●東南アジア諸国が中国に物申すように
ミャンマーに対してのみではない。米国は、東南アジア諸国への積極的な関与を拡大している。インドシナではメコン川下流計画(LMI)を発表し、カンボジア、タイ、ベトナム、ラオスのメコン川流域の4カ国に、保健・環境・インフラ・教育の分野で支援を進めている。この対象国にミャンマーが加わり、LMI閣僚級会合が開かれた。
水資源の危機に直面している中国は、源流を所有している立場を利用し、主要な河川の上流に大小6700を超えるダムを建設した。特にチベット高原に端を発するインダス河、長江、黄河、サルウイーン河、ブラマプトラ河、カーナリ河、サトレジ河等の上流に中国が相次いでダムを建設することで、下流域の国々では危機感が強まっている。メコン川の流域も同様である。この地域は、伝統的に中国の影響が強い。米国は、ここに割り込んで、影響力を発揮しようとしている。中国も黙ってはいない。流域諸国に無償援助や借款、投資等を行って、巻き返しを図っている。
クリントン国務長官のミャンマー訪問の約半年前、23年(2011)6月5~7日、シンガポールでアジア安全保障会議が行われた。この時から、東南アジア諸国が中国に物申すようになった。同会議で、ある国は中国を直接批判し、ある国は婉曲に中国を牽制した。軍事力を誇示する中国に対抗できるのは、米国しかいない。米国は、平成13年(2001)9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以来、中東に重点を移していた。だが、イラク戦争が終結し、米国は本格的にアジア太平洋重視の政策を推進している。そのことこそ、東南アジア諸国が中国に対して自己主張をするようになった最大の理由である。
アジア安全保障会議での東南アジア諸国の姿勢の変化は、23年11月に開催されたアジア太平洋経済協力(APEC)と東アジアサミット(EAS)を通じて、より明確になった。EASでは、南シナ海の安全保障を念頭に置く「EAS宣言」が採択された。
中国は東南アジア外交で失敗した。覇権主義をむき出しにする中国は、弱小国家に対し、個別撃破を図る。これに対抗するため、利害を共にする東南アジア諸国の多くが米国を楯にして結束した。中国が南シナ海の領有権問題をEASの議題にしないように働きかけても、中国を除く17カ国のうち15カ国が議題に取り上げた。温家宝首相の目論見は崩れた。
とりわけEASに米国が加わったことで、中国は海洋安全保障の問題でかつてない劣勢に陥った。会議でオバマ大統領は、南シナ海問題を持ち出した。温首相はすぐさま発言を求めて反論した。関係当事国が直接交渉によって解決すべきだという従来の主張を展開した。
それまで、中国にとって要注意の国は、フィリピンとベトナムだった。ともに南沙諸島(英語名・スプラトリー諸島)等の領有権を争う国々である。特にフィリピンは、台湾を含む関係当事者6カ国による多国間交渉や紛争海域を「平和、自由、友好、協力地域」とする構想を打ち出している。中国にとっては目障りな存在だが、フィリピンが働きかけても、ASEANは結束できずにいた。そこへ「外部勢力」(温家宝首相)の米国が参入してきた。米国を始め多数の国が「国際法の順守」を強く求め、南シナ海のほぼ全域の領有権を主張する中国の「違法性」を追及するようになった。
オバマ政権のアジア回帰は、目覚しい。それを主導してきたのは、クリントン国務長官である。クリントン氏は22年(2010)1月のホノルル演説で、「米国はアジアに戻る。そしてとどまる」と宣言した。そして、同年7月には領有権争い解決への多国間交渉の支持を打ち出した。中国は南シナ海問題で多国間協議を嫌い、2国間での解決を強く主張している。2国間協議なら、中国は個別的に自国の利益になる原則を適用できるからである。しかし、米国が積極的な関与するようになると、これに意を強くした大多数の関係国が、国際規範による解決を主張するようになった。中国の思惑は完全に外れたわけである。
次回に続く。
ミャンマーに対してのみではない。米国は、東南アジア諸国への積極的な関与を拡大している。インドシナではメコン川下流計画(LMI)を発表し、カンボジア、タイ、ベトナム、ラオスのメコン川流域の4カ国に、保健・環境・インフラ・教育の分野で支援を進めている。この対象国にミャンマーが加わり、LMI閣僚級会合が開かれた。
水資源の危機に直面している中国は、源流を所有している立場を利用し、主要な河川の上流に大小6700を超えるダムを建設した。特にチベット高原に端を発するインダス河、長江、黄河、サルウイーン河、ブラマプトラ河、カーナリ河、サトレジ河等の上流に中国が相次いでダムを建設することで、下流域の国々では危機感が強まっている。メコン川の流域も同様である。この地域は、伝統的に中国の影響が強い。米国は、ここに割り込んで、影響力を発揮しようとしている。中国も黙ってはいない。流域諸国に無償援助や借款、投資等を行って、巻き返しを図っている。
クリントン国務長官のミャンマー訪問の約半年前、23年(2011)6月5~7日、シンガポールでアジア安全保障会議が行われた。この時から、東南アジア諸国が中国に物申すようになった。同会議で、ある国は中国を直接批判し、ある国は婉曲に中国を牽制した。軍事力を誇示する中国に対抗できるのは、米国しかいない。米国は、平成13年(2001)9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以来、中東に重点を移していた。だが、イラク戦争が終結し、米国は本格的にアジア太平洋重視の政策を推進している。そのことこそ、東南アジア諸国が中国に対して自己主張をするようになった最大の理由である。
アジア安全保障会議での東南アジア諸国の姿勢の変化は、23年11月に開催されたアジア太平洋経済協力(APEC)と東アジアサミット(EAS)を通じて、より明確になった。EASでは、南シナ海の安全保障を念頭に置く「EAS宣言」が採択された。
中国は東南アジア外交で失敗した。覇権主義をむき出しにする中国は、弱小国家に対し、個別撃破を図る。これに対抗するため、利害を共にする東南アジア諸国の多くが米国を楯にして結束した。中国が南シナ海の領有権問題をEASの議題にしないように働きかけても、中国を除く17カ国のうち15カ国が議題に取り上げた。温家宝首相の目論見は崩れた。
とりわけEASに米国が加わったことで、中国は海洋安全保障の問題でかつてない劣勢に陥った。会議でオバマ大統領は、南シナ海問題を持ち出した。温首相はすぐさま発言を求めて反論した。関係当事国が直接交渉によって解決すべきだという従来の主張を展開した。
それまで、中国にとって要注意の国は、フィリピンとベトナムだった。ともに南沙諸島(英語名・スプラトリー諸島)等の領有権を争う国々である。特にフィリピンは、台湾を含む関係当事者6カ国による多国間交渉や紛争海域を「平和、自由、友好、協力地域」とする構想を打ち出している。中国にとっては目障りな存在だが、フィリピンが働きかけても、ASEANは結束できずにいた。そこへ「外部勢力」(温家宝首相)の米国が参入してきた。米国を始め多数の国が「国際法の順守」を強く求め、南シナ海のほぼ全域の領有権を主張する中国の「違法性」を追及するようになった。
オバマ政権のアジア回帰は、目覚しい。それを主導してきたのは、クリントン国務長官である。クリントン氏は22年(2010)1月のホノルル演説で、「米国はアジアに戻る。そしてとどまる」と宣言した。そして、同年7月には領有権争い解決への多国間交渉の支持を打ち出した。中国は南シナ海問題で多国間協議を嫌い、2国間での解決を強く主張している。2国間協議なら、中国は個別的に自国の利益になる原則を適用できるからである。しかし、米国が積極的な関与するようになると、これに意を強くした大多数の関係国が、国際規範による解決を主張するようになった。中国の思惑は完全に外れたわけである。
次回に続く。
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