ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

尖閣は一転、政府が購入ーーなぜ?

2012-09-10 09:22:31 | 尖閣
 本年4月17日石原都知事が尖閣諸島を購入する計画を発表すると、有志によって10億円を超える募金が集まった。すると7月になって、それまで尖閣の国有化に消極的だった民主党政権が、尖閣の国有化方針を発表した。東京都には14億6千万円ほどの寄付金が寄せられているが、政府は20億円で買うと報じられた。
 地権者側は以前、政府に売ると中国にわたる恐れがあるとして、政府には売らない意思を明らかにしていた。石原氏であれば信用できると判断し、都に売ることを決めていると地権者の弟・栗原弘行氏が語っていた。都の購入は地権者の栗原國起氏と合意ができていたはずだった。
 ところが、ここへきて、政府が20億5千万円で購入することを地権者が承諾したという。9月11日にも売買契約が結ばれると伝えられる。意外な展開となった。
 地権者の事情につき、「週刊文春」が8月1日にスクープ記事を載せた。次の記事である。

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●週刊文春 平成24年8月1日

http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1656
週刊文春 掲載記事

尖閣諸島地権者に「負債40億円」が発覚!
2012.08.01 18:00

 4月の石原慎太郎都知事による購入発言を受け、都が買収交渉を進める尖閣諸島地権者の栗原國起氏が、約40億円にのぼる負債を抱えていることが週刊文春の取材で明らかになった。
 國起氏はさいたま市大宮区の大地主であり、大宮区近辺に多くの不動産を所有している。不動産登記簿謄本によれば、三菱東京UFJ銀行は一昨年3月末、國起氏が所有する物件に極度額24億5000万円の根抵当権を設定し、38件もの担保を取っている。一方、埼玉縣信用金庫も昨年9月に大宮区内の不動産に極度額15億円の根抵当を設定している。
 しかし、埼玉信金が設定した根抵当の担保は、土地2筆(計1000平米)と平屋の建物2棟(延床面積計119平米)の4件のみ。公示地価に照らし合わせると、2億3000万円の価値にしかならない。
「根抵当権の極度額は担保評価額の110%が一般的ですから、明らかに担保としては足りないですね。尖閣列島の所有者だから取りはぐれはないだろうという見込みで貸し込んだのではないでしょうか」(不動産鑑定士)
 彼が莫大な負債を抱えるに至った理由を、弟であり一連の報道で地権者側の「スポークスマン」となっている栗原弘行氏に聞くと、次のような答えだった。
「地主は相続対策として、ある程度の負債を抱えておくのが常識ですから」
 だが、ある都幹部はこの弘行氏も國起氏の負債に大きく影響していると話す。
「弘行さんはいろいろな事業に手を出して失敗し、それを國起氏が埋め合わせしたと聞いています」
 一方で、本誌は都が國起氏側と売却金額上限20億円で合意に至っていることをつかんだ。
「20億という数字は『上限』というよりも暗黙の了解。世間の常識から考えてそれ以上になるべきでないというラインが20億です」(前出・都幹部) 
 東京都知事本局は20億円という価格について「進行中の案件につき、詳細はお答えできません」と回答した。
 都が尖閣購入・活用に充てるために募っている寄付金は、現在およそ10万人から約14億円に上る。日本全国から集めた寄付金を購入資金とする以上、石原都知事は地権者との交渉経緯、購入金額の妥当性等について、きちんと説明することが求められる。
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 「週刊文春」によると、都は地権者と売却金額上限20億円で合意に至っていたという。政府が当初提示した金額は20億円だから、最終的に20億5千万円で売約となったとはいえ、地権者が国に売却することにしたのは、5千万円の差が決定的な要因ではないだろう。なにか地権者に考えの変化があったのだろうと思われる。都の尖閣購入計画に対し、中国政府が強硬な姿勢を示し、反日デモも広がっている。そうした状況を見た地権者が、摩擦の拡大を避けるために政府に売ることに決めたとも考えられる。だが、地権者が長年政府に尖閣諸島を売らなかったのは、政府に売ると中国にわたる恐れがあるから政府には売らないという意思だと伝えられていたから、腑に落ちないところである。

 一方、政府側については、青山繫晴氏が9月5日関西テレビのニュースアンカーで語ったところによると、次のような事情があるらしい。外務省が「施設を作ることなどすれば、中国との友好関係に問題が生じる」と秘書官などを通さずに直接総理に強行に言った、野田総理が迷っていると、岡田副総理が「外務省の言うことを聞かないと大変なことになる」と総理に進言。野田総理は、民主党代表の再選を目指しており、それを支える岡田副総裁の意向を無視することができなくなった。中国のいうとおりの3原則すなわちう、①上陸させない、②資源・環境調査をしない、③建造物を構築しないという条件を丸呑みにすることを野田総理が了承したとのこと。野田政権による尖閣国有化は、野田氏の首相再選のために、中国に追従するものかと疑われる。私利私欲・党利党略による中国政府との密約がありそうである。
http://mayanri.iza.ne.jp/blog/entry/2842327/

 地権者は、青山氏が伝えるこうした情報を知っているのだろうか。国が購入しても、現在のような政権では、尖閣を中国から守ることはできない。当面の摩擦の拡大を避け得たとしても、中国首脳が尖閣を「核心的利益」と呼び、略取の意思を明らかにしているのに、野田政権は有効な施策を打とうとしていない。国と地権者の協議で、漁船待避施設の整備などを中国の反発に配慮し、当面行わないと確認したという。このような政権の政府に尖閣を売ることは、国を売る恐れがある。地権者の真意を聴きたいところである。
 我々国民としては、政府が購入して国有地となったら、早くまともな政権に替えて、尖閣防衛策を速やかに実施するよう求めるのみである。
 民主党政権による国有化と、新政権による防衛策実施の間の期間に、中国側に尖閣略取の行動をとられないように抑止するには、どうすべきか。自衛隊の領域警備なら法整備だけででき、海上保安庁の警察力強化と違い、時間も予算もかからない。無人島でも自己完結的に行動できる組織は、自衛隊しかない。自衛隊員の常駐は、実効支配を大きく強化させる方策である。
 まずこの方策を打ち、次に、日本の漁民が安全に操業できるようにするための避難港や灯台の整備、気象観測所の建設、携帯電話のアンテナ塔設置、外国漁船の違法操業への警備強化、領海侵犯罪の制定等の施策を積極的に実施すべきと思う。

人権10~発達する人間的な権利

2012-09-09 08:35:24 | 人権
●発達する人間的な権利

 国際人権法における人権の発達段階論は、欧米で普遍的・生得的な権利として発生した人権という観念が、もともと歴史的・社会的・文化的な生成物であることを示している。しかし、国際社会は、依然として、第1段階で歴史的・社会的・文化的に形成された「人間が生まれながらに平等に持っている権利」「国家権力によっても侵されることのない基本的な諸権利」という理解をそのままにしている。その状態で、第2段階の権利、第3段階の権利を拡張している。根本的な再検討を行っていないのである。根本的な再検討とは、世界人権宣言の改定に至るような検討である。そのために、今日人権については、普遍的と特殊的、非歴史的と歴史的、個人的と集団的といった基本的な概念の関係が、乱雑な状態になっている。
 これを整理し直すには、人権の狭義と広義を区別し、狭義の人権は理想・目標として規定し直すべきである。また、広義の人権は、その理想・目標のもとに、歴史的・社会的・文化的に発達する権利一般と定義するとよいと私は考える。
 人権は、普遍的な権利として理想・目標とされる権利を段階的に現実化するとともに、これに種々の特殊的な権利を追加することによって、発達してきた。普遍的な権利とは、17世紀西欧で発達した自由権すなわち生命・身体・財産・幸福追求の権利であるが、これに特殊的な権利、たとえば労働者の権利、生存権、教育を受ける権利等の社会権が追加されてきた。そして自由権と社会権を合わせて、一般に「基本的な人権」と呼ばれるようになった。基本的人権とは、人間が生まれながらに平等に持っている権利だとされる。だが、権利の実態は「生まれながらに人間の持つ権利(natural human rights)」ではなく、歴史的・社会的・文化的に発展してきたものである。私は、こうした権利の性格をとらえて、「発達する人間的な権利(developing human rights)」と呼ぶことにしたい。そして、人権を、17世紀の西欧的な「生まれながらに人間の持つ権利」ではなく、20世紀の世界的な「発達する人間的な権利」として、17世紀西欧にさかのぼって基礎づけ直すべきであると考える。先に人民自決権と集団の権利について書いたが、これはそのための試みの一つである。
 ところで、英語で人権と訳す言葉は、human rightsであり、これをわが国では人権と訳す。humanには「人間が持つ(of human beings)」という意味と、「人間らしい(being human)」という意味がある。ロングマン英語辞典では、形容詞の human の語義の一部として、“belonging to or relating to people, especially as opposed to animals or machines”と説明している。また名詞 humanity の語義の一部を、“the state of being human and having qualities and rights that all people have”と説明している。
 私が「発達する人間的な権利(developing human rights)」という概念に「人間的な」という言葉を使うのは、「人間らしい」を意味する形容詞としてである。すなわち、「人間らしい(being human)」という言葉を、道徳的価値を含む形容詞として用いる。その名詞形は「人間らしさ(humanity)」である。
 「人間らしさ(humanity)」という価値観は、歴史的・社会的・文化的に変化する。人間の自己認識が変わることによって、何が「人間らしい」かが変化する。文化・文明の発達によって、その時代、その社会の人々が「人間らしい」と考える内容は変わっていく。私は、そうした可変的な人間観に基づいた権利を「発達する人間的な権利」と呼ぶ。「発達する人間的な権利」としての人権は、それぞれの国民や民族、集団の歴史的・社会的・文化的な条件のもとで追及されてきた権利であり、普遍的・生得的な権利とされてきたものは、その先に置かれた理想・目標である。
 今日の国際社会には、人権を法的権利としての人権に限定する見解と、道徳的権利としての人権を認める立場とが対立している。人権は自然権の思想に由来を持つものであり、もともと単に法的な権利ではなく、道徳的な権利としての側面が持つ。また、道徳的な側面から宗教的な要素を持ち、具体的にはキリスト教の思想を背景にしている。人権の発達の過程では、西欧で道徳的または宗教的な権利として主張されたものが、市民革命を通じて法的な権利として制度化された。その際に、普遍的・生得的な権利という思想の持つ主張の強さが、法制化の推進力となった。
 法的権利となった人権は、実定法に根拠を持つ権利であるが、道徳的権利としての人権は、未だ社会的に公認されていない主張である。だが、人間の発達史を振り返ると、道徳的または宗教的な権利として主張されたものが法的な権利として規定されてきたので、現在一部で主張されている権利が、将来法的な権利とされる可能性がある。もちろんすべての主張が法制化されるのではなく、社会の成員の大多数が承認したもののみがが、法的権利として権力によって保護されたり、強制されたりするものとなる。このことは、人権は普遍的・生得的な権利ではなく、歴史的・社会的・文化的に発達する人間的な権利であることを示している。

 次回に続く。


戦前の朝鮮の真実を伝える映像

2012-09-08 09:22:50 | 歴史
 映像の紹介です。

「日帝の協力を強制させられた朝鮮人~日帝強占期当時、1937年日中戦争直後、韓国の姿」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18810989

 戦前の朝鮮の姿を記録した貴重な映像です。
 タイトルは「協力を強制」と書いていますが、真実は違うことを映像自体が語っています。
 必見、お勧めです。

 映像には逆語が多く書き込まれています。逆語とは自分の意見と逆のことを言って、真に主張したいことを強調する表現方法です。しばしば相手の主張をそのまま言うことによって、真実はその反対であることが主張されます。
 書き込みには「慰安婦」や「強制連行」に関する物が多いので、参考に以下記します。

 この映像は「1937年日中戦争直後」としています。それが正しければ、昭和12年7月のシナ事変勃発直後の朝鮮で撮影されたものということになります。日韓併合が行われて27年目ごろ。ほぼ一世代を経過し、日本の統治による行政・教育・産業・医療等が進み、文化的にも融合が進んだ段階と思います。
 この時点では、まだ朝鮮で軍の慰安婦が多数雇用されてはいないと思いますが、翌年の昭和13年(1938)3月4日付の陸軍省副官通牒2197は、軍の名義を不正に利用したり、誘拐と見なされる方法での募集を明確に禁止し、そのような方法での採用行為は罰っせられていると警告しています。同年2月18日付の自治省指令(No. 77)は、「慰安婦」の募集は国際法に従うべきで、女性の奴隷化や誘拐を禁じています。同年11月8日付の指令(No.136)は更に、21歳以上で既に売春婦として働いている女性のみを「慰安婦」として募集して良いとの命令をしています。そこではまた、女性の家族や親類の許可を義務としています。
 同年8月31年付の朝鮮で発行された東亜日報の記事では、女性達を強制的に慰安婦にした業者が、当時日本の管轄であった朝鮮の地元警察によって逮捕されたニュースを報じている。これは日本政府が女性に対する非人道的犯罪に対して厳しく対処していたという証拠となるものです。
 記事は「悪徳紹介業者が跋扈 農村婦女子を誘拐 被害女性が百名を突破する 釜山刑事、奉天へ急行」と題され、「釜山に拠点を置く45の悪徳業者が摘発された。それらの業者は釜山で何も知らない若い女性を雇い、家族から引き離し、満州の売春業者に売り飛ばしていた。100人以上の女性が既に被害に会っている。釜山警察による徹底的な捜査で、奉天におけるこれらの業者の存在が明らかになり、6人の刑事が8月20日の夜に現地に向かいこれらの業者を逮捕した。今回の逮捕劇で、これらの業者の暗躍が完全に明らかになるものと予想される」と書いています。

 「従軍慰安婦」にするために、朝鮮で多くの女性を「強制連行」したという話は、吉田清治が元になっています。吉田は「戦争中、軍の命令で自分が韓国の済州島に出かけ、多数の女性を従軍慰安婦にするために狩り立てた」と「自白」して、謝罪しました。この証言を朝日新聞が、昭和57年(1982)9月2日付で報道しました。翌58年(1983)、吉田証言は本になりました。『私の戦争犯罪ーー朝鮮人強制連行』(三一書房)です。
 吉田は、昭和18年(1943)5月、韓国の済州島で「従軍慰安婦」として朝鮮人女性205人を、自分たちが、強制連行した、と書いています。その真偽を確認するため、歴史家の秦郁彦氏は、平成4年(1992)3月、済州島を現地調査しました。秦氏は、慰安婦狩りが行われたとされる城山里の老人クラブで、貝ボタン工場の元組合員など5人の老人と話し合いました。それによって、吉田証言が虚構らしいことを確認しました。200人以上が、力づくでさらわれていったと言うのに、誰もそんなことを知らないというのです。
 もしこのような若い女性の強制連行を行おうとすれば、村人は怒り、猛烈に抵抗するでしょう。暴動が起こるに違いありません。強制連行は、まったくの作り話なのです。

 さて、わが国では、この映像の後になると思われる昭和14年(1939)に国民徴用令が発令されました。大東亜戦争の末期には、朝鮮にも適用されるようになりました。朝鮮半島から日本に徴用された者がいました。彼らも日本国民でした。だから、法令に基づく徴用を、強制連行という言葉で表現するのは、間違いです。また徴用で来た朝鮮系日本人以外に、戦前、日本本土で生活をしていた朝鮮人は、よりよい仕事、豊かな生活を求めて、貧しい朝鮮から渡来した人たちが、ほとんどでした。ところが、この徴用を「強制連行」といい、それを「慰安婦」にこじつけたものが、「慰安婦にするための強制連行」という虚偽・捏造の物語なのです。

■追記

 下記の映像もお勧めです。

「志願という名の朝鮮人の強制徴兵」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18811836
「日帝による過酷な植民地支配~1938年、日帝強占期のソウルの姿」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18811789

「李大統領の暴挙暴言問題」をアップ

2012-09-07 10:06:42 | 国際関係
 8月18日から9月4日にかけて、韓国の李明博大統領の暴挙暴言に関して、断続的に数回書きました。それらの拙稿を編集して、マイサイトに掲載しました。
 通してお読みになりたい方は、下記へどうぞ。

■李明博大統領に謝罪と発言の撤回を求める~竹島・慰安婦・歴史認識
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12n.htm

 目次は次の通りです。

1.李大統領が竹島に上陸、天皇陛下を侮辱
2.韓国は日本から独立したのではない
3.慰安婦問題を巡る対韓外交の失敗
4.わが国は慰安婦の碑と博物館に対抗すべし
5.慰安婦は超高給取りの売春婦
6.韓国の売春事情は今もそう変わらない
7.わが国政府は河野談話等を見直し、歴史認識を正せ

女性宮家より尊称保持を2

2012-09-06 09:41:49 | 皇室
●尊称保持案とは

 現在浮上している尊称保持案は、女性宮家創設に伴う問題点を解決し得るものと考えられている。尊称保持案は、女性皇族が婚姻により皇籍離脱した後もご公務を担えるよう、内親王・女王などの尊称の保持を可能とする案である。
 女性皇族が婚姻後も尊称を保持することにより、皇籍離脱してもご公務を担える立場にあることを公的に保障する。皇族としての経験を生かし、婚姻後も皇室活動を継続して、天皇家を支えていただくことができる。皇室活動を続けられるようこれに伴う費用や住居については、支出を保障する必要がある。皇室御用掛(仮称)、宮内庁参与等の役職についていただくという案も出ている。
 尊称保持であれば、身分は民間人であり、戸籍は配偶者の籍に入る。子供も民間人として家族の一体性が保たれる。女系天皇につながらず、皇室の男系継承の伝統を崩壊させる恐れはない。
 尊称保持案は、歴史的前例にならう方法である。旧皇室典範は、第44条に次のように定めていた。
 「皇族女子ノ臣籍ニ嫁シタル者ハ皇族ノ列ニ在ラス但シ特旨ニ依リ仍内親王女王ノ称ヲ有セシムルコトアルヘシ」
 大意は、「皇族女子が臣籍の者と結婚した場合は、皇族の列から外れる。但し、特旨により、その内親王・女王の呼称を持つ場合がある」ということである。
 伊藤博文の『皇室典範義解』に、この条文について、次のように書かれている。「恭(つつしみ)で按ずるに、女子の嫁する者は各々夫の身分に従ふ。故に、皇族女子の臣籍に嫁したる者は皇族の列に在らず。此に臣籍と謂へるは専ら異姓の臣籍を謂へるなり。仍内親王又は女王の尊称を有せしむることあるは、近時の前例に依るなり。然るに亦必ず特旨あるを須(ま)つは、其の特に賜へるの尊称にして其の身分に依るに非ざればなり」
 大意は、「慎んで思うに、女子で婚姻する者は、それぞれその夫の身分に従う。故に皇族女子が臣籍の者と結婚した場合は、皇族の列から外れる。ここに臣籍というのは、専ら異姓の臣籍をいう。その内親王または女王の尊称を持つことがあるとは、近時の前例によるものである。然るにまた必ず特旨を必要とするのは、その特に賜る尊称であり、その身分によるものではないからである」ということである。
 特旨とは、天皇の特別の思し召しである。日本国憲法のもとにおいても、現行位階令に特旨叙位がある。
 尊称保持案も皇室典範の改正を要する。旧皇室典範第44条の条文の主旨を踏まえた条文を新設することになるだろう。天皇から特旨を賜るのか、行政の会議体で決するのか、皇室会議で決するのか、制度設計が必要である。
 尊称保持の歴史的前例には、朝鮮王朝の皇太子・李垠の妃妃となった梨本宮方子女王殿下の例がある。
 尊称保持であれば、女性宮家を創設しなくとも、女性皇族のご公務分担が可能となる。その点で私も賛成だが、ただし、この方策が採られても現在いらっしゃる女性皇族が婚姻後もご公務を担うことができるというだけである。女性皇族一代限りのことであり、一時的な方策に過ぎない。

●根本的な改善策を断行すべし

 政府は現在、一代限りの女性宮家創設と尊称保持の二案を検討しているという。政府は、こうした方策を皇位継承問題と切り離して実現しようとしている。尊称保持の方がよいが、いずれも当面の皇族のご公務分担の軽減や皇室活動の維持を図るものにすぎない。有益ではあるが、根本的な改善にはならない。
 平成18年9月6日、悠仁親王殿下が誕生された。殿下は本日6歳になられた。今後、皇太子殿下に男子が誕生されなければ、やがて悠仁様が皇位を継承することになるだろう。おそらく30~40年後のことだろう。今のままではその時、皇族の数は極く少なくなっている。仮に尊称保持策を採ったとしても、現在8名おられる未婚の女性皇族が、みな民間人と結婚されれば、一代限りでお役目を終える。最悪の場合、男系男子の皇族は悠仁親王殿下お一人となる。この方策では、いずれ皇統の安定的な継承は困難になることは、明白である。そこで皇室の繁栄と皇位の安定的継承を可能とする方策こそが求められているのである。政府も有識者も国会議員もしっかりと将来をみすえ、根本的な改善に取り組んでもらいたい。
 私は、男系による皇位継承を保持し、かつ皇族の数を確保する方策は、第一に旧皇族の男系男子孫の皇籍復帰、第二に皇族が旧皇族男系男子孫に限って養子を取ることを許可することであると考える。女性宮家創設については、旧皇族の男系男子孫との婚姻の場合に限るべきである。
 皇統の血筋を引く元皇族男系男子孫が、皇籍復帰、皇族との養子、女性皇族との婚姻などの方策によって、男系男子皇族となる制度を整えば、皇族の人数は増加し、かつ安定的な皇位継承が可能になる。これを旧皇族活用策と呼ぶとすれば、旧皇族活用策以外に、皇室の繁栄と皇位の安定的継承を可能とする根本的な改善策はない。旧皇族の活用を先送りすれば、皇室の命運は先細りする。だが、いまこの根本的改善策を実施すれば、悠仁親王殿下が皇位を継承される将来、天皇を支える宮家が数家維持されて、皇室の弥栄は確かなものとすることができる。
 皇室の将来に関し、一時的な方策は根本的な改善にならず、先送りは先細りである。目の前に最善にして最も確実な方策がある。国民の英知を結集して、その方策を断行すべきである。
 以下は関連する報道記事。

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●産経新聞 平成24年6月28日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120628/plc12062801370000-n1.htm
女性皇族は尊称保持 皇室典範改正の柱に 政府方針
2012.6.28 01:37

 皇室典範改正をめぐり、政府は27日、女性皇族が結婚後も「内親王」などの尊称を保持し、公務を継続できるようにすることを改正案の柱に位置付ける方針を固めた。女性皇族が結婚後も皇室にとどまる「女性宮家」創設には「女系天皇容認につながる」として反対論が強いことから妥協案として浮上した。天皇、皇后両陛下のご負担軽減や、将来にわたる皇室活動の維持発展にもつながるため、政府は年末までに改正案をまとめ、来年の通常国会提出を目指す。
 現行の皇室典範では、女性皇族のうち天皇の子、孫を「内親王」、ひ孫以下を「女王」と規定。女性皇族は、皇族以外の人と結婚すれば皇室を離れ、夫の姓を名乗ることになっている。
 新たな改正案は、女性皇族は、結婚しても、内親王や女王の尊称を保持し、皇室の公務を続けることができるようにする。この際、身分を終生皇族とするか、民間とするかどうかが今後の議論の焦点となる。
 当初の典範改正の目的である女性宮家創設に関しては今後も検討を続けるが、政府内では「尊称保持を先行させた方が円滑に改正できる」として先送りすべきだとの意見もある。
 また、天皇陛下の長女で結婚後、民間人となった黒田清子さんの皇族復帰に関しては、皇室典範改正だけでなく新規立法の必要があるため見送る公算が大きい。戦後、皇籍離脱を余儀なくされた旧11宮家の復帰や、旧宮家の男系男子を養子に迎えられる制度改正も先送りとなる見通し。
 女性宮家創設に関しては、女性皇族が一般男性と結婚し宮家を創設した場合、子供が史上例のない女系皇族となるため、男系継承堅持を求める慎重派は「女系天皇容認につながる」と反発してきた。
 政府が実施している有識者ヒアリングでも、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は「皇室の本質を根本から変えかねない」と反対を表明、百地章日本大教授らも異議を唱えた。
 ただ、櫻井氏も女性皇族の尊称保持については「皇室の未来に明るいエネルギーを注入する」と賛意を表明。百地氏も明治憲法下の旧皇室典範でも称号保持が認められていたことを理由に賛意を示した。
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女性宮家より尊称保持を1

2012-09-05 09:48:58 | 皇室
 藤村官房長官は平成24年8月1日、女性宮家創設に係る有識者ヒヤリングを打ち切り、論点整理のための取りまとめ作業に着手したことを発表した。今後、政府は皇室典範改定素案を公表して、国民から意見を公募した後、来年の通常国会に法案を提出する見通しである。
 政府は2月から有識者ヒヤリングを6回行い、12人の有識者から意見を聴いた。ヒヤリングでは、女性宮家創設に賛成の意見が3分の2を占めたが、配偶者の身分、お子様の身分、一代か継承か、対象等で細かく意見が分かれた。その一方、多くの有識者より、女性宮家創設の対案として、女性皇族が婚姻により皇籍離脱した後もご公務を担えるよう尊称を保持するという案が提案された。これにより、政府内では現在、一代限りの女性宮家創設案と尊称保持案が検討されているという。ヒヤリングでは、旧皇族の復帰・養子の案について賛成する意見が半分近くを占めたが、政府は、この案には消極的である。

 ヒヤリングを受けた有識者は、次の通り。
 第1回 今谷明氏(帝京大学特任教授)、田原総一郎氏(ジャーナリスト)
 第2回 山内昌之氏(東京大学大学院教授)、大石眞氏(京都大学大学院教授)
 第3回 櫻井よしこ氏(ジャーナリスト)、百地章氏(日本大学教授)
 第4回 市村真一氏(京都大学名誉教授)、笠原英彦氏(慶應義塾大学教授)
 第5回 小田部雄次氏(静岡福祉大学教授)、島善高氏(早稲田大学教授)
 第6回 所功氏(京都産業大学名誉教授)、八木秀次氏(高崎経済大学教授)

 以上の12名のうち、女性宮家案は、賛成8、反対4。賛成が今谷、田原、山内、大石、市村、笠原、小田部、所の各氏。反対が櫻井、百地、島、八木の各氏。尊称案は、賛成7、反対1。賛成が山内、大石、櫻井、百地、市村、島、八木の各氏。反対が所氏。
 女性宮家案に反対の4名は、全員尊称案に賛成である。女性宮家賛成の8名のうち、3名は尊称案にも賛成している。
 旧皇族男系男子孫の皇籍復帰・養子案は、賛成6、反対2。うち皇籍復帰が賛成5、反対2、養子が賛成6、反対2である。櫻井、百地、市村、島、八木の各氏は両方に賛成、大石氏は養子にのみ賛成である。
 12名に対し、賛成・反対の合計数が合わないのは、賛否不明確の者がいるためである。

●政府の女性宮家創設案の問題点

 女性宮家創設は、女性皇族の結婚相手が民間人の場合、誕生した子供を皇族とすると、民間人男性を父に持つ女系皇族が誕生することになる。これは女系天皇への道を開き、皇統の断絶に至る恐れがある。私は、女性宮家創設は旧皇族の男系男子孫との婚姻の場合に限るべきという意見である。この意見は、旧皇族の男系男子孫の皇籍復帰と、皇族が旧皇族男系男子孫に限って養子を取ることを許可することを主たる方策とし、そのことを前提とするものである。
 政府は女性宮家創設は皇位継承問題とは別というが、なお先の懸念による反対・慎重の意見が多くある。そこで政府は現在、皇位継承問題と切り離すため、女性宮家を一代限りとする方針である。子供は皇族としないという案である。
 その場合、、まず女性皇族の配偶者の身分をどうするかということがある。皇族または準皇族とするか、民間人のままとするかで分かれる。皇族とする場合、敬称をどうするかという課題もある。
 仮に配偶者の身分を皇族とし、子供は皇族としないことにすると、親子で別籍・別姓・別会計という問題が生じる。すなわち、両親すなわち女性皇族と配偶者は、皇統譜に入るが、子供は民間人として戸籍が別になる。両親は皇族ゆえに姓が無いが、子供は民間人として父親の姓を名乗ることになる。両親は皇族費によって家計を維持されるが、子供は皇族費の対象外で養育費・生活費等の支出は別会計となる。
 次に配偶者の身分を民間人のままとする場合、妻・母は皇族で皇統譜・無姓・皇族費で、夫・父と子は別籍・有姓・別会計という構成が、一つの家族といえるのかどうか。また実生活に多くの支障を生じるだろう。
 いずれの場合も極めて不自然な状態であり、わが国の親子一体・夫婦一体の伝統に反する。あたかも夫婦別姓論者が目指す夫婦別姓、親子別姓、夫婦別会計のサンプルのごときである。
 女性宮家創設は旧皇族の男系男子孫との婚姻の場合に限ることにすれば、これらの問題点は解決できる。配偶者となる旧皇族の男系男子孫は皇統譜に入り、女性皇族と配偶者の間に生まれた子供も皇族とする。姓と会計の問題も生じない。

 次回に続く。

領土は歴史認識と二正面で~稲田朋美氏

2012-09-04 08:55:02 | 国際関係
 韓国・李大統領による8月10日の竹島上陸及び14日の天皇陛下への暴言、また中国人活動家による8月15日の尖閣上陸等、一連の事件の後、多くの政治家・有識者が活発に発言している。それらの発言の中で、私が最も強靭で明確なものと感じているのが、稲田朋美氏の発言である。
 稲田氏は弁護士で自民党所属の衆議院議員である。保守派の論客として知られる。今回の発言は、産経新聞8月31日号の「正論」欄に、「領土は歴史認識と二正面作戦で」と題して掲載されたものである。非常に密度の高い文章なので、要約的な紹介は困難だが、大意を記す。

 ーーー相次ぐ「隣国からの領土侵犯行為の根底には、歴史認識の問題がある」「相手側が歴史認識を論じる以上、それにも冷静に反論することが必要だ」。その前段として、河野談話、村山談話、菅談話のような「有害無益な談話類は受け継がないと宣言する新談話を即刻出すべきだ」。
 昨年8月韓国の憲法裁判所は、「慰安婦問題が昭和40年の日韓請求権協定の範囲外で、慰安婦の賠償請求権は消滅しておらず、それを解決できていない韓国政府の不作為が、憲法違反に当たる」という判決を下した。わが国政府が「事実関係を否定しない限り、謝罪と補償を要求され続ける」。今年5月韓国最高裁は、「戦時中の日本企業による朝鮮人強制労働に関する裁判で、日韓基本条約にもかかわらず個人賠償請求権は消滅していない」という判決を下した。これで、「日本での戦後補償裁判では法的に解決ずみという理由で勝訴してきた日本企業が、韓国国内で再度裁判を起こされれば、敗訴することになった」。
 日本政府は「戦後補償、慰安婦裁判では、事実関係を争わない方針」なので、「日本での判決には証拠のない嘘が書き込まれている」。「韓国の裁判でそんな日本の判決書が証拠として提出されれば、日本側に勝ち目はない」。
「政府は、戦後補償裁判でも事実関係を争う方針に転換すべきだ。」「今までのような抽象的な贖罪意識に基づいた、あるいは、日本特有の寛容の精神で相手と接してきた、配慮外交を改め、戦後補償であれ慰安婦であれ、言うべきことを勇気をもって主張する外交へと方向を転換することである」。「そうしないと、日本の名誉も韓国国内の日本企業の財産も守れないし領土侵犯も続く」ことになる。
 最後に稲田氏は、次のように言う。「領土侵犯の理由に歴史認識を持ち出されれば、政治家が歴史認識をもって対抗しなければならない時代がきた」と。
―――

 稲田氏の主張のうち、韓国の憲法裁判所及び最高裁の判決に関する部分は、特に重要である。政府間のレベルだけでなく、司法が絡んできたことを、我々はよく認識する必要がある。

 稲田氏は河野談話、村山談話、菅談話について、今年4月主権回復記念日創設に係る文章で、次のように書いていた。
 「平成5年の河野談話は、いわゆる従軍慰安婦の強制連行が事実無根であるにもかかわらず、政治的配慮から強制性を認めた点で誤りであった。現在、韓国から執拗に要求されている、いわゆる従軍慰安婦に対する謝罪と補償については、事実と国際法の両面から反論し、きっぱりと拒否すべきだ。」
 「平成7年の村山談話は、『東京茶番』(ほそかわ註 東京裁判のこと)の判決に従った連合国側に押し付けられた歴史観に基づくものであり、直ちに撤回すべきだ。日韓併合条約に対する誤った認識を示し、反省と謝罪をした22年の菅談話と、それを踏まえ韓国に朝鮮儀軌を贈与したことも誤りであったと宣言すべきだ。東京裁判史観で書かれた教科書で日本の将来を担う子供たちに誤った歴史を教えることは、犯罪的だといっても過言ではない。学習指導要領、検定制度の見直しを中心とする教科書改革は待ったなしだ」。
 「わが国はもはや、慰安婦問題を含む戦争被害に対し補償だの謝罪だの反省だのする必要はないし、また、してもいけない。一時の政治的配慮でおわびをし、補償をするということは、平和条約を締結する意義を損なわせ、国際法のルールに反し、不正義だからだ」と。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20120422

 歴史教科書について言えば、近隣諸国条項が記述内容を大きく歪めている。そのもとになった宮沢談話の見直しも必要である。
 いまや政治家が鍛え上げた歴史認識をもって外交に臨まねば、周辺諸国の攻勢から日本の領土・資産・誇りを守ることのできない窮地に、わが国は本当に追い込まれている。この窮地を脱し、日本の再建を進めるには、わが国の政府が発して、わが国を呪縛している談話類を見直し、政府の見解を改めねばならない。
 ただし、政治家が周辺諸国に確固とした歴史認識で対抗するだけでは、今日の窮地を真に脱することはできない。外交は軍事力の裏付けなくしては、有効に進め得ない。外交は裁判とは違う。言葉と論理だけでは、正義と公正を実現できない。自分の国、自国の領土と主権を自分で守るための国防力を強化してこそ、国益を守る外交を展開することができることを、政治家も国民もともに肝に銘じなければならない。

 以下は、冒頭紹介の稲田氏の文章。

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●産経新聞 平成24年8月31日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120831/plc12083103290002-n1.htm
【正論】
弁護士、衆議院議員・稲田朋美 領土は歴史認識と二正面作戦で
2012.8.31 03:28

 ロシアのメドベージェフ首相の北方領土訪問、韓国の李明博大統領の竹島上陸、香港の活動家たちの尖閣諸島上陸と、相次いでいる隣国からの領土侵犯行為の根底には、歴史認識の問題がある。

≪河野、村山、菅談話の破棄を≫
 日本はこれまで、戦後レジームの中核を成す東京裁判史観に毒されてきているせいで、歴史認識について言うべきことを言わず、なすべきことをしてこなかった。むしろ、言うべきでないことを言い、すべきでないことをしてきた。その典型が河野談話、村山談話、そして菅談話である。
 領土と歴史認識を同じ土俵で論じることには違和感がある。が、相手側が歴史認識を論じる以上、それにも冷静に反論することが必要だ。その前段として、有害無益な談話類は受け継がないと宣言する新談話を即刻出すべきだ。
 李大統領は天皇陛下が訪韓する条件として独立運動家への謝罪を求め、日本国民を怒らせた。「光復節」演説では「慰安婦」問題の解決を求めた。韓国国会も「慰安婦」賠償要求決議を出した。
 韓国の憲法裁判所は昨年8月、韓国政府が「慰安婦」の基本的人権を侵害し、憲法に違反しているという驚くべき判決を下した。李大統領が昨秋以来、異常とも思える執拗さで、野田佳彦首相に「慰安婦」への謝罪と補償を求めている背景にはこの判決がある。
 野田首相は、国際法上決着ずみだとする従来の日本の主張を繰り返している。だが、韓国にはもう通用しない。憲法裁判所は、「慰安婦」問題が昭和40年の日韓請求権協定の範囲外で、「慰安婦」の賠償請求権は消滅しておらず、それを解決できていない韓国政府の不作為が、憲法違反に当たると断じているからだ。事実関係を否定しない限り、謝罪と補償を要求され続けるということになる。

≪個人賠償請求権で不当判断≫
 こうした考え方は戦後補償全般に及ぶ。韓国最高裁はこの5月、戦時中の日本企業による朝鮮人強制労働に関する裁判で、日韓基本条約にもかかわらず個人賠償請求権は消滅していないという、国際法の常識に照らせば不当というほかない判決を言い渡している。
 これで、日本での戦後補償裁判では法的に解決ずみという理由で勝訴してきた日本企業が、韓国国内で再度裁判を起こされれば、敗訴することになった。在韓資産を持つ日本企業は、敗訴判決に基づいて差し押さえを受け、資産を合法的に収奪されることになる。
 しかも、日本政府は戦後補償、「慰安婦」裁判では、事実関係を争わない方針を採るので、日本での判決には証拠のない嘘が書き込まれている。裁判では、当事者が争わない事実は真実として扱われる。韓国の裁判でそんな日本の判決書が証拠として提出されれば、日本側に勝ち目はない。日本企業の財産を守る責務は国にある。政府は、戦後補償裁判でも事実関係を争う方針に転換すべきだ。
 「慰安婦」問題については、日本の政府や軍が強制連行した事実はない、と明確に主張しなければならない。問題の核心にある「強制連行」がなかったのだから、謝罪も補償も必要ではない。当時は「慰安婦」業は合法だった。
 それにもかかわらず「強制性」を認めて謝った河野談話を否定し、韓国や米国で宣伝されているような、朝鮮半島の若い女性を多数、強制連行して慰安所で性奴隷にしたといった嘘でわが国の名誉を毀損することはやめていただきたいと断固、抗議すべきである。

≪配慮外交から主張外交へ≫
 司法だけではない。韓国は立法においても、盧武鉉前政権時代に親日反民族行為者財産調査委員会を設け、親日であった反民族行為者およびその子孫の財産を没収する法律を作っている。要するに、韓国では、歴史認識を背景に、日本に対しては何をやっても許されるという特殊な価値観で司法も立法も行政も動いているのだ。
 であるからして、韓国に向き合って日本のなすべきことは、今までのような抽象的な贖罪(しょくざい)意識に基づいた、あるいは、日本特有の寛容の精神で相手と接してきた、「配慮外交」を改め、戦後補償であれ「慰安婦」であれ、言うべきことを勇気をもって主張する外交へと方向を転換することである。そうしないと、日本の名誉も韓国国内の日本企業の財産も守れないし領土侵犯も続くのである。
 北方領土問題をめぐっても、プーチン大統領とメドベージェフ首相が「第二次世界大戦の結果であり譲歩する必要はない」と述べていることに、きちんと日本の立場を発信しなければならない。
 日ソ中立条約を一方的に破棄して、日本に原爆が投下された後に旧満州に侵攻し、わが国同胞を60万人もシベリアに強制連行し、日本が武器を置いた後に、北方四島を奪取した旧ソ連(ロシア)の行為には、一片の正義もない。
 今、求められるのは、こうした歴史認識をリーダー自らが堂々と語ることである。領土侵犯の理由に歴史認識を持ち出されれば、政治家が歴史認識をもって対抗しなければならない時代がきた。(いなだ ともみ)
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教科書検定で消されたマッカーサー証言

2012-09-03 08:50:55 | 教育
 私は5月22~23日の日記で、マッカーサーが戦後、日本が戦争を始めた目的は「主に安全保障のためだった」と述べた米議会での証言が、公教育の教材に初めて取り上げられたことを書いた。都立高校独自の地理歴史教材の平成24年版に掲載されたものである。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/ac7410077c54fa1cb57f1439e27ca05e
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/4f52c74a24949feb13341bebd44381cc
 その後、マッカーサー証言は、高校教科書「最新日本史」(明成社)の昨23年度検定前の白表紙本に載っていたが、「誤解するおそれのある表現である」との検定意見がついて、執筆者側が削除したことを知った。文部科学省教科書課は「記述が不十分で、誤解を招きかねないと判断した」と説明しているという。産経新聞論説委員の石川水穂氏が伝えているものだ。
 次にその石川氏の記事を転載する。

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●産経新聞 平成24年6月23日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120623/edc12062303070000-n1.htm
【土・日曜日に書く】
論説委員・石川水穂 教科書検定で消えた「マ証言」
2012.6.23 03:07 [土・日曜日に書く]

◆断定を避けた都の教材
 「江戸から東京へ」と題する東京都教育委員会作成の教材が都立高校に配布され、今春から必修となった日本史の授業で使われている。「幕藩体制の成立」から今日の「国際都市・東京」までの400年の歩みが教科書風に書かれ、大人が読んでも勉強になる。
 注目したいのは、「第二次世界大戦と太平洋戦争」のところに掲載された「ハル=ノートとマッカーサー証言」というコラムだ。
 「ハル=ノートの原案を作成した財務省特別補佐官のハリー・ホワイトは、ソ連のスパイの疑いがあるとして非米活動委員会に出席しており、ハル=ノートの作成にソ連が関わっていたとする意見もある」
 「連合国軍最高司令官であったマッカーサーは、戦後のアメリカ議会において、日本が開戦したことについて『in going to war was largely dictated by security.』と証言しており、この戦争を日本が安全上の必要に迫られて起こしたととらえる意見もある」
 ハル=ノートは1941(昭和16)年11月、日米交渉でハル米国務長官が日本に中国と仏領インドシナからの全面撤退などを求めた最後通告だ。ホワイトは48年、米下院非米活動委員会でソ連のスパイ容疑を否認したが、米側の暗号解読記録などから、ソ連に通じていた疑いが濃厚とされる。
 マッカーサー証言は51年5月、米上院軍事外交合同委員会の公聴会の記録で、小堀桂一郎東大名誉教授がニューヨーク・タイムズ紙の記事を基に入手した。
 教材の英文は、その前に「Their purpose, therefore,」との語があり、「したがって彼ら(日本)が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」(小堀氏編「東京裁判 日本の弁明」から)という意味だ。
 コラムは断定的な表現を避け、生徒に考えさせる内容である。

◆「誤解するおそれ」と意見
 実は、これらの記述は小堀氏らが執筆した高校教科書「最新日本史」(明成社)の昨年度検定前の白表紙本にもあった。しかし、いずれも「誤解するおそれのある表現である」との検定意見が付き、執筆者側は2つとも削除した。
 文部科学省教科書課は「記述が不十分で、誤解を招きかねないと判断した」と説明している。
 米議会でのマッカーサー証言などは、広くは知られていないが、明白な事実だ。これらを知ることにより、生徒は先の戦争をより多角的にとらえることができる。事実を教科書に載せることがなぜ、誤解を招くのか。文科省からは、明快な説明が得られなかった。
 その一方で、事実かどうか疑わしい記述が検定をパスしていた。
 「約70万人が朝鮮総督府の行政機関や警察の圧迫などによって日本本土に強制連行され、過酷な条件で危険な作業に従事させられた」(東京書籍「日本史A」)
 「数十万人の朝鮮人や占領地域の中国人を日本本土などに強制連行し、鉱山や土木工事現場などで働かせた」(山川出版「詳説日本史」)
 外務省が昭和34年に発表した在日朝鮮人の実態調査によれば、日本内地に居住していた朝鮮人は昭和14年末から20年の終戦直前までの6年間で、100万人から200万人に増えた。増えた100万人のうち、70万人は日本に職を求めてきた渡航者と出生による自然増加で、残り30万人の大部分は鉱工業や土木事業の募集に応じて自主的に契約した人たちだ。
 ほとんどの朝鮮人は自由意思で朝鮮半島から日本内地に渡ってきた。すべて「強制連行」だったとする記述は誤りである。
 このほか、日本の占領政策によるベトナムでの餓死者「200万人」、マレー半島での「華人虐殺数万人」といった誇大な数字が今も教科書で独り歩きしている。

◆誤報事件から30年
 昭和57年夏、日本のマスコミは旧文部省の検定によって日本の中国への「侵略」が「進出」に書き換えられたと一斉に報じ、中国や韓国が外交ルートを通じて抗議してきた。しかし、そのような書き換えはなかった。
 にもかかわらず、当時の鈴木善幸内閣の宮沢喜一官房長官は「教科書の記述を是正し、検定基準を改める」とする談話を発表した。この宮沢談話を受け、近隣諸国条項が検定基準に加えられた。
 「侵略」「強制」などの表記に意見を付けることが難しくなり、中国や韓国などに過度に配慮した教科書検定が行われるようになったのは、それ以降である。
 今年は、その教科書誤報事件から30年になる。マスコミの教科書報道や検定のあり方について、改めて再検証が必要ではないか。(いしかわ みずほ)
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河野談話の破棄を全国紙が主張

2012-09-02 10:16:53 | 慰安婦
 産経新聞は平成24年9月1日号の社説に、「慰安婦問題 偽りの河野談話破棄せよ」という主張を載せた。私の記憶するところ、全国紙が河野談話の破棄を明確に社説で主張したのは、初めてである。この社説は、慰安婦問題の里程標となるかもしれぬほど時宜を得たものと評価できる。
 今回の産経の社説は、慰安婦問題に関するこれまでの政府の対応、河野談話の問題点、李韓国大統領の暴挙暴言以後のわが国での慰安婦問題にかかる動向等が、要点を押さえて書かれている。社説は「野田佳彦政権は河野談話を再検証したうえで、談話の誤りを率直に認め、それを破棄する手続きを検討すべきだ」と主張し、米国等での誤解を解くため、「日本は河野談話の誤りを米国など国際社会に丁寧に説明する外交努力を粘り強く重ねなければならない」とも述べている。
 以下、その記事の転載。

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●産経新聞 平成24年9月1日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120901/plc12090103180003-n1.htm
【主張】
慰安婦問題 偽りの河野談話破棄せよ 国際社会の誤解解く努力を
2012.9.1 03:18

 慰安婦の強制連行を認めた河野洋平官房長官(当時)談話の見直しを求める声が高まっている。李明博韓国大統領が竹島不法上陸の理由として慰安婦問題への日本の対応に不満を示したことによる。
 野田佳彦政権は河野談話を再検証したうえで、談話の誤りを率直に認め、それを破棄する手続きを検討すべきだ。
 河野談話は、自民党の宮沢喜一内閣が細川護煕連立内閣に代わる直前の平成5年8月4日に発表された。「従軍慰安婦」という戦後の造語を使い、その募集に「官憲等が直接これに加担したこともあった」などという表現で、日本の軍や警察による強制連行があったと決めつけた内容である。

≪見直し論の広がり歓迎≫
 公権力による強制があったとの偽りを国内外で独り歩きさせ、慰安婦問題をめぐる韓国などでの反日宣伝に誤った根拠を与えた。
 しかし、それまでに日本政府が集めた二百数十点に及ぶ公式文書の中には強制連行を裏付ける資料はなく、談話発表の直前に行った韓国人元慰安婦16人からの聞き取り調査だけで強制連行を認めたことが後に、石原信雄元官房副長官の証言で明らかになった。
 今回、李大統領の竹島上陸後、最初に河野談話の問題点を指摘したのは大阪市の橋下徹市長だ。橋下氏は「慰安婦が日本軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられた証拠はない」「河野談話は証拠に基づかない内容で、日韓関係をこじらせる最大の元凶だ」と述べた。
 安倍晋三元首相も本紙の取材に「大変勇気ある発言」と市長を評価し、河野談話などを見直して新たな談話を発表すべきだとの考えを示した。東京都の石原慎太郎知事も河野談話を批判した。参院予算委員会でも、松原仁国家公安委員長が河野談話について「閣僚間で議論すべきだ」と提案した。
 こうした河野談話見直し論の広がりを歓迎したい。
 石原元副長官が本紙などに河野談話の舞台裏を語ったのは、談話発表から4年後の平成9年3月だ。同じ月の参院予算委員会で、当時、内閣外政審議室長だった平林博氏は、元慰安婦の証言の裏付け調査が行われなかったことも明らかにした。
 談話に基づく強制連行説が破綻した後も、それを踏襲し続けた歴代内閣の責任は極めて重い。談話の元になった韓国人元慰安婦の証言をいまだに公開していないのも、国民への背信行為である。
 安倍内閣の下で、河野談話を事実上検証する作業が行われたこともある。米下院で慰安婦問題をめぐる対日非難決議案が審議されていた時期の平成19年3月、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」との政府答弁書を閣議決定した。

≪当事者は「真実」語れ≫
 決議案には、「日本軍は第二次大戦中に若い女性たちを強制的に性奴隷にした」など多くの事実誤認の内容が含まれていた。
これに対し、安倍首相は「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れていくという強制性はなかった」と狭義の強制性を否定し、「米下院の決議が採択されたからといって、われわれが謝罪することはない」と明言した。一方で、「間に入った業者が事実上強制していたケースもあったという意味で、広義の強制性があった」とも述べ、河野談話を継承した。
 だが、この安倍首相発言の趣旨は当時のブッシュ政権や米国社会に十分に理解されなかった。中途半端な対応ではなかったか。
 今夏、アーミテージ元米国務副長官ら超党派の外交・安全保障専門家グループが発表した日米同盟に関する報告にも、「日本は韓国との歴史問題に正面から取り組むべきだ」との文言がある。
 こうした誤解を解くため、日本は河野談話の誤りを米国など国際社会に丁寧に説明する外交努力を粘り強く重ねなければならない。河野氏が記者会見で強制連行を認めたのが問題の発端だ。国会は河野氏らを証人喚問し、談話発表の経緯を究明する必要がある。
 安倍氏は河野談話に加え、教科書で近隣諸国への配慮を約束した宮沢喜一官房長官談話、アジア諸国に心からのおわびを表明した村山富市首相談話も見直す考えを表明している。今月行われる民主党代表選や自民党総裁選で、一連の歴史問題をめぐる政府見解に関する論戦を期待したい。
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関連掲示
・拙稿「慰安婦問題は、虚偽と誤解に満ちている」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12f.htm
・拙稿「慰安婦の碑と博物館に対抗すべし」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/738df840734f5ad923a9d6eb3ff80691
・拙稿「慰安婦は超高給取りの売春婦」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/c6f22be7c31f0cc1c26c6523bd119343
・拙稿「韓国の売春事情は今もそう変わず」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/a25d0bcf8df80bdf4297a2cd79fd91f2

人権9~個人の権利から集団の権利へ

2012-09-01 08:35:04 | 人権
●国際人権法の発達史

 これまで述べてきたことは、国際人権法の発達過程を見ると、一層明らかになるだろう。国際人権法では、いわゆる人権について、歴史的に、三つの段階を認めている。第1段階は自由権、第2段階は社会権、第3段階は「発展の権利」である。
 第1段階では17~18世紀の西欧において、新興ブルジョワジーを中心に自由と権利が主張され、普遍的生得的な権利が主張された。これが自由権である。第2段階では、20世紀の西欧において、平等に配慮した権利が多く主張され、権利の主体が労働者へと拡大された。これが社会権である。
 ここまでは、主に欧米を中心に発達したものだが、第2次世界大戦後、アジア・アフリカの有色人種が独立と解放を勝ち取り、自由と権利の希求がアジア・アフリカへと広がった。新興独立国の多くが「国際連合=連合国」に加盟すると、それらの国々の主張を背景として、国連では「発展の権利」が主張されるようになった。1986年には「発展の権利に関する宣言」が発せられた。ここにいう発展とは、単に経済的な側面だけでなく、より広汎な社会文化的な面も含むとされている。権利について、個人を主体とした自由権・社会権とは異なる考え方である。「発展の権利」は、1993年の世界人権会議で採択された「ウイーン宣言及び行動計画」にも取り入れられた。ここにおいて、人権の発達は第3段階に入ったとされる。
 第1段階から第2段階への発達は、主に欧米諸国における階級間での権利の拡大である。帝国の周縁部からの収奪の上に繁栄する中枢部で、支配者集団から労働者や社会的弱者へと権利が拡大していったものである。それが第3段階では、欧米諸国民から非西洋諸国民へと拡大された。第2段階から第3段階への発達は、民族間の拡大であり、中枢部から周縁部への拡大である。
 第3段階では、国際人権規約で自由権・社会権が制定され直した。ここで重要なのは、自由権規約も社会権規約も第1条で、人民(peoples)の自決権を定めたことである。すなわち、「すべての人民(peoples)は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」が、その条文である。ここで私は、peoples を「人民」と訳したが、peoples は多義的な言葉で、国民とも民族とも集団とも取れる。自決の権利は国民自決権・民族自決権・集団自決権のどれでもあり得るものとして、ここでは「人民」と訳しておく。
 人民の自決権は、多くの場合、民族自決権と訳される。これは、一般的に言うと、集団の自決権である。集団の権利が確立されてこそ、個人の権利が保障されるという思想が、国際人権規約に盛り込まれたのである。人民の独立なければ個人の人権なし、という原則を打ち立てられたのである。これによって、第1段階における個人中心的な自由権を、集団の権利の中に位置付け直す必要が生じた。自由権の上に拡張された社会権も同様である。また自決権は政治的側面だけでなく経済的、社会的、文化的側面にも拡大された。しかし、人民という集団と個人の権利との関係は必ずしも明確に整理されていないのが、国際人権条約の現状である。
 個人の権利は集団の権利が確保されていて初めて保障される。近代西欧では諸国の独立と主権が確立されていたから、そのもとで個人の権利が発達し得た。そのことが再認識されねばならない。
 たとえば、17世紀のイギリスは、他国の支配を受けることのない独立主権国家だった。だから、英国民は自由と権利を確保できた。18世紀のフランスは、革命によって人権宣言を発した後、周辺国の干渉を跳ね返した。だから、仏国民は自由と権利を追求できた。このように17~18世紀の英仏においては、個人の自由と権利の前に、国家の独立と主権が存在していた。それを前提として人権が唱えられたのである。もしこれらの国々が他の集団の支配下にあり、集団としての権利を奪われていたならば、国民個々の自由と権利は抑圧されていた。被支配状態にあっては、まず目指すべきは、独立であり解放である。そのことをよく示すのが、アメリカの事例である。18世紀のアメリカは、イギリスの植民地であり、本国の参政権はなく、自主的な課税権もなかった。植民地の人民は、本国の圧政に抵抗し、独立を勝ち取った。だから、米国民は自由と権利を獲得できたのである。実は、イギリスにおいても、国民の権利の確保と拡大は、ノルマン・コンクェスト以来、フランス系の貴族に支配されてきたアングロ・サクソン系の庶民が国王から権利を守り、主張してきた過程でもあった。
 ここで国家の独立と主権を人民自決権という20世紀的な概念でとらえるならば、英米仏においても、集団の自決権の確立のもとに、個人の自由と権利が拡張されてきたのである。明治期のわが国の用語で表現するならば、国権の確立のもとに民権が伸長し得たということである。

 次回に続く。