ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

大東亜戦争は戦う必要が無かった

2007-12-08 13:42:42 | 日本精神
 本日は66年前、大東亜戦争(アメリカのつけた名称は太平洋戦争)が開始された日である。この戦争の影響は今日なお大きい。日本の国を思う人は、誰しも大東亜戦争をどうとらえるべきかを考えるだろう。

 昭和前期、世界に戦雲がたれこめ、日本は軍部が台頭し戦争への道を進もうとしていた。私が生涯の師とし、また神とも仰ぐ大塚寛一先生は、当時、事態を深く憂慮し、戦争に反対する建白書を送付して、指導層の誤りを指摘した。
 しかし、時の指導者の多くは戦争の道を選び、昭和20年8月15日、未曾有の敗戦を喫した。当時のことについて大塚先生は、次のように語っている。

 「明治以後、日本は西洋の物質文化を模倣して、日本古来の精神文化を見失ってしまったのだ。ちょうど牛肉を食べたからといって牛になったり、豚肉を食べたからといって豚になったりするような愚かな真似をしてしまい、自己の本質を忘れてしまった。そしてヒトラーやムッソリー二等の覇道をまねた東条英機が、第二次大戦を起こしたために、建国以来はじめての敗戦を喫してしまったのである。
 その開戦に先立つ昭和14年9月以降のことだが、わしは上層指導者たちに警告を発しつづけた。それはこういうことである。いま日本の指導者は、ヒトラーやムッソリー二の尻馬に乗ってアジアで旗を上げようとしている。だが、それをやれば、大都会は焼きはらわれ、三千年来ないところの大敗を招くことになる。だから絶対にやってはならぬーーそういう意味のことを印刷物にして三千部ほどつくり、当時の閣僚から大政翼賛会の主だった人々、参謀本部の人々と陸海軍の少将以上に度々送付した。
 ところが、それらの人々はみんな熱に浮かされて、道を忘れてしまっているから、ほとんどの人は耳を貸そうとしない。そして、とうとう真珠湾攻撃を始めてしまった。その反動が戻って来て、最後には広島、長崎のあの悲惨な状態を招いたわけだが、それもつまりは国政をあずかる指導者が、神の道から外れてしまっていたからである」

 大塚先生は、指導者について次のように語っている。

 「物ごとをするには、今日にして百年の計を立て、戦いをするにも、居ながらにして千里の外に勝敗を決すべきものである。だが、それは心眼が開けて、はじめてなし得られることであって、肉眼や五感をもってしては、今日にして今日を看破することが不可能である。そのよい例が、先の大東亜戦争であった」
 「大東亜戦争は戦う必要がなかったし、戦えば負けることは最初から決まっていた。それはちょうど弓を放つのでも、矢が弦を離れるときすでに、当るか当らないかは決定している」

 大塚先生の心眼には、次のように、時の流れが映っていた。

 「すでに裏半球の欧米は、四季でたとえれば木枯が吹きはじめる季節であり、表半球のアジアの方は、春がおとずれ、発展期に遭遇する時である」と。

 そして、先生は、次のように語っている。

 「あの時、わしの言う通りに厳正中立を守っていれば、日本は一兵を失うこともなく、領土も縮めず、第三国からは敬われ、いまは米ソをしのぐほどの立派な国になっていたにちがいない」と。

 大塚先生の建白書は、「不戦必勝・厳正中立の大策」を説くものだった。わずかながら、先生の建言に耳を傾けた人々もいた。政界を動かす巨頭・頭山満、憲政の大家・田川大吉郎、陸軍大将・宇垣一成、陸軍中将・林弥三吉、海軍大将・山本英輔、高級官僚・迫水久常の各氏などである。
 しかし、東条英機ら指導層の多くは建言を受け入れず、日本は神の道から外れてしまった。誠に残念なことである。日本はこの失敗を教訓として二度と道を誤ってはならない。

 戦後、大塚寛一先生は、国民大衆に神の道を広め、真の世界平和の実現をめざす運動を行った。それが、「真の日本精神」を伝える運動である。私は、縁あって大塚先生の活動を知り、日本精神の重要性を学ぶことができた。
大東亜戦争開戦66年の日に、改めて同胞同憂の方々に、日本精神の復興を呼びかけたい。

●大塚寛一先生の著書『真の日本精神が世界を救う~百ガン撲滅の理論と実証』(イースト・プレス)への推薦文

『憂国の士の指針』

社団法人日本国際青年文化協会会長 中條高氏

 今を遡る四十年程前、大塚一師が「全世界人類存亡の岐路に立つ重大時期に遭遇する」と預言され「日本精神復興促進会」を創立されたことを知り驚いています。
 人類の営む地球上は全く大塚師の預言通りの実相を呈しています。
 地球上の人類破滅という危険をはらむ原子核の課題についても、持てる国と、持たざる国との調整能力すら喪われている恐るべき現状にあります。広島・長崎で全人類の中では唯一被爆体験を持つ民族として、地球上の全人類に、とりわけ持てる国々にその責任を問う義務があります。この日本国の、日本民族の発信をまともに受け取ってもらうためには、我々自身が輝いていなければなりません。
 凛として生きていて、尊敬される民族であってこそ、その発言は注目され、その主張がしみ込んでいく事は自明の理であります。
 その様な全人類に対する重要な役割を担うわが国の現状をみますと情けないの一語に尽きます。
 四十年程前の大塚師の「日本精神復興促進会」を創立されたご慧眼とご熱情に今更の如く深い尊敬と驚きを抱かざるをえません。
 それどころではありません、大塚師の驚くべきご慧眼は、わが民族の大偉業であった日露戦争に事寄せて、はびこってきた軍隊の跳梁に対して、昭和十四年頃、積極的に厳正中立、戦争回避、不戦必勝を叫ばれ「大日本精神」と名づけた建白書を国家中枢に送り続けられた事実であります。
 不戦を唱えただけで憲兵に注目される程の時代です。
 それから間もなく、わが国は対米英戦争の決意をしました。その国家最高作戦会議の席上、天皇が、「四方の海みな同胞と思う世になど波風のたちさわぐらむ」と明治天皇の平和を望まれる御製を二度もお詠みになったのです。立憲君主制において、天皇に許された最大の平和へのご意志と受け取らねばなりません。大塚師はこの事実を果たしてご存知だったのでしょうか。
 懼れ多い事ですが、大塚師の平和への思いは天皇の思し召しと全く同一だったのです。
 しかし、日本の辿った歴史は、この大塚師のような冷静な判断は全く機能せず、大戦争に突入しました。連合軍は昭和二十年、ヤルタ会談でソ連をも加担させて参りました。
 そしてわが国は力尽き破局を迎えたのです。大塚師がまさに予測されたような破滅的な敗北でありました。
 日本はどん底から勝組に追いつき、追い越せと汗を流しました。着るに衣なく、食するに米なき状態でありました。その最中、冷戦構造つまり米ソ対立の緊張が生まれてきました。
 わが国はその対立のはざまに横たわったのです。
 これを「地政学的優勢」と呼びます。
 誰の努力にもよるものではないのに、このような優勢な地歩を占める日本国に筆者は強く「神の国」を感じました。
 その背景と国民の汗によって、わが国は世界で最も豊かな国になりえました。それなのに、大塚師が戦前預言されたように、日本人は稼いだ富を代償に「日本精神」をどんどん喪ってしまいました。
 親が子を、先生が生徒を、教室で女生徒が友達を殺し、関わりのない子供を屋上から投げ落として殺すなど考えられないような事件が頻発しています。
 言葉乱れ、礼儀すたれ、道義全く地に堕ちたのです。大塚師はこのような事態の到来を夙に予測され「日本精神復興促進運動」を叫ばれておられました。
 日本のこの憂うべき現状を救うものは教育を措いて他にないと信じている筆者にとって、この度の大塚師の著作の三十数年振りの改訂版の出版ほど力強いものはありません。憂国の士、特に若い人達の必読の書と云うべきでしょう。

関連掲示
・大東亜戦争と近代日本のあゆみに関する拙稿
http://khosokawa.sakura.ne.jp/j-mind06.htm