ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

集団的自衛権は行使すべし1

2007-12-25 08:03:35 | 憲法
 平成19年8月15日に放送されたNHKのテレビ番組、NHKスペシャル「日本の、これから」では、憲法第9条を主題とする討論が行なわれた。私は市民の一人として参加した。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20070816
http://jp.youtube.com/watch?v=2Dd5MeUPEOg
 この番組では、視聴者のアンケートが行われた。「集団的自衛権の意味を知っていますか?」という質問に対しての回答は、「知っている」が44%、「知らない」が49%。実にほぼ半数の人は、集団的自衛権の意味を知らないという結果だった。
 憲法第9条は、集団的自衛権を抜きに論じることはできない。集団的自衛権とは何かを知らずに、平和や国防を語っても、問題の中心部分に迫ることはできない。
 そこで、本稿では、集団的自衛権の定義、本質、制定の経緯、戦後日本の課題等を記し、わが国は、憲法を改正し、自らの意思で集団的自衛権を行使すべきことを主張したいと思う。十数回の連載になると思う。

●政府解釈と国際的理解の違い

 集団的自衛権の意味を知る人の多くがもっている理解は、集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」というものではないか。これは、昭和56年の内閣法制局による答弁書から抜粋した定義でもあるのだが、そういう政府の定義が集団的自衛権に関する国民の理解に一定の方向付けをしているものと思う。
 政府は、わが国は国際法上、集団的自衛権を保有しているが、憲法上これを行使することは許されないという立場を取っている。これに対し、多くの国々は、集団的自衛権は当然行使できる権利という認識に立って、安全保障政策を行っている。わが国のように、集団的自衛権を憲法上、行使できないという立場を取っている国は、稀である。逆に、憲法の規定ないしその解釈が、集団的自衛権を行使できないものとしているので、政府は集団的自衛権について、国際社会では珍しい解釈を取っていると見ることができる。

 集団的自衛権は行使できるという立場を取っている国々における集団的自衛権についての定義は、「ある国が第3国から武力攻撃を受けた場合、ある国の同盟国など密接な関係のある国が、自国に直接攻撃を受けていなくとも、その攻撃が自国に対する攻撃と認められるときは、第3国に反撃を行なうことができる権利」と要約できるだろう。
 こうした国際的理解と比較すると、わが国の政府解釈は、「その攻撃が自国に対する攻撃と認められるときは」という部分が強調されていない。そのため、集団的自衛権とは、第3国の攻撃がやがて自国に及んでくる可能性が高く、それゆえに自国に対する重大な脅威となる状況に関する権利である点が、見落とされやすい。しかも、政府解釈は、「自国が直接攻撃されていないにもかかわらず」という表現を入れることによって、わが国が他国の戦争に巻き込まれ、他国の防衛に利用されることを想定した理解となっている。またそれと同時に、政府解釈は、集団的自衛権は、自国の安全保障に全く関係がない場合でも、武力行使のできる権利であるというイメージを与える表現となっている。

 わが国の政府が集団的自衛権に関して、こういう特徴的な解釈をしているのは、日本国憲法や日米安保条約の規定に基づく。憲法第9条にいわゆる戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認が定められ、国防に制約がかかっている。また、日米安保によってわが国がアメリカに対し軍事的に従属的な関係にある。このことが、政府解釈の基盤となっている。さらに、わが国は1970年代から専守防衛政策を取って、一層国防に自己規制をかけ、集団的自衛権の行使を一般的に禁止するにいたっているのである。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「憲法第9条は改正すべし」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08m.htm