ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

米中が競う東南アジアと日本の外交2

2013-01-09 08:51:13 | 国際関係
●ミャンマーが米中競争の焦点の一つに

 米国は、東南アジアで、中国と勢力争いを繰り広げている。勢力争いの焦点の一つは、ミャンマーである。
 オバマ氏は、先のサントリーホール演説で、ミャンマーについて、次のように述べた。
 「長年にわたる米国の制裁や他国の関与政策でも、ビルマ(ミャンマー)国民の生活向上には至らなかった。われわれは今、指導部と直接対話し、民主的な改革への具体的取り組みがない限り現在の制裁を続けるとはっきり伝えている。われわれは、統一され、平和で繁栄し、民主的なビルマを支持する。ビルマがこの方向に進めば、米国との関係改善も可能となる。取られるべき明確な対応として、アウン・サン・スー・チー氏を含む政治犯の無条件の釈放、少数民族との紛争終結、将来構想を分かち合う政府と野党、少数民族との対話がある」と。
 ミャンマーは、本来の名称をビルマと言う。ミャンマーつまりビルマは、竹山道雄による児童文学の名作『ビルマの竪琴』で知られる。大東亜戦争の時、わが国はインドネシア、マレー、ベトナム、フィリピン、インド等の独立運動を支援した。イギリス領だったビルマでも同様だった。『ビルマの竪琴』は、その時の実話をもとにした物語である。中井貴一が主人公・水島上等兵を演じて映画化されている。大戦中、日本の支援でビルマ国は、独立を果たした。スー・チー氏の父オンサン・アウン・サンは、鈴木敬司参謀大佐の南機関で軍事訓練を受けてビルマ独立運動に活躍し、「建国の父」と仰がれている。昭和18年(1943)、東京で行われた大東亜会議に、ビルマ国の首班として参加したバー・モウは、戦後は一時日本に逃れ、新潟に潜伏した。帰国後、アウンサン政権で国防相を務めている。大戦後のビルマは連合国側に立ち、日本軍と戦って再度独立したという複雑な経緯はあるが、わが国にとって、歴史を踏まえて、大事にすべき国である。
 ビルマでは、昭和37年(1962)にネ・ウィン将軍がクーデタで政権を獲得し、ビルマ社会主義計画党を結成した。以後、半ば鎖国状態で国づくりを進めた。昭和63年(1988)にネ・ウィンの退陣と民主化を求める運動が起こった。ネ・ウイン体制は崩壊したが、軍がクーデタを起こして軍政を敷いた。平成元年(1989)国名をミャンマーに替えた。民主化運動の弾圧以来、米国とビルマ=ミャンマーの関係は悪化した。
 だが、オバマ大統領のサントリーホール演説以後、ミャンマーは大きく変わってきている。平成23年(2011)3月、ミャンマーは軍事政権を脱し、徐々に民主化を進めてきた。ミャンマーにとって、民主化はすなわち中国離れを意味する。同年10月に大赦が発令され、政治犯を含む6千人以上の囚人が釈放された。民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チー氏が自宅軟禁を解除され、メディアやインターネットへの統制も緩和された。この変化は、明らかに米国の働きかけの成果である。米国はかつて旧ソ連の諸国に働きかけ、グルジアのバラ革命、ウクライナのオレンジ革命を成功させた。その手法を東南アジアに応用しているものと見られる。

●ミャンマーが中国離れしつつある

 ミャンマーは以前、北朝鮮、パキスタンと並んで中国の三大盟友国の一つだった。軍事政権に対し、欧米諸国が経済制裁するなかで、中国は国境の共産ゲリラへの支援を全面停止し、軍政を世界で最初に公認した。その後、中国は、ミャンマーに経済・軍事等、多くの分野で積極的に支援してきた。それと引きかけに、中国は中東の原油をマラッカ海峡を通らずに、中国西南部に運び込もうとして、ミャンマーに港湾を作り、パイプラインを敷いている。輸送のコストを下げ、安全性を高めるのが、狙いである。中国にとってミャンマーの港湾は、インド洋の海上輸送路の防衛や西アジアの勢力拡大のための拠点ともなっている。中国は、ミャンマーから鉱物や木材、天然ガス、石油等を輸入してもいる。ミャンマーは、中国の資源政策、西アジア政策の要となってきたのである。
 だが、ミャンマーは近年、民主化の動きとともに、中国との距離を広げてきている。 ミャンマーの政府や軍の指導層には、中国の衛星国になりたくないという思いがある。中国人はミャンマー北部で木材などの自然資源を略奪し、ミャンマー第2の都市マンダレーは中国人が人口の4割を占めるなど、中国への従属化に懸念が強まっている。民主化を進めるテイン・セイン政権は、23年9月、中国の援助によるミッソンダムの建設を、「国民の意に反する」として中断した。人民日報傘下の環球時報は「これは中国人の損失」「中国の利益を犠牲にして、西側に媚びる予兆だ」と書いた。
 中国にとっては、ミャンマーが中国離れすると、経済的・軍事的等、多くの利益が脅かされる。それだけではない。南シナ海での覇権確立を図る中国は、ベトナム、インドネシア、フィリピン等と衝突して反発を受け、アジア太平洋地域で孤立しかねない状況にある。ミャンマーの中国離れは、それを決定的なものとする可能性があるのである。
 オバマ政権は、ミャンマーにおける民主化の進展を評価し、23年11月30日、ヒラリー・クリントン国務長官をミャンマーに派遣した。米国務長官のミャンマー訪問は57年ぶりだった。訪問の目的は、同国での「変革の動き」を後押しすることだった。クリントン氏は12月1日に、改革を推し進めるテイン・セイン大統領と会談した。また、最大野党・国民民主連盟(NLD)の党首アウン・サン・スー・チー氏と会談した。
 クリントン国務長官のミャンマー訪問に対し、中国外務省は「伝統的な友好国に手を付けた」と怒りを表した。だが、米国はその後も、次々に手を打っている。24年(2012)に入ると、経済政策を段階的に緩和した。そして9月、スー・チー氏を米国に招き、ホワイトハウスでオバマ大統領が会談した。この会談は、国際社会への強烈なアピールとなった。
 このように東南アジアでは、ミャンマーを一つの焦点として、米中が激しく競い合っているのである。

 次回に続く。