ほそかわ・かずひこの BLOG

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戦略論43~世界大戦の時代の戦争(陸戦の変化)

2022-08-15 12:24:06 | 戦略論
(4)世界大戦の時代の戦争

●戦争のあり方に大きな変化が

 19世紀末から第1次世界大戦、第2次世界大戦の時代には戦争のあり方に大きな変化が起こった。それを陸戦、海戦、航空戦、核戦争の順に見ていきたい。

◆陸戦の変化

 19世紀の陸戦の作戦戦略は、ナポレオンの戦争を模範とし、円滑かつ迅速な機動で主力を決勝点に集め、歩兵・騎兵・砲兵の協力決戦を挑み、敵の野戦軍を撃滅することを目標にしていた。しかし、19世紀中葉以降、銃砲が前装から後装に変わるという技術の進歩が起こった。前装とは、弾薬を銃砲の筒先から装填することである。後装とは、銃の遊底または銃の閉鎖機を開閉して弾薬を装填することである。この転換によって、射撃の速度と精度が上がった。
 次に大きな変化が起こったのは、機関銃(machine gun)の登場である。1810年代に米国で雷管が発明されると、1850年代から、ガトリング機関銃をはじめとする多くの手動式機関銃が考案された。南北戦争で機関銃の威力が示され、ヨーロッパにも普及した。1885年頃にイギリスで無煙火薬が発明され、87年に火薬ガスを利用して自動的に連発するマクシム機関銃が作られた。これが最初の本格的な機関銃といわれる。機関銃が登場したことで、格段と殺傷力・破壊力が増した。
 それとともに、技術の発達による鉄道や道路網の整備、通信技術の進歩は、兵力の分散・機動・集中や統一的な指揮を容易にした。また将校への教育が体系化され、指揮の技術が向上した。
 だが、防衛する側も、火力の増大、塹壕・鉄条網の利用、交通・通信網の拡充などによって、防御力が増した。そのため、20世紀に入ると、短期的な決戦での決着は困難となった。第1次世界大戦では、綿密に組織された塹壕網が作られ、拠点火力に対する大量砲撃と何波にも分かれた人海戦術との衝突が繰り返された。西部戦線では、強固な陣地に基づく長期にわたる消耗戦が行われた。また陣地突破用の新兵器として毒ガスや戦車が登場した。
 1914年にフランスが催涙物質を使用したのに対し、翌年ドイツが塩素ガスを使用し、大量の死傷者を出した。以後、ホスゲン、青酸、マスタードガス等の毒ガスが開発された。これらの効果の残虐性から、1925年に毒ガスの使用を禁止するジュネーブ議定書が締結された。毒ガスが実戦に用いられて悲惨な結果をもたらした経験から、ジュネーブ議定書が作成された際、人間・動植物に有害な細菌・ウイルス等を使用して作られる生物兵器も大量殺人兵器として禁止の対象となった。
 戦車は、第1次大戦後期の1916年にイギリス軍が使用したものに始まる。機関銃が普及すると、兵士が塹壕に身を伏せ、戦闘が長期化し、膠着状態となった。戦車は、この均衡を破るため、敵の機関銃弾によく耐え、壕を突破できる奇襲兵器として考えられた。以後、火砲の発達、装甲板の改良、強力軽量の機関の出現等で性能が向上し、また無線通信機の装備により集団的戦闘指揮が可能となった。
 第1次大戦後、フランスはマジノ線による固定防御に重点を置いた。だが、それ以外の各国陸軍は、戦闘を再び機動的にすることに力を入れた。第2次大戦では、戦車の活用の他に、歩兵・砲兵の自動車での移動等を組み合わせた機動戦が復活した。特にドイツは、大戦初頭に戦車を衝撃力とする電撃戦で、周辺国を圧倒した。それによって、戦車は地上戦闘の主力の地位を確立した。また、この大戦において本格的に使用された航空機による対地攻撃は、効果が大きく、制空権の確保や対空戦闘が重要となった。

 次回に続く。

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