昭和天皇は戦前、日独防共協定・三国同盟には内心賛成せず、対米英戦争の回避を最後まで強く願った。そして、大東亜戦争の開戦後は、緒戦の勝利に惑うことなく早期講和の方策を考えた。国家指導層の多くは、こうした天皇の御心に反して、日本を誤った方向に導いてしまった。
日本の指導層及び国民は、どのようにあるべきだったのだろうか。大塚寛一先生の行動に照らして様々な識者・人物の発言を精査するなかで、私は元亜細亜大学教授・小田村寅二郎氏の見方は、示唆に富むものだと思っている。「天皇に対する輔弼(ほひつ)とは」という氏の所論から紹介する。
戦前の我が国では、大日本帝国憲法の下、天皇は軍を統帥する統帥大権、さらに立法、司法、行政の三権分立制度を統括する政治大権の双方を持っていた。小田村氏は、この点について次のように述べている。
「大日本帝国憲法のそれらの諸規定が有効、適切に機能を発揮するためには、何よりも大切な必須条件がありました。具体的に申しますと、統帥大権を補佐申し上げる軍令部総長、参謀総長の輔弼の責任をはじめ、内閣その他様々な角度から天皇政治を補佐申し上げる側の人々に、臣下として天皇に忠誠を尽し、真心をもって天皇様をお助け申し上げなければならない重大な輔弼の責任があったのであります。
ここのところが、大日本帝国憲法における最も重要な骨組みでありました。ところが、事実を調べてみますと、この点において、十分に輔弼の責任を果たし得ていないことが数多くあったことに気付いてきます。これは重大な歴史的事実でありまして、それがいっこうに是正されぬままに、あるいは、さらに一層深刻にマイナス面が深まっていくままに、天皇様は御年を重ねて遂に敗戦時に至られたのであります」
このように小田村氏は、帝国憲法の下において天皇を補佐すべき者に責任があったと指摘する。
さて、明治時代、日清・日露戦争で活躍した帝国陸海軍は、大正、昭和を経て非常に問題のある軍部になってしまっていた。作家の司馬遼太郎氏は、生涯この原因を問いつづけた。小田村氏は、軍部が変化した原因について次のように記している。
「満州事変、上海事変、2・26事件、支那事変と推移していく間に、軍ことに陸軍部内ではいつしか、下克上と申しますか、下の者が勢力を得て、上の者たちを自分たちの思うとおりに動かすという傾向が一層深まってきます。中堅幹部将校があらゆることに口を出し、陛下を輔弼申し上げる高位高官が中堅将校の傀儡(かいらい)的存在となっていったのであります。
かかることが万一にも起きてはならないというのが明治天皇様の深いご配慮であられたために、明治15年、『軍人勅諭』が下付されております。この『軍人勅諭』を日夜奉読することによって、一兵卒から将軍に至るまでの全軍人が拳拳服膺(けんけんふくよう)しながら軍務に精励していた時の軍と、この『軍人勅諭』をうつろに読むだけで、心に味わうことを怠りだした時の軍部とは、自(おの)ずからそこに内的変質が発生していたと思います」と。
小田村氏は続いて次のように述べる。
「しかも昭和16年、時の陸軍大臣東條英機大将の名で、全陸軍に『戦陣訓』というものが出されました。(略)『戦陣訓』の下付によって『軍人勅諭』への関心が自然に低下していったことは申すまでもありません。敗戦の責任は軍部にあるという言い方はその通りだと思いますけれども、時の軍部が『軍人勅諭』に従うことを好い加減にしていたところに、軍部の腐敗、堕落があったということを併せて指摘しなければ、軍部に責任があるということを言っているだけでは意味をなさないと思います」
このように小田村氏は、軍部の責任とその原因を指摘している。
小田村氏は、次に政治家・官僚・学者等の指導層全般について言及する。
「大日本帝国憲法の規定する条章の精神の中には、内閣は毅然として政治に携わることを、定めております。即ち、天皇に対して、輔弼の責めを持つという表現用語によって、そのことが明示されているのであります。もしその通りに実行するとすれば、誤れる軍人に対して、これを正すのが政治家の責務だと思います。その任務を果たした人もいます。しかし、大勢はそれができなかった、あるいはする意志も持ち合わせていなかったのです」
氏によると、「先の大戦の原因は、軍人、政治家、役人、そして、それらの誤りを正すべき最後の切り札である学者、総じて日本の指導者層の全てに、それぞれの分野における臣下としての責務に怠慢、さらに責任の回避、承詔必謹の精神の欠落等のあること」だった。「陛下の大御心を憶念し奉り、大御心を安んじ奉ることこそが、天皇を輔弼申し上げる臣下の重大な責務」でしたが「それを感じる者乏しく、またその志ある者も衆寡敵せず」という状態だったと、小田村氏は指摘している。
「大日本帝国憲法下に運営されていた日本の素晴らしいシステムが機能するには、忠誠心という重大な精神的ファクターを要求していた。それが摩滅し希薄化していく時には、素晴らしいシステムも機能を発揮しなくなるのはもとよりであります」
小田村氏の所論は、大略、以上の通りである。
昭和天皇は、終戦の御聖断、戦後のマッカーサー会見、全国御巡幸等において、こうした国家指導層すべての責任を一身に担って、国家と国民を救おうとした。しかし、戦後の我が国民は、そうした過去を忘れている。そして、戦前に比べるべくもないほど、日本人の道徳や責任感は低下してきている。小田村氏の言葉は、国民統合の中心を見失ったまま、国家溶解の危機にある今日の日本人に対しても、反省と覚醒を促す言葉として響くのではないか。
現在の日本を憂え、過去を振り返り、日本の将来を思う人々には、大塚寛一先生の説く「真の日本精神」を学ぶことをお勧めしたい。
大塚先生は戦前、戦争回避・不戦必勝を説く建白書を、昭和14年9月から昭和20年の終戦間際まで、時の指導層に対し、毎回千余通送付した。戦後、大塚先生は、「真の日本精神」を伝える運動を行ってきた。著書『真の日本精神は世界を救う』(イースト・プレス)を通じても、真の日本精神について学ぶことができる。
参考資料
・小田村寅二郎著『天皇に対する輔弼とは』(『聖帝〔ひじりのみかど〕 昭和天皇をあおぐ』明成社 所収)
関連掲示
・拙稿「日本弱体化政策の検証」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08b.htm
・拙稿「世界に誇れる国柄とその心」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion04d.htm
第2章以下
・以下のページの項目28、拙稿「日本文明は近代西洋文明にどう対応してきたか」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/j-mind11.htm
日本の指導層及び国民は、どのようにあるべきだったのだろうか。大塚寛一先生の行動に照らして様々な識者・人物の発言を精査するなかで、私は元亜細亜大学教授・小田村寅二郎氏の見方は、示唆に富むものだと思っている。「天皇に対する輔弼(ほひつ)とは」という氏の所論から紹介する。
戦前の我が国では、大日本帝国憲法の下、天皇は軍を統帥する統帥大権、さらに立法、司法、行政の三権分立制度を統括する政治大権の双方を持っていた。小田村氏は、この点について次のように述べている。
「大日本帝国憲法のそれらの諸規定が有効、適切に機能を発揮するためには、何よりも大切な必須条件がありました。具体的に申しますと、統帥大権を補佐申し上げる軍令部総長、参謀総長の輔弼の責任をはじめ、内閣その他様々な角度から天皇政治を補佐申し上げる側の人々に、臣下として天皇に忠誠を尽し、真心をもって天皇様をお助け申し上げなければならない重大な輔弼の責任があったのであります。
ここのところが、大日本帝国憲法における最も重要な骨組みでありました。ところが、事実を調べてみますと、この点において、十分に輔弼の責任を果たし得ていないことが数多くあったことに気付いてきます。これは重大な歴史的事実でありまして、それがいっこうに是正されぬままに、あるいは、さらに一層深刻にマイナス面が深まっていくままに、天皇様は御年を重ねて遂に敗戦時に至られたのであります」
このように小田村氏は、帝国憲法の下において天皇を補佐すべき者に責任があったと指摘する。
さて、明治時代、日清・日露戦争で活躍した帝国陸海軍は、大正、昭和を経て非常に問題のある軍部になってしまっていた。作家の司馬遼太郎氏は、生涯この原因を問いつづけた。小田村氏は、軍部が変化した原因について次のように記している。
「満州事変、上海事変、2・26事件、支那事変と推移していく間に、軍ことに陸軍部内ではいつしか、下克上と申しますか、下の者が勢力を得て、上の者たちを自分たちの思うとおりに動かすという傾向が一層深まってきます。中堅幹部将校があらゆることに口を出し、陛下を輔弼申し上げる高位高官が中堅将校の傀儡(かいらい)的存在となっていったのであります。
かかることが万一にも起きてはならないというのが明治天皇様の深いご配慮であられたために、明治15年、『軍人勅諭』が下付されております。この『軍人勅諭』を日夜奉読することによって、一兵卒から将軍に至るまでの全軍人が拳拳服膺(けんけんふくよう)しながら軍務に精励していた時の軍と、この『軍人勅諭』をうつろに読むだけで、心に味わうことを怠りだした時の軍部とは、自(おの)ずからそこに内的変質が発生していたと思います」と。
小田村氏は続いて次のように述べる。
「しかも昭和16年、時の陸軍大臣東條英機大将の名で、全陸軍に『戦陣訓』というものが出されました。(略)『戦陣訓』の下付によって『軍人勅諭』への関心が自然に低下していったことは申すまでもありません。敗戦の責任は軍部にあるという言い方はその通りだと思いますけれども、時の軍部が『軍人勅諭』に従うことを好い加減にしていたところに、軍部の腐敗、堕落があったということを併せて指摘しなければ、軍部に責任があるということを言っているだけでは意味をなさないと思います」
このように小田村氏は、軍部の責任とその原因を指摘している。
小田村氏は、次に政治家・官僚・学者等の指導層全般について言及する。
「大日本帝国憲法の規定する条章の精神の中には、内閣は毅然として政治に携わることを、定めております。即ち、天皇に対して、輔弼の責めを持つという表現用語によって、そのことが明示されているのであります。もしその通りに実行するとすれば、誤れる軍人に対して、これを正すのが政治家の責務だと思います。その任務を果たした人もいます。しかし、大勢はそれができなかった、あるいはする意志も持ち合わせていなかったのです」
氏によると、「先の大戦の原因は、軍人、政治家、役人、そして、それらの誤りを正すべき最後の切り札である学者、総じて日本の指導者層の全てに、それぞれの分野における臣下としての責務に怠慢、さらに責任の回避、承詔必謹の精神の欠落等のあること」だった。「陛下の大御心を憶念し奉り、大御心を安んじ奉ることこそが、天皇を輔弼申し上げる臣下の重大な責務」でしたが「それを感じる者乏しく、またその志ある者も衆寡敵せず」という状態だったと、小田村氏は指摘している。
「大日本帝国憲法下に運営されていた日本の素晴らしいシステムが機能するには、忠誠心という重大な精神的ファクターを要求していた。それが摩滅し希薄化していく時には、素晴らしいシステムも機能を発揮しなくなるのはもとよりであります」
小田村氏の所論は、大略、以上の通りである。
昭和天皇は、終戦の御聖断、戦後のマッカーサー会見、全国御巡幸等において、こうした国家指導層すべての責任を一身に担って、国家と国民を救おうとした。しかし、戦後の我が国民は、そうした過去を忘れている。そして、戦前に比べるべくもないほど、日本人の道徳や責任感は低下してきている。小田村氏の言葉は、国民統合の中心を見失ったまま、国家溶解の危機にある今日の日本人に対しても、反省と覚醒を促す言葉として響くのではないか。
現在の日本を憂え、過去を振り返り、日本の将来を思う人々には、大塚寛一先生の説く「真の日本精神」を学ぶことをお勧めしたい。
大塚先生は戦前、戦争回避・不戦必勝を説く建白書を、昭和14年9月から昭和20年の終戦間際まで、時の指導層に対し、毎回千余通送付した。戦後、大塚先生は、「真の日本精神」を伝える運動を行ってきた。著書『真の日本精神は世界を救う』(イースト・プレス)を通じても、真の日本精神について学ぶことができる。
参考資料
・小田村寅二郎著『天皇に対する輔弼とは』(『聖帝〔ひじりのみかど〕 昭和天皇をあおぐ』明成社 所収)
関連掲示
・拙稿「日本弱体化政策の検証」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08b.htm
・拙稿「世界に誇れる国柄とその心」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion04d.htm
第2章以下
・以下のページの項目28、拙稿「日本文明は近代西洋文明にどう対応してきたか」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/j-mind11.htm