ほそかわ・かずひこの BLOG

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戦略論19~『孫子』の日本・欧米・現代への影響

2022-06-27 12:29:56 | 戦略論
●『孫子』(続き)

◆日本での摂取・活用

 『孫子』が日本に伝えられたことを史料的に確認できるのは、『続日本紀』天平宝字4年(760年)の記述とされる。遣唐使として唐に留学した吉備真備は、シナ文明の古典とともに『孫子』『呉子』をはじめとする兵法も学んだと推測されている。764年に起きた藤原仲麻呂の乱で、真備は実戦に活用したと見られている。
 奈良時代・平安時代の貴族は、『孫子』を学問・教養の書として受け入れた。平安後期の大江匡房は、源義家に『孫子』を教え授けた。義家が前九年の役・後三年の役の折、『孫子』の「鳥の飛び立つところに伏兵がいる」という教えから伏兵を察知し、敵を破ったという話が『古今著聞集』に記されている。
 大江匡房は、『孫子』の戦略・戦術が優れていることを深く理解したうえで、無批判に摂取することを戒めるため、日本最古の兵法書である『闘戦経』を著わした。
 平安後期に歴史の舞台に登場した武士たちは、『孫子』を活用することは少なかったと見られている。当時のわが国における戦争は、武士が個人の技量を競う戦闘が主であったためとされる。そこに変化が生じたのは、平安末期から足軽が登場し、歩兵の集団戦法が重視されるようになったことによる。組織戦が主体となると、『孫子』に学ぶものは多い。中でも、武田信玄が『孫子』の一節から採った「風林火山」を旗指物にしていたことは有名である。
 風林火山の一句は、軍争篇の「その疾(はや)きこと風のごとく、その徐(しず)かなること林のごとく、侵掠(しんりゃく)すること火のごとく、動かざること山のごとく、知り難きこと陰(いん)のごとく、動くこと雷震(らいしん)のごとし」による。
 徳川幕府が天下を治めるようになると、戦国時代に蓄積された軍事知識を体系化しようとする研究が進んだ。それが兵学(軍事学)である。江戸時代には、50を超える『孫子』の注釈書が現れた。中でも山鹿素行の『孫子諺義』、荻生徂徠の『孫子国字解』が代表的である。
 明治維新以降、日本は近代西洋文明に追いつくため、主にプロイセン流の軍事学を導入して軍事力を増強していった。『孫子』に対しては、近代的な観点から時代遅れとする否定的な見方と、西洋にない独自のものとして価値を認める肯定的な見方が併存してきた。
 日露戦争の英雄、東郷平八郎は、「ロシアのバルチック艦隊が最短コースを取ってウラジオストックに入港する」と、その進路を予測した。そして連合艦隊に「対馬海峡で迎え撃て」と命令した。東郷の予測どおり、バルチック艦隊は、太平洋ではなく日本海に針路を取り、対馬海峡に一列縦隊で現れた。ここで東郷は、東郷ターンと呼ばれる奇策、丁字戦法をもって、敵艦隊を撃破して勝利を収めた。
 凱旋後、戦法について聴かれた東郷は、「佚(いつ)を以て労を待ち、飽を以て饑(き)を待つ」と答えた。『孫子』軍争篇の一節である。大意は「遠くからやってきて疲労し、腹をすかせた敵に対して、自分たちは休息を取り、充分に食事をとって敵を待つ」という意味である。東郷は、バルチック艦隊は長旅で疲れて果てており、最短距離を進むと考えた。加えて、敵艦隊は疲労蓄積で集中力を欠き、砲撃の命中率は低いと考えたのである。ここには、『孫子』の作戦戦略が見事に生かされている。
 だが、第1次世界大戦、第2次世界大戦の時代に移ると、わが国では欧米の戦略・戦術の影響が圧倒的になり、『孫子』から欧米にないものを学び、実践しようとする姿勢が後退した。主に軍人個人が研究の対象とする程度になった。
 次の項目に書くように、欧米で『孫子』の評価が高まるにつれ、わが国でも再評価がされるようになった。

◆欧米での翻訳・研究
 
 『孫子』が欧米で広く知られるようになったのは、20世紀になってからである。1905年にイギリス陸軍大尉E・F・カルスロップによる英訳版が出た。日本人の助けを借りて完成させたものだった。だが、イギリス人のシナ学者ライオネル・ジャイルズは、その翻訳を厳しく非難し、シナ語の原典から訳した『孫子』の英語版を1910年に出版した。同じ年、別の翻訳者によるドイツ語版も出た。
 こうしてようやく欧米人も『孫子』を読めるようになったわけだが、その前からある程度、紹介はされていた。1772年、清朝の時代に、イエズス会の宣教師ジョセフ・マリー・アミオ(銭徳明)が抄訳に解説を付けたものをフランス語で出版している。
 第2次世界大戦後、『孫子』は欧米で高く評価されるようになった。現在、『孫子』はクラウゼヴィッツの『戦争論』と並んで、東西の二大戦争書と位置づけられている。両書は各国の高級指揮官教育において不可欠な教材となっている。アメリカ国防総合大学校やイギリス王立国防大学校をはじめとする国防関係の教育機関で教育・研究されている。
 両書を比較すると、『孫子』は古代シナ文明における前近代国家の戦争を論じているのに対し、クラウゼヴィッツの『戦争論』は、近代西洋文明における国民国家の戦争を論じている。基本的に、国家のあり方、武器の発達の程度などに大きな違いがある。特に重要なのは、『孫子』は「戦わずして勝つ」ことを最善の策とするのに対し、『戦争論』は決定的会戦を重視し、軍事力の正面衝突による敵兵力の殲滅、敵国の完全打倒を目指して戦争を論じているところにある。
 『戦争論』の戦争観を延長すれば、戦争は拡大を続け、ついには国家の総力を投入する総力戦とならざるを得ない。世界大戦の時代は、こうした戦争観への反省をもたらした。総力戦論を批判したリデル=ハートは『戦争論』より『孫子』を賞賛し、『孫子』を古今東西の軍事学書の中で最も優れていると評価した。そして、直接的な武力衝突ではない「間接的アプローチの戦略」によって勝利すべきと論じた。(詳しくは後の項目で述べる)

◆現代における活用

 現代において最も『孫子』をよく学び、活用しているのは、中国共産党である。毛沢東は、シナ文明の春秋時代・戦国時代の兵法書を愛読し、それを革命の軍事に応用した。国民党軍と交戦しながら延安に向かった長征の間に戦略を練った際、『孫子』や『資治通鑑』等から大いに学んでいる。『矛盾論』や『持久戦論』等に、書名を挙げてその内容を引用している。シナの共産化の実現には、欧米流ではない『孫子』の兵法が生かされたのである。
 米国の中国研究の権威マイケル・ピルズベリーは、中国共産党は19世紀半ばから100年にわたり欧米諸国によって支配された屈辱に復讐するために、中華人民共和国建国以来、100年後の2049年には世界の覇権を米国から奪うという野心をもって、「100年マラソン」を着々と走ってきたと主張する。彼は、この「100年マラソン」戦略は、中国で「タカ派」を自称する者たちが『孫子』『戦国策』『兵法三十六計』等をもとに作り上げたものだと指摘している。(詳しくは後の項目で述べる)
 『孫子』は、経営の世界でも幅広く活用されている。マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツが愛読していることは、よく知られている。日本の経営者やビジネスマンに人気のある雑誌は、しばしば『孫子』を取り上げ、評論家・ジャーナリストなどが現代の経営の観点から解説している。

 次回に続く。

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