ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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「つくる会」が教科書抗議声明

2007-12-28 08:26:11 | 教育
 「新しい歴史教科書をつくる会」は、沖縄戦集団自決に関する日本史教科書検定問題で抗議声明を出し、記者会見で文科大臣の責任を追及した。
 「つくる会」は組織としては問題があるが、歴史教科書問題に関しての主張には、参考にできるものがある。
 以下はサイトからの転載。

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「沖縄集団自決」の教科書検定結果に関する抗議声明
                                       平成19年12月26日
                                   新しい歴史教科書をつくる会

 (1)本日、文部科学省は「沖縄集団自決」についての高校日本史教科書の検定に関して、教科書会社からの訂正申請を承認することを決定し、その内容を公表した。「新しい歴史教科書をつくる会」は、この問題について、この6月から12月までの間に都合4回にわたって文部科学大臣に「意見書」を提出し、見解を表明してきた。その主眼は、歴史の事実に反する記述が復活することを阻止し、教科書検定制度を有名無実化する危険を回避することにあった。今回の文科省の決定は、遺憾ながら、私たちの憂慮が現実のものとなったものであり、考え得る限りの最悪の結果となった。

 (2)公表された文科省の資料によれば、教科用図書検定調査審議会第二部会日本史小委員会は、12月3日に開催した第4回会合において、「訂正文の内容等を調査審議するに当たっての沖縄戦及び集団自決に関する日本史小委員会としての基本的とらえ方」なる文書を決定した。訂正申請の審査は、この「基本的とらえ方」を基準になされた。その全文は、すでに沖縄タイムス紙が12月9日付けで「指針」として報道したものとほとんど違いのないものであった。
 私たちは、「意見書(その4)」においてこの「指針」の内容を分析し、集団自決の複合的な背景や要因を教科書に書かせるといいながら、そこで例示されているのは、「教育訓練」、「感情の植え付け」、「軍による手榴弾の配布」、「壕の追い出し」の4点であり、これらはすべて、「軍の強制」説に立つ論者がしきりに強調してきたものであることを指摘した。しかも、文科省の例示からは「米軍の猛爆」という、直接に沖縄の住民を集団自決に追いつめた要因が除かれていた。
 だから、検定意見撤回のキャンペーンを張ってきた琉球新報も、12月8日付け社説で、「これらの背景を羅列することで軍のみに焦点が当たるのを避けようとしている」と文科省の意図を推測しつつ、「だが、それはまったく逆だろう。むしろ軍の強制を根拠付けるものとなる」と書いていたのである。検定結果は、まさにこの社説が期待していた通りのものとなった。

 (3)文科省が承認した訂正申請の記述の特徴は、第一に、上記「基本的とらえ方」に示された「複合的な背景・要因」を書けという指示に従って、日本軍の責任を糾弾する記述が大幅に書き足されたことである。例えば清水書院の「日本史B」では、「なかには集団自決に追い込まれた人もいた」という検定後の記述が、次のように書き足された。
 <また、軍・官・民一体の戦時体制のなかで、 捕虜になることは恥であり、 米軍の捕虜になって悲惨な目にあうよりは自決せよ、と教育や宣伝を受けてきた住民のなかには、日本軍の関与のもと、 配布された手榴弾などを用いた集団自決に追い込まれた人々もいた。>
 この訂正申請を承認した理由を、日本史小委員会は「人々が集団自決に追い込まれた背景・要因について、沖縄における戦時体制や日本軍の関与も含めた様々な事柄を記述することによって説明している」と書いている。「書かせる検定」が行われたのである。しかし、ここには米軍の残虐行為が実際にあったこと、直接に住民を自決に追い込んだのは米軍の猛爆であったこと、日本軍の隊長は自決を押しとどめたが、村の村長や助役が住民に指令したこと、などの事情・要因はすべて除外されている点で、一方的であり、極めて不当な記述である。これでは、「なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた」という、もとの申請段階の簡単な記述よりももっと反軍的・反日的になっているとさえ言える。

 (4)第二の特徴は、直接的な「軍の命令」や「強制」の記述は認めなかったといいながら、実際はそれすらもさまざまなやり方で実質上容認していることである。例えば、三省堂「日本史B」では、<また最近では、集団自決について、日本軍によってひきおこされた「強制集団死」とする見方が出されている。>という脚注の追加が認められた。日本史小委員会は、これを「『強制集団死』については『最近の見方』についてのものである」という意味不明のコメントで正当化している。誰かが何かを主張すれば、それが「最近の見方」であるという理由で教科書に書けるなら、どんな説でも教科書に書き込めることになろう。いずれにせよ、こうした表現を認めることで、実質的に「軍の強制」説が教科書に書き込まれたのである。
 また、検定意見を撤回しなかったと文科省は今回の決定を説明するかも知れないが、検定で削除された文言が復活した事例がある。実教出版「日本史B」では、申請段階で<日本軍により、県民が戦闘の妨げになるなどで集団自決に追いやられたり、>という記述が、検定意見で「日本軍により」が削除された。ところが、教科書会社は、「学習上の支障」を理由に「主語を明確にする」として「日本軍により」の語句を復活させる訂正申請をおこなった。文科省はこれを承認した。これは、どのように説明しようと、文科省が事実上検定意見を撤回し、検定意見の眼目であった軍の「強制」記述の復活を認めたものである。自民党の山崎拓・沖縄振興委員長は、軍強制記述は「回復」したと語っているが、まさにその通りになったと言うべきである。

 (5)第三に、信憑性に疑義のある資料の引用が認められた。東京書籍「日本史A」では、渡嘉敷島の集団自決について、「囲み」記事として次のような記述が承認された。
 <日本軍はすでに三月二十日ごろには、三十名ほどの村の青年団員と役場の職員に手榴弾を二こずつ手渡し、「敵の捕虜になる危険が生じたときには、一こは敵に投げ込みあと一こで自決しなさい」と申し渡したのです。>
 これは、富山真順証言としてその真偽が争われているもので、専門家として意見聴取に応じた秦郁彦氏も、その意見書のなかで、3月20日は日本軍が米軍の慶良間来攻を予測していなかったことなどを理由にして、資料としての信憑性に疑問を呈していたものである。この専門家の指摘を無視して記述を承認した日本史小委員会の見識が疑われる。

 (6)第四に、東京書籍「日本史A」では、側注の追加として次の記述が認められた。
<沖縄県では、県議会・全市町村議会で検定意見の撤回を求める意見書が可決され、同年9月には大規模な県民大会が開催された。>
 これはいかなる意味でも「歴史」の記述ではない。このように、直前におこったことを、事実の確定もできず、評価も定まらない時点で何でも書いてよいということになれば、およそ安定的な歴史の概念は存在しなくなり、党派性の強い個々の主張が「歴史」を僭称して無際限に歴史教科書に書かれることになる。このような非常識な教科書行政は、到底容認できるものではない。

 (7)文科省は今回の検定で、政治的圧力に屈して一面的な歴史記述を容認し、教科書検定制度の根幹を揺るがすという重大な汚点を残した。こうした事態をもたらした福田首相と渡海文科相の責任は極めて重大である。私たちは、この責任を徹底的に追及するとともに、以下の方針を掲げて、歴史教科書の改善のために今後とも取り組んでいく決意を表明する。
① 今回の検定の失態は、福田内閣の左翼的・反日的な本質の表れである。具体的な経過も含めて事態を明らかにし、その責任を追及する。また、日本史小委員会の委員の責任も免れない。匿名の人物については、情報公開を求める。
② 沖縄集団自決は、沖縄戦の一環として起こった出来事である。今後は、「日本軍は沖縄県民を守らなかった」という、沖縄戦全体の誤ったイメージを転換するための研究・調査・啓蒙活動を精力的に行う。
③ 長い間沖縄戦の記述が放置されてきたのは、「近隣諸国条項」の適用項目に「沖縄戦」が含まれていたという事情がある。この際、諸悪の根源となっている「近隣諸国条項」を撤廃する運動を進めてゆく。                                   以上


福田康夫首相、渡海紀三朗文科大臣、山崎拓衆議院議員に抗議FAXを!

 「 今回の検定問題がこの様な結果となった最大の原因は、福田康夫首相と渡海紀三朗大臣、山崎拓衆議院議員によって不当な政治介入が行われたからに他なりません。
 直ちに、「抗議のFAX」を送付するよう要請します。

<抗議FAX先>
福田康夫首相     03-3508-3611
渡海紀三朗文科大臣  03-3508-3230
山崎拓衆議院議員   03-3508-7082
                                以上
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