12月1日、東京・銀座や有楽町等で、北方領土の返還を求める行進が行われたという。この日は、昭和20年の同日、当時の安藤石典・根室町長がマッカーサーに、北方領土の返還を求めた記念すべき日である。
わが国はサンフランシスコ講和条約で、多くの国と講和条約を結び戦後処理を行った。日本は千島列島、樺太の一部の権利、権原、請求権を放棄しました。そこには、北方四島は含まれていない。
北方領土返還動は、先ほどの安藤根室町長がマッカーサーに直訴したことに始まり、以後、返還要求の声は全国に広まり、各地で様々な団体による返還運動が展開されている。
わが国は、北方領土返還を求めて交渉を続けてきたが、旧ソ連及びロシアは、日本との間に領土問題は存在しない、といって問題そのものを認めない姿勢を続けてきた。ようやく平成5年(1993)、エリツイン大統領が訪日した際、北方四島の帰属問題を「法と正義の原則に基づいて解決する」と確認した「東京宣言」が宣言された。宣言では、北方四島の島名を列挙して、領土問題はその帰属に関する問題と位置づけられた。
しかし、日本政府もロシア政府も本格的に解決に取り組もうという姿勢でなく、いっこうに進展が見られない。領土問題が解決していないため、わが国は、今もロシアとは正式な平和条約を結んでいない。
平成17年4月、北方四島では、ロシア人のいより、ただ同然の価格で私有化が進められていると報じられた。そのため、日本政府は領土問題交渉で、ロシア中央政府、サハリン州行政府、さらには土地所有者にも配慮しなければならなくなった。
さらに、同年9月、プーチン大統領は「第2次大戦の結果、4島のロシアの主権が確定した」という見解を公式発表した。国民の7割が支持するというプーチンの発言は、ロシア人の世論に影響し、北方四島はロシア領と主張するロシア人島民が顕著に増えているという。12月2日付の産経新聞は、朝刊のトップ記事でこれを伝えている。
北方領土返還問題が解決しないのは、わが国に主権を裏付ける実力、すなわち国防力が整備されていないことに原因がある。竹島・尖閣諸島についても、わが国が領土の侵犯、領海の侵犯を強く主張できないのは、ここに根本原因がある。
対外的な主権は、実力つまり武力によってのみ裏付けられる。国民に国防の意思が薄弱であれば、対外的な主権意識は低下する。日本国憲法を審議した帝国議会において、当時の憲法学者・佐々木惣一は、「第9条が独立性を失った卑屈な国民を形成していくのではないか」と危惧を述べていた。その懸念のとおり、戦後憲法制定後、国防をおろそかにし、国民の国防意識が低下してきたことが、主権意識の低下を生じている。それがそのまま領土意識の希薄さに結びついているのだ。その希薄さにつけこんで、他国が領土を不法占拠しつづけ、また領土や領海を侵犯している。これに対して、わが国は言葉による抗議だけで、実力による行動を出来ない状態である。
実力の裏づけのない外交は、相手国になんら圧力を感じさせない。現行憲法の第9条をそのままにしながら、領土の返還交渉をいくら続けても、埒があかない、多くの日本人は、この点を自覚していないのではないか。憲法の放置と共に、不法占拠された領土を放置してきてしまったのである。そのことが、日本人の主権意識・領土意識を薄弱なものにしているのだ。
領土問題は主権の問題、国防の問題であり、つきつめると憲法問題であることを、認識したい。侵されているのは、北方四島・竹島・尖閣諸島より以上に、1億2千万の日本人の精神そのものなのである。
日本人が日本精神を取り戻さない限り、北方領土は戻ってこない。国民が日本精神で団結してのみ、領土返還の道は開ける。
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●産経新聞 平成19年12月2日号
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071201/plc0712011858004-n1.htm
国会、官庁に届け 銀座で北方領土返還求め行進
2007.12.1 18:58
東京・銀座や有楽町など日本を代表する繁華街で1日、北方領土の返還を求める行進が行われた。北海道根室市など北方領土に近接する1市4町の主催で、根室市からきた約60人を含む200人以上が参加した。国会や官庁街のこれほど近くで返還要求の行進が行われたのは初めて。参加者たちは「返還に向け世論を盛り上げよう」と声を上げた。
銀座1丁目の公園で行われた出発式で、長谷川俊輔・根室市長は「返還運動を進めてきたが解決の糸口さえ見えず、強い憤りを感じる」と述べた。岸田文雄・沖縄北方相はこれを受け、「厳しいお言葉と思いを受け止め、内閣府としても頑張りたい」と話した。
この後、一行は日比谷公園まで約2キロのコースを歩いた。元島民の児玉泰子さんは、「昭和20年の12月1日、当時の安藤石典・根室町長がマッカーサー元帥に対し、北方領土の返還を求めた。すごい出来事で、私は1日が返還運動の原点の日だと思う」と話した。
作家の上坂冬子さんは、「来年の洞爺湖でのサミット(主要国首脳会議)では、船を出して各国首脳に北方4島を一巡して見てもらうべきだ。おずおずした態度を取ってはいけない」と、政府に注文を付けた。
一方、戦後60年以上が過ぎ領土問題への関心が風化していることも事実。銀座を闊歩(かつぽ)する女性たちからは、「北方領土問題があるのは知っているが、詳しくは知らない」「今は別に関心はない」といった声も聞かれた。
●産経新聞 平成19年12月2日号
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/071201/erp0712012037006-n1.htm
高揚するロシアのナショナリズム 北方領土のロシア人島民にも波及
2007.12.1 20:37
2日のロシア下院選を前に、強い国家を目指すプーチン大統領への支持が広まる中、ロシア国内で高揚するナショナリズムが、北方領土のロシア人島民にも浸透してきた。大統領の「第2次大戦の結果、4島のロシアの主権が確定した」とする公式発言と同じ見解を主張するロシア人島民が顕著に増えている。日本側の立場を報じた英紙タイムズの記事にもロシア側から、「島は私たちのもの」とする批判が続出した。
強制追放された元島民が多く住み、返還運動の中心地になっている北海道根室市。平成4年から始まったビザなし交流事業で、頻繁に渡航している複数の関係者によると、4島に住むロシア人の意識が近年、がらりと変わったという。
以前は意見交換をしても、大多数の島民は問題の経緯を知らずあいまいな見解を漏らすだけ。強硬派は一握りのリーダー的な人物に限られていた。
ところが最近は、一般人も「4島は第2次大戦の結果、ロシアの領土になった」と明確に答えるようになり、その人数も増加しているという。
「問題の解決を次世代に託す」という意見も広く聞かれるようになった。「4島は戦争で、ナチスと同盟を組んだ日本の支配からソ連が解放した」とまで主張するロシア人島民も現れた。
北方領土問題対策協会北方館の清水幸一副館長は、「こうしたロシア人島民の態度は今年の交流ではさらに顕著になった」と話す。
元島民の高橋孝志さん(74)は、ロシア人島民の意識の変化に危機感を抱く。「ロシア側に何も言えない弱腰の外交姿勢では、島が向こう側の手に落ちてしまう。次世代に託すのではなく、私たちの目が黒いうちに結果を出さなくてはならない」
一方、タイムズ紙の記事が出ると、同紙のサイトには、ロシア人から「島は私たちの領土」「日本人は4島に関する権利を持たない」との強硬な意見が多数、寄せられた。
記事は「ロシアは論争の渦中にある島々の支配を強めている」との見出しで、元島民の望郷の念や領土交渉の経緯、昨年8月、根室市の漁師が犠牲になった拿捕(だほ)・銃撃事件など日本側の立場を元に構成したものだ。
記事はロシアの複数のニュースサイトにロシア語版が転載され、批判的な反応やロシア人の歴史認識を記す書き込みが相次いだ。4島を管轄下に置くサハリン州のニュースサイトでは、「島から強制追放された日本人などいない」「(犠牲になった)漁師は追跡から逃れようとした犯罪者なのだ」との書き込みが掲載された。
2005年9月、プーチン大統領は「4島のロシアの主権は第2次世界大戦の結果、国際法によって保障された。ロシアには善意があり、互いに歩み寄れば解決できる」と述べた。国民に大人気の大統領の影響力は強い。4島を含めたサハリン州内の一般ロシア人にも、こうした見解が浸透し始めてきたことがうかがえる。(佐々木 正明)
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関連掲示
・拙稿「領土問題は、主権・国防・憲法の問題」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12.htm
上記の目次の02へ。
北方領土問題の経緯も書いています。
わが国はサンフランシスコ講和条約で、多くの国と講和条約を結び戦後処理を行った。日本は千島列島、樺太の一部の権利、権原、請求権を放棄しました。そこには、北方四島は含まれていない。
北方領土返還動は、先ほどの安藤根室町長がマッカーサーに直訴したことに始まり、以後、返還要求の声は全国に広まり、各地で様々な団体による返還運動が展開されている。
わが国は、北方領土返還を求めて交渉を続けてきたが、旧ソ連及びロシアは、日本との間に領土問題は存在しない、といって問題そのものを認めない姿勢を続けてきた。ようやく平成5年(1993)、エリツイン大統領が訪日した際、北方四島の帰属問題を「法と正義の原則に基づいて解決する」と確認した「東京宣言」が宣言された。宣言では、北方四島の島名を列挙して、領土問題はその帰属に関する問題と位置づけられた。
しかし、日本政府もロシア政府も本格的に解決に取り組もうという姿勢でなく、いっこうに進展が見られない。領土問題が解決していないため、わが国は、今もロシアとは正式な平和条約を結んでいない。
平成17年4月、北方四島では、ロシア人のいより、ただ同然の価格で私有化が進められていると報じられた。そのため、日本政府は領土問題交渉で、ロシア中央政府、サハリン州行政府、さらには土地所有者にも配慮しなければならなくなった。
さらに、同年9月、プーチン大統領は「第2次大戦の結果、4島のロシアの主権が確定した」という見解を公式発表した。国民の7割が支持するというプーチンの発言は、ロシア人の世論に影響し、北方四島はロシア領と主張するロシア人島民が顕著に増えているという。12月2日付の産経新聞は、朝刊のトップ記事でこれを伝えている。
北方領土返還問題が解決しないのは、わが国に主権を裏付ける実力、すなわち国防力が整備されていないことに原因がある。竹島・尖閣諸島についても、わが国が領土の侵犯、領海の侵犯を強く主張できないのは、ここに根本原因がある。
対外的な主権は、実力つまり武力によってのみ裏付けられる。国民に国防の意思が薄弱であれば、対外的な主権意識は低下する。日本国憲法を審議した帝国議会において、当時の憲法学者・佐々木惣一は、「第9条が独立性を失った卑屈な国民を形成していくのではないか」と危惧を述べていた。その懸念のとおり、戦後憲法制定後、国防をおろそかにし、国民の国防意識が低下してきたことが、主権意識の低下を生じている。それがそのまま領土意識の希薄さに結びついているのだ。その希薄さにつけこんで、他国が領土を不法占拠しつづけ、また領土や領海を侵犯している。これに対して、わが国は言葉による抗議だけで、実力による行動を出来ない状態である。
実力の裏づけのない外交は、相手国になんら圧力を感じさせない。現行憲法の第9条をそのままにしながら、領土の返還交渉をいくら続けても、埒があかない、多くの日本人は、この点を自覚していないのではないか。憲法の放置と共に、不法占拠された領土を放置してきてしまったのである。そのことが、日本人の主権意識・領土意識を薄弱なものにしているのだ。
領土問題は主権の問題、国防の問題であり、つきつめると憲法問題であることを、認識したい。侵されているのは、北方四島・竹島・尖閣諸島より以上に、1億2千万の日本人の精神そのものなのである。
日本人が日本精神を取り戻さない限り、北方領土は戻ってこない。国民が日本精神で団結してのみ、領土返還の道は開ける。
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●産経新聞 平成19年12月2日号
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071201/plc0712011858004-n1.htm
国会、官庁に届け 銀座で北方領土返還求め行進
2007.12.1 18:58
東京・銀座や有楽町など日本を代表する繁華街で1日、北方領土の返還を求める行進が行われた。北海道根室市など北方領土に近接する1市4町の主催で、根室市からきた約60人を含む200人以上が参加した。国会や官庁街のこれほど近くで返還要求の行進が行われたのは初めて。参加者たちは「返還に向け世論を盛り上げよう」と声を上げた。
銀座1丁目の公園で行われた出発式で、長谷川俊輔・根室市長は「返還運動を進めてきたが解決の糸口さえ見えず、強い憤りを感じる」と述べた。岸田文雄・沖縄北方相はこれを受け、「厳しいお言葉と思いを受け止め、内閣府としても頑張りたい」と話した。
この後、一行は日比谷公園まで約2キロのコースを歩いた。元島民の児玉泰子さんは、「昭和20年の12月1日、当時の安藤石典・根室町長がマッカーサー元帥に対し、北方領土の返還を求めた。すごい出来事で、私は1日が返還運動の原点の日だと思う」と話した。
作家の上坂冬子さんは、「来年の洞爺湖でのサミット(主要国首脳会議)では、船を出して各国首脳に北方4島を一巡して見てもらうべきだ。おずおずした態度を取ってはいけない」と、政府に注文を付けた。
一方、戦後60年以上が過ぎ領土問題への関心が風化していることも事実。銀座を闊歩(かつぽ)する女性たちからは、「北方領土問題があるのは知っているが、詳しくは知らない」「今は別に関心はない」といった声も聞かれた。
●産経新聞 平成19年12月2日号
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/071201/erp0712012037006-n1.htm
高揚するロシアのナショナリズム 北方領土のロシア人島民にも波及
2007.12.1 20:37
2日のロシア下院選を前に、強い国家を目指すプーチン大統領への支持が広まる中、ロシア国内で高揚するナショナリズムが、北方領土のロシア人島民にも浸透してきた。大統領の「第2次大戦の結果、4島のロシアの主権が確定した」とする公式発言と同じ見解を主張するロシア人島民が顕著に増えている。日本側の立場を報じた英紙タイムズの記事にもロシア側から、「島は私たちのもの」とする批判が続出した。
強制追放された元島民が多く住み、返還運動の中心地になっている北海道根室市。平成4年から始まったビザなし交流事業で、頻繁に渡航している複数の関係者によると、4島に住むロシア人の意識が近年、がらりと変わったという。
以前は意見交換をしても、大多数の島民は問題の経緯を知らずあいまいな見解を漏らすだけ。強硬派は一握りのリーダー的な人物に限られていた。
ところが最近は、一般人も「4島は第2次大戦の結果、ロシアの領土になった」と明確に答えるようになり、その人数も増加しているという。
「問題の解決を次世代に託す」という意見も広く聞かれるようになった。「4島は戦争で、ナチスと同盟を組んだ日本の支配からソ連が解放した」とまで主張するロシア人島民も現れた。
北方領土問題対策協会北方館の清水幸一副館長は、「こうしたロシア人島民の態度は今年の交流ではさらに顕著になった」と話す。
元島民の高橋孝志さん(74)は、ロシア人島民の意識の変化に危機感を抱く。「ロシア側に何も言えない弱腰の外交姿勢では、島が向こう側の手に落ちてしまう。次世代に託すのではなく、私たちの目が黒いうちに結果を出さなくてはならない」
一方、タイムズ紙の記事が出ると、同紙のサイトには、ロシア人から「島は私たちの領土」「日本人は4島に関する権利を持たない」との強硬な意見が多数、寄せられた。
記事は「ロシアは論争の渦中にある島々の支配を強めている」との見出しで、元島民の望郷の念や領土交渉の経緯、昨年8月、根室市の漁師が犠牲になった拿捕(だほ)・銃撃事件など日本側の立場を元に構成したものだ。
記事はロシアの複数のニュースサイトにロシア語版が転載され、批判的な反応やロシア人の歴史認識を記す書き込みが相次いだ。4島を管轄下に置くサハリン州のニュースサイトでは、「島から強制追放された日本人などいない」「(犠牲になった)漁師は追跡から逃れようとした犯罪者なのだ」との書き込みが掲載された。
2005年9月、プーチン大統領は「4島のロシアの主権は第2次世界大戦の結果、国際法によって保障された。ロシアには善意があり、互いに歩み寄れば解決できる」と述べた。国民に大人気の大統領の影響力は強い。4島を含めたサハリン州内の一般ロシア人にも、こうした見解が浸透し始めてきたことがうかがえる。(佐々木 正明)
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関連掲示
・拙稿「領土問題は、主権・国防・憲法の問題」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12.htm
上記の目次の02へ。
北方領土問題の経緯も書いています。