ほそかわ・かずひこの BLOG

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人権29~経済的自由とケインズ

2013-01-20 08:37:28 | 人権
●経済的な自由とケインズの総需要管理

 近代西欧及び現代世界における自由の検討は、経済における自由とそれへの規制という問題を抜きに論じられない。経済の領域は、個人の自由と権利に深い関係はないように思われがちだが、決してそうではない。経済的自由は自由において重要なものである。私は、その検討は自由と道徳という対をもって行われねばならないと考える。
 17世紀後半、ロックは、所有と契約の自由を説き、私有財産と市場経済に基づく近代資本主義を理論的に基礎づけた。ロックの思想を継承したアダム・スミスは、18世紀後半に資本主義の経済理論を樹立した。スミスに始まる経済学の系統を、古典派経済学と呼ぶ。古典派経済学は、経済の領域における自由を説く理論である。これに対し、マルクスは、資本主義の矛盾を分析し、私有財産制を否定して、共産主義を目指す理論を説いた。19世紀半ば以降、経済思想における最大の対立は、資本主義と共産主義の対立である。これは、経済活動における自由と統制の対立である。その根底には、自由と平等という価値の対立がある。この対立は、所有する権利の個人化と集団化という対立でもある。
 古典派経済学及びマルクス経済学は、ものの価値はその生産に投入された労働量で決まるとする労働価値説を説く。その点では、共通する。これに対し、1870年代に、ものの価値は、それが人々に与える主観的効用によって決まるとする限界効用説が現れた。それ以後の経済学を新古典派経済学という。ワルラス、メンガー、ジェボンズによる新古典派経済学は、経済活動の自由を説く点では、古典派経済学を後継する。
 欧米諸国における資本主義の発達は、国益と国益のぶつかり合いを生み、第1次世界大戦が勃発した。欧州を主戦場とする大戦によって西洋文明は衰亡の兆しを示した。大戦末期にロシアで共産主義革命が起こり、欧州と世界は共産主義の脅威に直面することになった。自由と統制の対立が国際間に広がった。
1920年代には、資本主義は、ものの生産より金融が中心となり、金融市場は賭博場と化していた。自由放任的な経済活動は、投機的な投資の大規模化を許した。そのなかで、資本主義は強欲資本主義に変貌した。1929年、アメリカ発の大恐慌が起こった。恐慌は長期化し、社会に失業者があふれた。非自発的な失業を想定しない新古典派の理論では、まったく対応できなかった。ここで失業の問題に取り組み、新たな経済理論を創出したのがケインズである。
 ケインズは、実際の貨幣の支出に裏付けられた需要を「有効需要」と呼び、社会全体の有効需要の大きさが産出量や雇用量を決定するという「有効需要の原理」を説いた。ケインズはこの原理に基づいて、政府による「総需要管理政策」の理念を打ち出し、経済学に変革をもたらした。経済政策にも大きな変化を与えた。
 ケインズの理論は、経済活動の自由に一定の規制を行い、それによって、自由主義を崩壊から守ろうとする理論である。失業は、国民の労働する権利、生活する権利を実現できない状態である。政府が有効需要を創出して雇用を生み出すことは、労働する権利、生活する権利を国家的に実現しようとするものである。ケインズは、自由放任的な資本主義の欠陥を修正することによって、資本主義の崩壊とそれによる共産主義革命の勃発を防ぐ方法を示した。
 ケインズの理論と政策はイギリスの国策に取り入れられ、またアメリカのニューディール政策に理論的根拠を与えた。経済的自由に一定の規制がかけられた。特に金融に関する規制が行われたことで、投機的な活動が抑制された。英米はケインズ主義によって経済的危機を脱した。共産革命の西欧への波及を防ぎ、またナチス・ドイツとの戦争に勝利することができた。いわば左右の全体主義から自由を守ることに、ケインズは重大な貢献をしたのである。もし人々がバーリンの主張する「消極的な自由」の尊重にとどまっていたら、自由を守ることはできなかっただろう。またもし政府が自由放任的な自由の維持に固執していたら、逆に全体主義の支配下に陥り、自由を失っていただろう。自由の無制限の追求は、自由の喪失に結果したかもしれないということである。
 1930年代以降、経済学ではケインズ主義とマルクス主義が対立することになった。対立は第2次世界大戦後も、米ソの冷戦、資本主義・自由主義の諸国と共産主義・統制主義の諸国の対峙の下で、継続された。戦後の自由主義陣営の主要諸国においては、ケインズ的政策の実施がほぼ定着し、1930年代に生じたような大不況が発生する怖れは、ほとんどなくなった。経済学者の丹羽春喜氏は「冷戦時代に、自由世界の基礎である私有制に基づく市場経済体制を守りぬくうえでの最強の戦力は、ケインズ主義のパラダイムであった。冷戦とは、経済思想の闘いの局面では、マルクス対ケインズの対決であったのである」と述べている。
 ところが、1970年代から世界経済は複雑な様相を呈するようになった。大恐慌の時代はデフレからの脱却が課題だったが、1970年代以降はインフレ退治が課題となった。ケインズ自身の理論はインフレにも対応できるものなのだが、定式化されたケインズ主義では、有効な対応ができず、ケインズ経済学は権威を失っていた。その傍ら、新古典派経済学が全世界的に流行し、1980年代には、ほぼすべての主要国で、ケインズ的な財政金融政策は、ほとんどその姿を消すほどになった。再び経済的自由の拡大が進められたのである。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「日本復活へのケインズ再考」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion13k.htm