ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権10~発達する人間的な権利

2012-09-09 08:35:24 | 人権
●発達する人間的な権利

 国際人権法における人権の発達段階論は、欧米で普遍的・生得的な権利として発生した人権という観念が、もともと歴史的・社会的・文化的な生成物であることを示している。しかし、国際社会は、依然として、第1段階で歴史的・社会的・文化的に形成された「人間が生まれながらに平等に持っている権利」「国家権力によっても侵されることのない基本的な諸権利」という理解をそのままにしている。その状態で、第2段階の権利、第3段階の権利を拡張している。根本的な再検討を行っていないのである。根本的な再検討とは、世界人権宣言の改定に至るような検討である。そのために、今日人権については、普遍的と特殊的、非歴史的と歴史的、個人的と集団的といった基本的な概念の関係が、乱雑な状態になっている。
 これを整理し直すには、人権の狭義と広義を区別し、狭義の人権は理想・目標として規定し直すべきである。また、広義の人権は、その理想・目標のもとに、歴史的・社会的・文化的に発達する権利一般と定義するとよいと私は考える。
 人権は、普遍的な権利として理想・目標とされる権利を段階的に現実化するとともに、これに種々の特殊的な権利を追加することによって、発達してきた。普遍的な権利とは、17世紀西欧で発達した自由権すなわち生命・身体・財産・幸福追求の権利であるが、これに特殊的な権利、たとえば労働者の権利、生存権、教育を受ける権利等の社会権が追加されてきた。そして自由権と社会権を合わせて、一般に「基本的な人権」と呼ばれるようになった。基本的人権とは、人間が生まれながらに平等に持っている権利だとされる。だが、権利の実態は「生まれながらに人間の持つ権利(natural human rights)」ではなく、歴史的・社会的・文化的に発展してきたものである。私は、こうした権利の性格をとらえて、「発達する人間的な権利(developing human rights)」と呼ぶことにしたい。そして、人権を、17世紀の西欧的な「生まれながらに人間の持つ権利」ではなく、20世紀の世界的な「発達する人間的な権利」として、17世紀西欧にさかのぼって基礎づけ直すべきであると考える。先に人民自決権と集団の権利について書いたが、これはそのための試みの一つである。
 ところで、英語で人権と訳す言葉は、human rightsであり、これをわが国では人権と訳す。humanには「人間が持つ(of human beings)」という意味と、「人間らしい(being human)」という意味がある。ロングマン英語辞典では、形容詞の human の語義の一部として、“belonging to or relating to people, especially as opposed to animals or machines”と説明している。また名詞 humanity の語義の一部を、“the state of being human and having qualities and rights that all people have”と説明している。
 私が「発達する人間的な権利(developing human rights)」という概念に「人間的な」という言葉を使うのは、「人間らしい」を意味する形容詞としてである。すなわち、「人間らしい(being human)」という言葉を、道徳的価値を含む形容詞として用いる。その名詞形は「人間らしさ(humanity)」である。
 「人間らしさ(humanity)」という価値観は、歴史的・社会的・文化的に変化する。人間の自己認識が変わることによって、何が「人間らしい」かが変化する。文化・文明の発達によって、その時代、その社会の人々が「人間らしい」と考える内容は変わっていく。私は、そうした可変的な人間観に基づいた権利を「発達する人間的な権利」と呼ぶ。「発達する人間的な権利」としての人権は、それぞれの国民や民族、集団の歴史的・社会的・文化的な条件のもとで追及されてきた権利であり、普遍的・生得的な権利とされてきたものは、その先に置かれた理想・目標である。
 今日の国際社会には、人権を法的権利としての人権に限定する見解と、道徳的権利としての人権を認める立場とが対立している。人権は自然権の思想に由来を持つものであり、もともと単に法的な権利ではなく、道徳的な権利としての側面が持つ。また、道徳的な側面から宗教的な要素を持ち、具体的にはキリスト教の思想を背景にしている。人権の発達の過程では、西欧で道徳的または宗教的な権利として主張されたものが、市民革命を通じて法的な権利として制度化された。その際に、普遍的・生得的な権利という思想の持つ主張の強さが、法制化の推進力となった。
 法的権利となった人権は、実定法に根拠を持つ権利であるが、道徳的権利としての人権は、未だ社会的に公認されていない主張である。だが、人間の発達史を振り返ると、道徳的または宗教的な権利として主張されたものが法的な権利として規定されてきたので、現在一部で主張されている権利が、将来法的な権利とされる可能性がある。もちろんすべての主張が法制化されるのではなく、社会の成員の大多数が承認したもののみがが、法的権利として権力によって保護されたり、強制されたりするものとなる。このことは、人権は普遍的・生得的な権利ではなく、歴史的・社会的・文化的に発達する人間的な権利であることを示している。

 次回に続く。