクラシーが誕生した。リベラル・デモクラシーは「積極的自由」を実現しようとする思想・運動である。
 「積極的自由」を実現しようとする運動は、理想や正義の積極的実現を図るとき、リベラル・デモクラシーの枠を超えることがある。集団の理想や正義を実現するためには、政治権力に参加し、さらに権力そのものを握らねばならない。その結果、権力の追求そのものが自己目的化してしまう。そのため積極的自由は全体主義に転化する可能性がある。社会主義・共産主義だけでなくファシズムも、積極的自由を徹底して追求した結果である、とバーリンは考える。
 バーリンは「消極的自由」と「積極的自由」を明確に区別すべきだとしたうえで、より重要なのは「消極的自由」だと主張する。なぜなら「積極的自由」は、理想や正義の実現を目指すが、それによって全体主義に転化しかねない。その結果、私的領域の不可侵性という「消極的自由」を脅かすようになるからだ、という。
 ここで私見を述べると、バーリンの自由論は、自由と平等、個人と集団という二つの対立軸が明確でなく、個人の自由の確保に帰結する。平等への配慮または自由と平等の両立の志向をよくとらえていないので、社会権の発達を自由との関係でとらえることができていない。また、社会主義・共産主義・ファシズムが出現した理由を、積極的自由を徹底して追求した結果としか見ることができていない。そのため、社会主義・共産主義・ファシズムの論理に内在した批判になっていない。単に私的領域の不可侵性を唱え、個人の自由を保持することだけに終わってしまう。これは、基本的な人間観が浅いためである、と私は思う。人格及び家族的・共同的な集団生活における人格の形成・成長・発展という概念を加えることによってのみ、この見方の限界を超えることができる。

 次回に続く。

■追記

本項を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」第1部は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm